第87話 第九階層 始まりの泉

 翌日、ようやく出発のときを迎えた。

 今日は水中ということなので、メエメエさんが用意した特別な服に着替える。

 黒いモフモフ服に袖を通してみれば、それはペンギンの着ぐるみだった。

 フードを被れば、ペンギンの口から顔が出ているような……。

 手足は普通の服と同じだけど、黄色い足ヒレをつけると、痩せたペンギンに見えるかもしれない。

 ちなみに手袋もつなぎと一体型で、黄色いイボ付き軍手だった。


 その姿を見た父様とルイスが吹き出して、すぐさま目を逸らしていた。

 その両肩が揺れているのを、僕は見逃したりしない!

 ぐぬぬぬぬ!


 メエメエさんをキッと睨みつければ、何でもないように答えるんだ。

「全身を覆う完全防水の防護スーツなんですよ。仮に龍にかじられても、その服を貫通することはありません。ナガレさんにカミカミ実験してもらいましたから、間違いないのですッ! 運動音痴のハク様の場合は、水中で服がもたつくと、身動きが取れなくなってしまうと思うんです。ラビラビさんと私で考え、植物園のお針子が夜なべして縫った力作ですよ! しかも、色は私と同じ黒です!! 種族は違いますが、こんなに素晴らしいブラックスーツはありませんッ!!」


 ほかにも何かあったんじゃない?

「ペンギンはかわいいじゃないですかッ!! ハク様は激痩せペンギンですがッ!?」

 かわいさを力説されたよ!

 人間の僕が、ペンギンと同じフォルムだったらヤバいでしょッ!?

 とりあえず、フードを被らなければ黒いモフモフつなぎ服だから、僕はあきらめることにしたよ。


 熱弁を振るうメエメエさんの背後に並んだ精霊さんたちも、お魚のアップリケがついたポンチョを着ていた。

 グリちゃんはワカメ。

 ポコちゃんはヒラメ。

 クーさんはクマノミ。

 ピッカちゃんはハリセンボン。

 フウちゃんはイルカ。

 ユエちゃんはホタテ。

 セイちゃんはカニ。

 特に意味はないらしいけど、みんなのお気に入りのようだ。

 全員で「むふーっ」と、誇らしげにアップリケを見せてきたからね。

 うん、かわいいね!

 頭をなでて褒めてあげれば、ほかのみんなに見せに飛んでいった。


 そのあとを追って、父様とルイスと一緒にテントを出れば、その場にいた全員に僕が笑われた!

 カレンお婆ちゃんが近寄ってきて、袖のモフモフ具合を堪能すると、ペンギンのフードをわざわざ被らせるんだよ?

「おや! かわいいね! あたしのひ孫にも着せてやりたいよ!」

 笑顔でメエメエさんを見つめる、その眼光が怪しく光った。

 メエメエさんも恩義あるカレンお婆ちゃんには逆らわない。

「承知しました! お好みのおくるみをご用意させていただきます!」

 張り切って宣言していたよ。

「そうかい! お願いするよ!」

 カレンお婆ちゃんはダンジョン攻略の危険手当を受け取ってくれないから、こういった要望にはなるべく応えたいよね。


「予算はお父上様からいただきますよ!」

「ああ、遠慮なく請求してくれ」

 メエメエさんと父様がうなずき合う横で、ヒューゴが頭を下げていた。

 ヒューゴの娘さん(キースのお姉さん)は、ガラス職人のアルバートさんと結婚して、現在妊娠中なんだって。

「生まれるのはまだ先なのに……」と、ヒューゴが頭をかいて苦笑していた。

「子どもが生まれることは、村にとっても喜ばしいことだ。服の二枚や三枚などたいした物ではないぞ」

 父様がヒューゴの背中を叩けば、横からルイスが顔を出して、「うちにもお願いするッス!」と、ちゃっかり便乗していた。

 ルイスのところも二人目が生まれる予定なんだってさ。

 ルーク村の人口が増えることは喜ばしいことだよね。


「そんな大事なときに、ダンジョンに来ていていいの?」

 ルイスの袖を引っ張って、コソッと聞いてみた。

「従士になった以上、家族は全員覚悟してるッス! それに今回も、全員で無事に帰りますから、心配ないッス!!」

 ニカッと明るい笑顔で言われた。

「うん、そうだね!  早く次を踏破してお家に帰ろうね!」

 ルイスの明るさに引っ張られるように、気持ちが上向いてきたよ!

