6話 王命

「――お願い、機嫌直して、セルマ」

「別に機嫌は悪くないが」

「……ほらぁ、悪いじゃない……」


 シャルベスリア王国の首都アワーバへ向かう、やたら乗り心地のいい馬車の中で、無表情のままセルマは答えた。ターヴィは落ち着きなくずっとそわそわとしている。セルマを怒らせたときにどうなるかは、彼も知っているはずだった。それでも行動したのだから、自分が撒いて育んだ実をしっかりと収穫する覚悟はあっただろう。

 セルマは、自分が無愛想である自覚はある。そしてそれはセルマにとって自然体かつ当然のことなので、なにか普段と変わっている自覚はない。しかし周囲の者たちが言うには、怒っているときは表情がいつもと全く同じなのに、空気感が違うらしい。そこが怖い、とのことだった。空気の感触まで責任は持てないので、言われるまま放っておいている。


 ターヴィは何度か、謝罪以外の言葉を口にしようとした。しかし、その『空気感』とやらに阻まれて言えないようだ。聞くつもりもセルマにはない。もし、同じような愛やら恋などという言葉を口にするならば、金輪際会話をしないつもりだ。

 セルマは、誰かを愛するつもりはない。恋人を作るつもりもない。自分の人生は仮小屋のようなものだと自覚しているし、こんな刹那的な生き方の途上で、誰かと馴れ合うのは真っ平御免だった。言葉を交わす事はある。情を向けられる事もある。しかし、それはセルマにとって必要なものではなかった。


 明日、どうなるかもわからない。物心ついたときから、ずっとそうなのだ。この生き方以外など知らない。


 交易の港街・キンシャードから、とって返して四日と半日。出発地点に到着した。馬車の窓から約十日ぶりに見るアワーバの街は、パレードの余韻もなく日常の賑やかさへ舞い戻っていた。煉瓦に白い漆喰を塗った家が建ち並ぶ、美しい街だ。

 それでも、変わった事もある。パン屋の看板に『勇者パン、あります』と書いてぶら下がっている。露店ののぼりには『ターヴィ・ブレスレット販売中』とある。宿屋には『勇者割実施中』とあった。勇者割ってなんだ。


「……勇者割ってなんだ」

「あー、うーんと。僕と同じ名前だとか、生まれ年が同じだとか、そういう人が割引きされるみたいだよ」


 尋ねたわけではなかったが、気詰まりな車中でのセルマのそのひと言に、ターヴィは即座に反応した。なるほど。商魂たくましいとはこういうことを言うのだろう。

 心配されていた瘴気は、まるでなくなったわけではない。人体に影響を及ぼす濃度で、人間の生活圏へ侵入してこなくなっただけだ。だから、いずれまた『勇者』を必要とする時が来るのだろう。それがいつかはわからないし、また同じように対処できるかもわからない。それでも、セルマは今の街の様子を『良い』と思った。

 人々が、恐れなく暮らせている。


 馬車はゆっくりと蛇行しつつ、華やかな街の中を進む。車窓から外を見ているセルマへ、ターヴィはささやくように尋ねた。


「――アワーバの街は、好き?」


 セルマは、道沿いで石畳に落描きをして遊んでいる子どもたちの笑顔を見ながら答えた。甲高い笑い声が窓越しに聞こえる。


「好きだよ。とても」


 ターヴィが笑った気配を感じた。


「……そうか。――よかった」


 馬車はゆっくりと進んで行く。


 やがて城門へたどり着く。わかってはいたが、セルマはため息をつき舌打ちした。ターヴィが申し訳なさそうに身を縮める。

 もう二度と来ることはないと思っていた。自分ほど城に縁遠い人間はいないだろう。今でこそ傭兵を名乗れるが、その実戸籍もないただの浮浪者だ。名前すら半分は借り物で、半分は自分のものかも怪しい。そんな人間が、こうしてもう一度この門を潜ることになるとは、夢にも思わなかった。

