舟曳毛虫―ふなびきけむし―

宵

　目を焼く程に強く白い陽光が、橙色を帯び始めた頃。

　平浪とりんが囲む囲炉裏には、様々な海の幸が入れられた鍋が掛けられ、そのぐるりに何本も立てられた串打ちの魚が香ばしい臭いを漂わせている。

「そろそろ好（い）い加減だな。さ、たーんと食ってくれ。遠慮なんて無しだぜ」

「ありがとうございます。頂戴いたします」

　平浪が鍋から椀にたっぷりの具を取り分け、りんに差し出す。受け取った椀に口を付けたりんの細い目が、心持ち丸くなった。

「大変美味しゅうございます。これは、どういった料理なのでしょうか？」

「どういったも何も、魚だの貝だの海藻だのを適当に放り込んで、塩振っただけさ。そいつらから勝手に出汁が出るんだ。今日は奮発して、干した貝も入れてあるしな」

　りんが目を三日月に戻し、頷く。

「成程。これは良い語り種（ぐさ）になります」

「語り種？」

「はい。皆様のご信用を頂き難いのが旅暮らしの宿命ではございますが、珍らかな話などを披露いたしますと、知らない土地でも商売がやり易くなるのです」

「へえ、そんなもんかい」

「はい。例えば……」

　そう言って、りんは話し始めた。

　都のお大臣を襲った大雀の話。人の顔程もある大蝦蟇と猿（ましら）の幾日にも亘る死闘。玉（ぎょく）に閉じ込められた美しい花。天に昇った北の地の白狐。

　りんの話はどれも面白く、すっかり宴会気分になった平浪は濁酒の入った壺を持ち出すと、空の湯呑二口（こう）になみなみと注ぎ、それぞれ自分とりんの前に置いた。

「ああ、楽しくなってきやがった！　こういう時は酒だよな！　さあ、りんさんもじゃんじゃんやってくれ」

「感心いたしませんね、酒は傷によろしくないのですよ。仕方ございません、そのような身体に障るものは、わたくしが飲み干して跡形も無くしてしまいましょう」

　りんは常に笑いを含んだ口の端を更に持ち上げ、平浪に勧められるままに次々と湯呑を空ける。料理に舌鼓を打っては酒を干す。りんが語る。平浪も問われるまま、海の暮らしなどを聞かせる。

　酒の力のお陰か、彼等は――少なくとも平浪は――随分と盛り上がっていた。

　やがて、鍋の具も焼き魚も半分程に減って来た頃。

「にゃああ」

　小さな鳴き声と共に何処からともなく三毛猫が現れ、囲炉裏の一角に腰を下ろした。

「おや、可愛らしいお客様でございますね。何方からいらしたのでしょう」

「ああ、こいつは客じゃねえ、俺の飼い猫だあ。斑（まだら）ってんだよお。いっつもあの穴から出入りしてんだ。俺の娘……いや、妻みたいなもんさ、なあ、斑ぁ？」

「にゃあ」

　白い顔のままのりんとは対照的に、日焼けした顔を酒で赤黒く染めた平浪が、己の背後の壁を覚束ない仕草で指差す。よく見れば確かに、床の近くにようやく猫が出入りできる程の穴が開いている。

　りんは手にしていた湯呑を置き、居住まいを正した。

「斑様、と仰るのですね。お初にお目にかかります、平浪様のご厚意で一夜の宿をお借りしております『クスノキのりん』と申します。どうぞ、お見知りおきくださいませ」

「まったく、りんさんは丁寧だなあ。ほおれ、斑、お前も挨拶しろや」

「ふぁああ」

　斑は大きくあくびをすると、囲炉裏でこんがりと焼けている魚をじっと眺めた。

「ん、どれにするんだあ？」

　平浪に答えるように、斑は前脚でちょい、と一本の串を指す。

「待っとれー、冷ましてやっからよお」

　串に手を伸ばした平浪が、斑に負けない大あくびをする。そして、串を手にしたまま大の字に寝ころび、高いびきをかき始めてしまった。

「にゃああ！」

　抗議の声を上げる斑にばしばしと顔を叩かれても、平浪は一向に目覚める気配がない。一人と一匹の遣り取りを見ていたりんが、平浪の手から串をそっと取り上げる。

「気持ちよくお休みになっているのに、起こしては気の毒でございますよ。少々お待ちくださいませ、ただいまご用意いたしますから」

「……にゃあ……」

　不満気に尻尾を床に叩きつける三毛猫の為に、りんが空の椀に魚を解していく。

　皮と骨が除かれ、程よく冷めた魚入りの椀を目の前におかれた斑が、にゃあ、と一声鳴き、はくはくと食べ始めた。その姿を眺めていたりんが、おや、と小さく呟く。

　やがて、魚を平らげて満足気に前脚で顔を拭い始めた斑に、

「おみ足に怪我をされておりますよ」

　りんが斑の左脚の付け根近くを指さした。

「にゃ」

　斑が鬱陶しそうに鳴く。りんは首を振り、

「傷が小さいからと言って、侮ってはなりません。膿んでしまってからでは遅いのです。もしも貴女様が痛い思いをなさったら、平浪様の胸もさぞ痛むのではございませんか？」

「……に……」

「ご安心ください、わたくしは薬屋でございます。どうぞ、そちらでお楽になさってくださいませ」

　そう言って傍らの柳行李を開けると、中から布切れと小振りな瓢箪を取り出した。

「少々滲（し）みますが、堪えてくださいませ。その分、効き目は確かでございます」

「…………」

　しぶしぶと横になった斑の脚の上に、りんが瓢箪を傾けた。透明でとろみのある液体が、たらりと傷口に零れる。

「…………！」

「もう少しでございますよ。はい、もう、よろしゅうございます」

　うー、と小さく唸る斑の傷口を、りんが布切れで軽く拭う。斑はゆっくりと身を起こし、りんの前に小さな両手を揃えて座った。

「暫くはお舐めにならないように留意なさってください」

「……にゃあ」

「お気になさらず。宿をお借りする身、これくらいは当然のことでございます」

「にゃああ」

「はい。明日には発とうと思っております」

「に？」

「いえ、少々探し物がございまして。この辺りに流れ着いたのではと思っていたのですが、見当たりませんでした。明日はもう少し南の、河口に近い辺りを探してみるつもりでございます」

「にゃあ」

「そうですね、これ位の長さで、体の横に毛のようなものが生えているいきものでございます。もしかしたら極々僅かに、わたくしと似たような気配がするやもしれません」

「……み」

「ええまあ。近しいもの、と言ってもようございましょうか」

「…………」

　その時、平浪が「うーん」と唸って寝返りを打った。りんが口元に手を当て小声になる。

「つい燥（はしゃ）ぎ過ぎてしまいました。明日も早いことですし、わたくしもそろそろ休ませていただくことと致しましょう」

　りんは囲炉裏の墨を消壺に仕舞い、椀や湯呑を端に寄せると、

「それでは斑様、お休みなさいませ」

　平浪と少し離れた処にごろりと横になった。それを見届けた斑はとことこと壁に向かうと、小さな穴に細くしなやかな身を潜らせた。