「チャラ男のくせに、やりますね!」

 メエメエさんが背後で腕を組みながらつぶやいていた。



 最終チェックを終えて、いよいよ安全地帯を出発する。

 階段を下りた先には、小さなオアシスのような光景が広がっていた。

 泉を取り囲むように草木が生い茂り、燦燦と降り注ぐ日差しがまぶしい。

 ところが光の届く範囲は狭小で、よく見れば小さな箱庭のような空間だったんだ。

 奥は薄暗くかすみ、ここだけ強烈なスポットライトで照らされているように見えた。

 今までで一番狭い空間に、僕は目を丸くしたよ。


 先頭に立ったアル様が第九階層に足を踏み入れ、泉の近くに歩み寄っていく。

 全員がそのあとに続いて泉の際に立った。

「この空間自体は三十メーテ四方もないんだよ。見たままの箱庭だね。ここでは魔物もいないから、まだ気を抜いていても大丈夫さ。――――肝心の第九階層は、この泉の中にあるんだよ?」

 アル様が足元の泉を顎でしゃくって、おもしろそうに笑った。

 間際に立ってのぞき込めば、鏡のような水面に自分の姿が映っているね。

 背後の太陽光がキラキラと反射して、底は見えない。


 僕の頭上では、アル様とジジ様が会話している。

「それにしても、世界中のダンジョンを見てきたが、こんな場所は始めてだよ。普通の冒険者だったら、ここで攻略を断念するだろうねぇ……」

「その前に、普通の装備では第八階層を越えられないだろう」

 ジジ様が苦笑していた。

「まったくだね!」

 アル様の笑い声が、この狭い箱庭オアシスに反響した。


 確かにそうだよね。

 あれは奇跡的にクリアできたと言っていい。

 空飛ぶ船があったから、がむしゃらに突き進むことができて、運良くここに辿り着けたんだ。

 メエメエさんが肩口に寄ってきてつぶやく。

「ハク様の幸運力が最良の結果を引き寄せたんです。この先も自分の直感を信じて進んでください」

「うん。頑張るよ」

 僕らの声が聞こえたのか、顔を上げればみんなが力強くうなずいていた。


「どれ、我を先に行かせておくれ」

 大人たちの後ろからナガレさんがひょっこり顔を出して、僕の横にしゃがみ込むと、いきなり泉に顔を突っ込んだ!?

「えぇッ!! ナガレさんッ!?」

 マジでギョッとした!

 だって完全に首まで水中に沈んで、そのまま前に転げてしまいそうな体制なのに、ナガレさんは泉の端で器用にバランスを取っているんだもん!

「さすがナガレさん! 素晴らしい体幹ですッ!!」

 メエメエさんが絶賛していた。

 そういう問題なの??


 だってこの中が第九階層なら、いきなり顔に魔物が食らいついてくる可能性もあるじゃない?

 ナガレさんは大丈夫なの??

 ひとりアワアワする僕を見て、アル様が目を細めていた。

「やぁやぁ、大丈夫だよ。始まりのこの辺に魔物はいなかったからね! なぁに、事前に素潜りで確認したから間違いないさ!」

 えぇ?

 アル様が笑顔で教えてくれたけど、怖いもの知らずな行動だね!


 豪快に笑って応えるジジ様も、正直どうかと思う。

「おう! なかなか綺麗な海だったぞ! だが鎧を装備して潜るには、動きが制約されてしまってな! この辺を探っただけで終わったわい!」

 ジジ様は重装備のまま飛び込んだらしい。

 何してるの?


「今回はラビラビさんの装備で、どのくらい動きが変るか楽しみだねぇ!」

「まったくだ!」

 脳筋族の皆さんはウキウキ遠足気分だね!

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