4話 勅命
「はあ? なにを寝ぼけているんだ、おまえは」
セルマが無表情にそう言って捨てると、ターヴィは傷ついたような瞳をした。留置されている者たちは沈黙した。三十路を目前としているガサツな大女相手に、この救世の勇者様はなにを言っているのか。
手を引き抜こうとしたら強く握られる。しばしの間無言で、セルマが「離せ」と言っても聞かない。ターヴィは立ち上がって、セルマの手を自分の胸へ当てた。
「……そうやって、信じてもらえない可能性だって考えていたさ。だから、長期戦になることは覚悟している。何度でも言うよ、セルマ。僕はあなたを、一人の女性として愛している」
「そういう歯の浮くようなセリフ、いったいどこで覚えて来たんだ? 茶番もいいところだ。やめろ」
セルマはよく、表情がないと言われる。それでもできうる限り嫌な顔を作って、セルマはターヴィの胸を押した。ターヴィは真剣な面持ちのままで、やはり握った手を離しはしなかった。
「――あなたから見て、僕がいつまでも子どもに思えるのは、仕方ないと思ってはいる。実際に五歳離れているし……すんごく、カッコ悪いところ、たくさん見られてるし……。でも、この三年、僕はあなたと見合う男になるため、必死に努力して来たんだ」
「はあ? ふざけんな、そんな浮ついた考えで浄化に携わってたのか、おめぇは」
「そう言われても仕方ないね。でも、僕の気持ちの強さはわかってくれるでしょう。僕は、あなたとともに『源泉』にたどり着いたし、それを浄化してきた」
「とりあえず、ここを出してくれたことはありがとう。それじゃあ元気で」
扉へ歩みを進めようとしたが、それも阻まれる。低い声で「どこへ行くつもりなの」とターヴィは言った。
「船が動いているんだ。エシュブランへ向かう」
「そんな遠いところへ! どうしてだよ。僕とシャルベスリアのどこかに落ち着くのではだめなの?」
「それこそなんでだよ。あたしは、最初から船が動いたら移動するつもりだった」
「そんなの聞いてない」
「言ってないし」
「セルマ!」
もう一度引き寄せようとされたところを、セルマは拒否した。手を振り解くと、ターヴィは傷ついた表情をした。
「なんて言おうと、あたしはあたしが思う通りにするよ。これまでだってそうだった。依頼が終わったら次の土地へ。じゃあね。さよなら」
扉を出る際に留置人の誰かが「とんだ修羅場だなあ……」とぼやいたのが聞こえた。
「……なんで着いて来るんだよ」
「あなたの行くところへ僕も行くから」
「うざっ、来なくていいし」
「なんで? これまで三年もいっしょに過ごして来たのに」
「依頼が終わったのに、つるむ理由がない」
路を進む間にも、通行人たちがこちらを見ているのがわかる。なんにせよ、ターヴィは美青年なのだ。救世の勇者本人だとは気づかなくとも、多くの衆目が集まる。自然、共に歩くセルマにも視線が突き刺さった。女性陣からの妬まし気なそれが本当に嫌だからこそ、これまで街の中をターヴィと二人で歩くことは避けて来たというのに。
もう一度乗船手続きの事務所へやって来て、列に並ぼうとした。すると、なんの気まぐれかターヴィが「こっちのが早いよ」と誘導してくる。怪訝に思いながらもそちらへ行くと、前に通された事務室よりも立派な応接室だった。
「ようこそ、ターヴィ・ラティオ子爵。それにセルマ殿。どういった御用向きでございましょうか?」
いかにも人の好さそうな中年男性が二人を招き入れた。その言葉に、ああ、そういえは授爵したんだったな、とセルマは思った。今回の旅の功労賞として、平民だったターヴィはお貴族様になったのだ。
「勅命書、見せてくれないかな。セルマに」
「なるほど。承知しました」
ターヴィの言葉に、男性はうなずいてすぐに書棚へと向かった。聞こえた『勅命書』という言葉に目を見開き、セルマはターヴィを見る。空とぼけた風にどこかへ視線をやっている。国家的危機やそれに類する事態が生じた際に、王命を発令しそれを記した書簡を『勅命書』と呼ぶ。いったいなにがあったと言うのだろう。
「さ、どうぞ。こちらです」
男性から手渡された、立派な円筒から出された書簡。セルマは両手で受け取って眺め、そこに自分の名前が記されていることに気づき唸った。そして。
「――どういうことだ、ターヴィ」
「そういうことなんだ、セルマ」
その書簡の内容は『救世の乙女であるセルマ・コティペルトを、決して国外へ出さぬこと』というものだった。
なんだ、この『救世の乙女』とかいう、鳥肌が立つ呼称は。そもそも、そういう特別扱いをされたくないがために、無名の傭兵として『瘴気浄化』に加わったのに。生きるも死ぬも自分次第。契約満了か死。それが縁の切れ目。そういう約束だった。
破きたい衝動を必死に抑えて、セルマは書簡をテーブルへ置いた。そしてターヴィへ問う。
「――おまえだな?」
「なにがだい?」
「あの、あたしに全く興味も関心もない面食い王が、こんなお触れを出すわけがない」
「それ不敬罪だよセルマ。うん、そうだね。パレードの後、セルマがアワーバのどこにも居なくてさ。僕さみしくなっちゃって。ちょっと王様に愚痴っちゃったんだよね。セルマが見つからないと、悲しくてセルマを探す旅に出てしまうかもって」
なるほど、とセルマは心でつぶやいた。では、乗船証をもらえなかったのも、警ら隊に捕まって留置されたのも、なにもかも。
「おまえのせいか……」
「あはは、いって、いたっ。本気で殴るの、ちょ! ごめ、ごめんってば!」
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