4章:噂の悪魔

29. 本音と建て前

 人には本音と建て前という物がある。

 そして人は平気で嘘を吐く。

 更に言うと、自身が言っているそれが嘘か本当か、自分ですら分かっていない場合も多々あるのだ。


 ……幼い頃の私は、その事を全く理解出来ていなかった。


「そう。それは大変だったわね」

「雅ちゃん本当に言ってたんだよ? 来ないで欲しいって。だから柚子ちゃんが行こうとしてるのを止めてあげたの。……なのに」


 それは友達の雅ちゃんのお誕生日会での事だった。その子はクラスメイトの柚子ちゃんにも是非来て欲しいと口では言っていたが、その目や仕草からは来ないで欲しいという意志が見て取れた。

 でも柚子ちゃんはそれに気付けなかった様で、お誕生日会に行こうとしていたのだ。だから私は柚子ちゃんに「雅ちゃんは柚子ちゃんに来ないで欲しいって言ってたよ」と教えて上げた。

 そこからはクラスの女子グループ全体を巻き込んでの大騒動だ。私が嘘を吐いて柚子ちゃんを仲間外れにしようとしたと皆から責め立てられ、皆が私を無視するようになった。

 私はその事をポロポロと泣きながら母に話した。


「人ってね、必ずしも心の中で思っていることをそのまま言えるわけじゃないの。本音を言うと角が立ったり、相手を傷つけたりすることがあるから、つい違うことを言ってしまうこともある。それがいわゆる建て前ってやつでね、上手くやっていく為のちょっとした嘘みたいなものなのよ」

「でも雅ちゃん、来ないでってちゃんと言ってたよ?」

「う~ん。玲子にとっては口で言う言葉も、仕草で表現する言葉も同じに聞こえちゃうものね。……あの子はどうやって聞き分けられる様になったのかしら」

「?」


 母が言うように、幼い頃の私は口でいう言葉も仕草で表現する言葉も同じに聞こえていた。母はそんな私に『玲子のそれは他の人が持っていない特別な才能なの』と言っていたが、その頃の私にはその意味が全く分からなかった。

 私と私以外で聞こえている物や見えている物が違う。その事に気付けていなかった私は、人とのコミュニケーションで度々トラブルを起こしていたのだ。

 幼稚園の頃など、迎えに来た母に『先生ね、お母さんの事好きだって』と先生の前でぶちまけてしまった事がある。あれは本当に申し訳ない事をしたと今では反省している。……あの時の凍り付いた先生の顔と、笑顔を引きつらせる母の顔を今でも鮮明に覚えている。

 

 それでも、年齢を重ねる毎に母の言っていた意味が少しずつ分かるようになっていった。

 構って欲しいのに格好つけてツンケンする人がいる。優しさを振りまきながら相手との環境の差に優越感を覚えている人が居る。何故か本音で話さない所為で無駄にすれ違っている2人が居る。

 学校という狭いコミュニティの中でも様々な人と出会い、その中で『他人と自分の差異』や『本音と建て前』の意味に気付いては覚えていき、そうなって来ると過去の自分の行いで何が悪かったのかも分かるようになっていったのだ。

 ……それと同時に、私には人が『愚かな者』『滑稽な者』『くだらない者』に見えるようになっていった。


「玲子。頭が良くて色んな物が人より見える貴女には、周りが愚かな人達で一杯に見えるかもしれない。でもね、世の中そんな人ばかりじゃない事も知って欲しいの。そして、決して一人にはならないで。……一人になるのは、その人本人も、その人を見守っている人にとっても、とても辛い事だから」


 それは私が中学に上がる頃、人に向ける視線がどんどん冷めていく私に言った母の言葉だった。

 そう言う母の顔には寂しさと悲しさと後悔の感情が見て取れた。


 そうして私の中学校生活が始まる。

 愚かで滑稽でくだらない者達を扇動する楽しさを知る事になる、中学校生活が……。

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