3話 告白

「いつになったら出してもらえるのだろうか?」

「僕にはわからないんです、すみません」


 貸し与えられた廉価本を読み尽くして、時間を持て余した末にセルマは言った。本日二度目の質問で、同じ答えが返ってくるのはわかりきっていた。尋ねられた見張りの警らの若者も、おどおどと謝るだけだ。苛立つ気持ちも出尽くして、セルマはただため息をついた。

 留置所の環境は、悪くはない。いちおう女性だということで他の軽犯罪者たちとは別部屋に収監され個室状態だ。ベッドや椅子、目隠しされた便所もある。しかし、なぜ収監されたのかもわからずにもう丸二日を過ごしているのだから、いい加減嫌にもなる。


「あの……セルマさんって、あのセルマさんですか?」


 好奇心に負けたのか、おどおどしながらも若者は尋ねて来た。セルマは内心で苦笑しながら答える。


「もし君の言っている『セルマ』が『瘴気浄化特別分隊・七班』の『セルマ』なら、あたしだよ」

「うわあ、本当に本人なんだ!」


 壁越しに隣りの留置室からも幾人かの声が上がった。聞き耳を立てていたらしい。こんな反応はしょっちゅうなので、特に思うことはない。詮索されるのが嫌で身上を隠すこともあるが、なぜかこうして捕まってしまっている以上、それは得策ではないと思った。警ら青年はおずおずと「あの、握手してくれませんか?」と言う。セルマは格子越しに手を差し出した。腿のあたりで手を拭いてから、青年はセルマの手をぎゅっと握った。

 その後は乞われるままに、かいつまんで『瘴気浄化』の旅について話して聞かせた。『勇者ターヴィ』と同じ班になったのは偶然で、単に互いにそこへ割り振られただけだったこと。最初は使えない奴だと思っていたが、本人の努力により次第に頼れる人間になって行ったこと。三年の旅。そして『瘴気の谷』最深部への探索。たまたま七班は瘴気に対して耐性のある人間が集まっていた。だからといって全く影響がないとは言えない。濃度が高まるにつれ、ひとりずつ脱落して行く。セルマもターヴィも、次は自分だと思いながら進んだ。そして、たどり着いた瘴気の『源泉』。


「――さすがにあたしでも死ぬだろうと思った。それだけ圧倒的ななにかだった。見た目は、なんて言ったらいいのかわからないな。ただ、黒いなにかだった。どうしたらいいのかもわからない。あたしは弓を撃ちかけた。ただ吸い込まれただけだった」


 鼻と口を覆って吸い込まないよう対処してはいたが、付け焼き刃だ。次第に指先の感覚を失っていく。それなのに研ぎ澄まされた全身の神経が悲鳴を上げていく。幻覚が見えるほど症状が進行しない内にどうにかしなければ。中へ特攻しようとしたセルマを、ターヴィが止めた。


「あいつは『僕に任せてほしい。考えがあるんだ』と言った。あいつが賢いのは知っていたし、あたしは無策だ。相談している時間もなくて、ただ『一時間しても戻らなかったら、逃げて』と言って中へ飛び込んで行くのを見守るしかなかった」


 待っている間も、ただじっとしていたわけではない。火をいくつも焚き、その中で瘴気濃度を薄めるため香木を焚き付け、周辺の浄化に努めた。効くかはわからないが、ターヴィが消えて行った『源泉』へ香木を投げ入れてもみた。濃度は変わらないどころか、さらに濃くなっているのではと思えた。視界が霞んで来る。約束の一時間はとうに過ぎていて、セルマは焦りの気持ちからターヴィの名を叫んだ。

 すると――周辺の瘴気が霧散した。


「すべてが無くなったわけではないけれどね。それまで特濃のヤツを浴びていたから、無くなったと錯覚するほどだったんだ。香木の匂いがわかって、視界も指の感覚も戻って来た。そして『源泉』を見たら、今にも消えそうなくらい小さくなっていた」


 きっと、ターヴィの策が上手くいったのだ。喜びが胸に溢れると同時に、焦りが走る。ターヴィはまだ戻って来ていない。いや、どこへ行ったのだ? 『源泉』へ走り寄り、その中へ片手を突っ込んだ。そして、ただターヴィの名を連呼する。


「すると、あたしの手を誰かが掴んだ。ターヴィに違いない。だから思いっきり引っ張り出した」


 おお、という声とともに拍手が沸き上がった。暇を持て余した留置人たちへは、いい娯楽の提供になっただろう。警らの青年は深いため息をついて、話の内容を咀嚼しているようだった。壁越しに「なあ、セルマの姐さんよ」と声掛けがある。


「で、そんな大冒険の末に俺らを守ってくれた英雄のあんたが、なんでこんなところでとっ捕まってんだい?」

「さあ? それはあたしが聞きたい」


 セルマが答えると、笑いがさざめく。セルマもこの状況を笑い飛ばしてしまいたかった。なにせ、セルマを捕まえた警ら隊自体が、その理由を知らないのだから。


「とにかく、まあ。さっさと出たい」

「違いねえ」

「なんか、すみません」


 なぜか警らの青年が身を縮めて謝った。ねぎらってやりたかったが、セルマは上手く笑顔を作れなかった。そのとき。

 殴りつけたかと思う音を立てて、留置所の扉が開いた。外からの光が射し込んで、セルマは一瞬目を眇めた。


「セルマ!」


 聞き慣れた声だ。ターヴィだ。セルマは「おう、ターヴィ。出しに来てくれたのか。助かる」と言った。


「鍵を」

「えっ、あっ? はいっ」


 突然の『勇者』の登場に、警ら青年は鍵を取り落として慌てた。落ち着きなくじゃらじゃらさせてから、セルマの留置室を解錠する。格子戸を潜って出てから、セルマは肩を回して伸びをした。


「いやー、助かった、なんか突然とっ捕まってさ。あんがと」

「セルマ……!」


 両肩をがしっと掴まれる。驚いて見たターヴィの表情は、今にも泣きそうに歪んでいる。こんな顔でも綺麗なんだなあ、こいつは、とセルマは思った。

 じっとセルマの顔を見たあと、有無を言わせずにターヴィはセルマを抱き締めた。これは本気の腕力だ。セルマでも身じろぎすらできない。


「ちょ、ちょ、離せ。痛ぇわ」

「なんで逃げたの」


 耳元で切羽詰まった声が聞こえた。言われたことの意味がわからず、セルマは「なにが?」と尋ねる。


「待っててって、言ったじゃない。パレードが終わったら、話があるって」

「んー? そうだっけ?」

「そうやって、また煙に巻くんだろ」


 体を離して、ターヴィが床に膝を着いた。なにを始めるのかと思いきや、セルマを真剣な表情で見上げ、手を取り言った。


「もう、あなたには遠回しな言い方は無駄だと痛感した。だから今言うよ。セルマ。愛しています。どうか僕と結婚してください」


 留置所内が一瞬、しんと静まり返った。

 それから、どっと歓声と拍手が沸き上がった。

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