世界でもっともクーラーを欲しがっていた男

木沢 真流「漂流病棟」GANMA!で連載

世界でもっともクーラーを欲しがっていた男

 タクヤは自宅のアパートでおいおい泣いていた。

「クーラーが……欲しかったのに」

 嗚咽を漏らし、うずくまるタクヤの前には水たまりができていた。それも畳の上に。これはきっと涙ではなかった。

「お前、これ……」

 俺が何となく全てを悟った時、もう全てが手遅れだった。俺はその様子を玄関からただただ眺めるしかなかった。


 タクヤは大学の同級生で、時々つるむくらいの友達だった。

「彼女ができた」

 半年前の2月、タクヤは嬉しそうに話した。

「どこで出会った?」

「この前行ったスキーで」

 大学のゼミメンバーでスキーにいく企画がそう言えばあった。俺は体調不良で行けなかったのだが、タクヤは見事に宝物を見つけたらしい。

「今度紹介するわ」

 そう言われて、タクヤの家に招かれた時、俺はその彼女と初めて会った。

「こんにちは」

 か細い声でつぶやく色白の美人だった。俺とタクヤの話に時々頷く程度で、自分からは多くは語らない、そんな印象だった。

「それにしても、この部屋寒くね?」

 まだ5月なのに、冷房がついていた。何気ない俺の言葉にタクヤは一瞬眉をしかめた。彼女も少し気まずそうにうつむいた。

「彼女暑がりでさ、俺はこのくらいがちょうどいいけど」

 へえ、と俺は返事をした。

 その後も彼女の話を大学ですることはあったが、不思議なことに外にデートに行くことはないようだった。

 7月になり、今年は異常ともいえる猛暑となった。なるべく外出は控えていたが、タクヤのそれは異常だった。出席しなければならない授業も欠席するようになった。メッセージアプリで「どうした?」と聞くと「暑いから」の一言。それと気になるのが「彼女が心配で」と。確かに暑がりだったけど、お前が家にいてどうなる? と突っ込みたくなったがそれ以上は何も言えなかった。


 それは今年一番の暑い夜だった。突然タクヤから電話がかかってきた。

「クーラーが……故障したんだ、クーラーを急いで持ってきてくれ!」

 俺はよくわからないまま家のクーラーを何とか取り外して、車に乗せた。

 タクヤのアパートに着いてみると、奴は泣いていた。そして目の前には水たまり。タクヤはしきりに何かつぶやいていた。

「彼女が……」

「彼女がどうしたんだ?」

 歯を食いしばりながらタクヤは声を漏らした。

「溶けちゃったんだよ」

 溶けた? 唖然とする俺はタクヤの前に佇む水たまりを見つめた。

「お前、これ……」

 核心をつくまえに、タクヤはぼそっと、 

「もういい、ありがとな」

 とだけ言うと扉を閉めた。


 暑さで溶ける色白の美女と聞けば、雪山の妖怪がまず思い浮かぶ。しかし本当にそんなことがありえるのか? 結局それ以上は聞くことはできず、卒業してからはもうタクヤとは連絡すらしていない。

 ただもし俺の想像が正しかったら、大好きな彼女が目の前で溶けていく姿を奴はどんな思いで眺めていたのだろうか? そんな想像をしてみると、タクヤはあの時、世界でもっともクーラーを欲しがっていた男に違いない。

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