 御者が何事かを門兵とやり取りする。少しの停車の後、すぐに通された。

 停車場では儀仗服に身を包んだ数名の騎士が直立で迎えた。これは逃げられんな、とセルマは思う。さすがに、自分が腕力で本職の騎士に敵うとは思っていない。

 ターヴィと共に丁重に誘導される。特にセルマの左右と後ろには、手を伸ばせば届く位置に騎士が着いた。これ見よがしに警戒されている状況に、笑ってしまいたくなった。


 真っ直ぐに連れて行かれたのは、城の正面入口から歩いて優に四十分もかかる場所だ。ターヴィが先頭に立って歩くと、廊下に居る者たちは脇へ下がり頭を垂れた。

 城内は、どこもかしこもきらびやかだ。大理石の床には赤い天鵞絨の絨毯が敷かれ、どの壁もセルマにはまるで価値がわからない絵画や彫刻などの美術品で埋まっている。さぞかし掃除が大変だろうと思う。

 そして、すれ違うすべての侍従たちの容姿が整っている。ここまで徹底していることに、毎度セルマは呆れつつ感心していた。

 やがて謁見室前に到着した。


「勇者ターヴィ・ライティオ、および救世の乙女セルマ・コティペルト!」


 扉の前にて恥ずかしい渾名で告げられる。白い両開き扉が二人の兵士により開かれ、中に居た従者によりもう一度同じ呼びかけがされる。この、いかにもな仰々しさが、セルマは本当に嫌いだった。


「――やあ、ターヴィ。今日も美しいね。そしてセルマ。元気そうでよかった」


 セルマとターヴィが、許されている位置まで進んで片膝を床に着いて項垂れたとき、正面の王座から軽薄な声がかけられた。この若き王を、セルマは本気で苦手としている。


「楽にして。直答も許す。ターヴィ、願いは叶ったかい?」


 許しの言葉にセルマとターヴィは膝を着いた姿勢のまま頭を上げた。王座には豪奢な衣装を身にまとった、緑がかった長い金髪に碧眼の美男子。当代のシャルベスリア王国の王、リクハルドだ。相変わらず動きづらそうな服だな、とセルマは思った。


「……半分は。しかし、私の努力が足りません」

「んー? 救世の乙女ちゃんは、いったい何が不満なんだい?」

「あたしの望みは、伝えてあったはずです」


 あきらかに嫌がらせで王はセルマを渾名で呼んだ。セルマをやり込めて、どうにか表情を変えさせようとするのがこの王のやり方だ。そんな茶番にかまってやる気持ちはさらさらなく、セルマは反故にされた約束について言及した。


「んー。なんのことだろう」


 空とぼけた反応に、セルマは心の中で王の綺麗な顔を殴りつける。しかし、あの顔が歪んだらどうなるのかが想像できなかった。


「――契約は満了しました。それ以上の責務は負わせず、速やかにあたしを解放してくださるとおっしゃった。また出国することも了承くださった。書いていただいた誓約書があります」

「んー。それなんだけどね」


 ターヴィがじっとセルマの横顔を見ている。それを感じながら、セルマは自分とさして年齢の変わらない王を、強い瞳で見つめる。悪びれもせずに王は言った。


「ターヴィがさ、君が出るなら自分も出るとか言うんだよねえ。それは正直、国としても私個人としても、とっても困るんだ。なにせ救世の勇者様だからねえ。だから、君にもシャルベスリアに居てほしい」


 セルマは息を止めた。ターヴィはセルマを見ていた。何拍か後に、セルマは抑えた怒りを出さぬように、低い声でささやいた。


「約束が違います」

「まあまあ、ごめんごめん。王命ってことで、ひとつよろしく」


 右の手のひらをこちらへ向けて掲げ、王は笑顔で言った。それは王の裁定を示す仕草で、その判断は王にしか翻せない。こんな時ですらセルマの表情は動かなかったが、その内心は罵詈雑言の嵐だった。


「お詫びにさ、アワーバに家を用意したから。二人に。愛の巣にしちゃってー」


 なんだ、それは。

 王の妙な言葉にセルマは眉根を寄せた。王は「おっ、変わった変わった、表情変わった!」と手を叩いて喜んだ。

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