第40話 隣国ジナステラ領

「まあまあ遠くからようこそいらっしゃい」


 俺たちを出迎えたのは、黒髪の美女。ちょっとグレイヘアが混じっていることを除いては、ディートリント様と瓜二つだ。


「お母様、お久しぶりね」


「お義母様、ご無沙汰しております。こちらが僕たちの長男、アロイスです」


「…まーま?」


「あらあらあら!」


 アロイス様は、お母上とそっくりの祖母そぼ上に混乱しているようだ。ディートリント様から受け継いだ黒髪に、アレクシス様の甘い顔立ちと碧眼。抱き上げられると、にぱっと笑う。将来はレディキラーになるだろう。ベルント様と俺も丁寧に挨拶したが、アロイス様にデレデレでおざなりな返事である。


「あー、コホン。ギルベルタ。その」


「さあさ、みんな疲れたでしょう。早くお入りなさい」


 最後にもじもじしながら声を掛けたディートヘルム様に至っては、完全無視だ。ほほほ、と笑いながらくるりと踵を返し、邸内へ入っていく。かつて彼ら夫婦の間に何があったのか。薄ら寒い出迎えとなった。




 

 ここは隣国グロッシ帝国ジナステラ領、ガルヴァーニ侯爵家の別荘。のどかな丘陵にある保養地だ。ここに先々代のガルヴァーニ侯爵夫妻がご健在で、そこにご息女である前デルブリュック公爵夫人のギルベルタ(帝国風に呼べばジルベルタ)様が見舞いと称して、七年くらいお住まいなのだそうだ。公爵家の家督がご長男のディートフリート様に移譲され、次代のエーミール様が七歳の洗礼を済まされてすぐ、「もう役目は果たした」とばかりにジナステラに引っ込んだらしい。それって熟年離婚———


「長年夫婦生活に我慢した挙句、夫に愛想を尽かして実質の離縁。いわゆる熟年離婚ってやつですわ」


 ディートリント様、火の玉剛直球。やめたげて。お父上、泣きそうだよ?


「ほほほ、異なことを言うのね。初顔合わせで『これは政略結婚、お前を愛することはない』なんておホザきになったのは、そちらの殿方ですのよ?」


「うぐッ」


「しかも連日鍛錬鍛錬で碌に執務もこなさず全て丸投げ。幸い家宰が難なく取り仕切ってくれましたけど、右も左も分からない妻を放っておいて部下と一緒に飲み歩き」


「ぬぐっ」


「男には男の付き合いがあるんだ、口出しするなと言い放ち、そのくせ口紅をべったりと付けて帰宅してはべろべろのままさかって来られましても」


「ふぐぅッ…!」


 オッサン、ダメダメじゃん。スリーアウトチェンジどころか一つ一つがレッドカードだ。よくある恋愛小説のダメ男エピソードを寄せ集めて固めたみたいな。


「母上に逃げられてから、毎晩毎晩『好きだったんじゃぁ、恥ずかしかったんじゃぁ』なんて泣き上戸で絡まれる娘の身にもなって下さいまし」


 つんと澄まして紅茶に口を付けるディートリント様。えぐえぐと滂沱する58歳児。残りの男三人は俯きがちに視線を合わせ、「ヘタレか」「ヘタレだな」と目で語り合う。塩を振られたナメクジのようにしおしおとしおれたお祖父様がちょっと気の毒だ。まあ自業自得とも言うけれど。


 一方ギルベルタ様は、アロイス様に首っ丈だ。ご両親が知性派なだけあって、アロイス様は御年おんとし二歳にもかかわらず非常に利発なお子様である。これまで孫はご長男のディートフリート様とご長女のディアナ様のところに二人ずつおいでだが、長男の子は内孫なだけあって嫁に気を遣う。ディアナ様は国王の正妃、おいそれと参内することは叶わない。そこでアロイス様だ。ディートリント様はアレクシス様ことアルブレヒト伯爵に降嫁したとはいえ、アレクシス様は実質婿養子のようなもの。遠慮なく可愛がれる孫というわけだ。


 しかもここジナステラは、帝都から離れているとはいえ交易の要衝、帝国内では第二都という位置付け。そもそも元は一つの王国だった。そこに封地ほうちされたガルヴァーニ家は、帝国屈指の有力貴族である。領地経営はからっきしのディートヘルム様に嫁ぎ、デルブリュックを盛り立て繁栄に貢献したのは、ギルベルタ様の手腕の成せるわざだ。そしてそのガルヴァーニの血は、現デルブリュック公ディートフリート様、コルネリウス王国正妃ディアナ様、そして学園でアレクシス様としのぎを削ったディートリント様の知性に息づいている。そしてそのお子様、アロイス様にも。


「この子はデルブリュックに染めてはなりません。是非こちらで養育なさい」


 ギルベルタ様、堂々のアロイス様育成宣言。しかし、


「もう手遅れですのよ、母上。この子には既に、英才教育が施されていますの」


「なんですって!!!」


 気色けしきばむギルベルタ様が立ち上がる中、その場のみんなの視線が俺に集まる。えっと?


「今回わたくしたちがジナステラに出奔する羽目になったのは、この子が原因ですの」




 その後はもうなし崩しだった。まず手始めにタブレットモドキ、ドライフルーツから各種スイーツ。この二年で、俺の料理スキルはかなり上がった。アルブレヒト邸とデルブリュック城の料理長とはマブダチだ。王城には、王族のプライベートな料理長に限って秘密裏にレシピを渡してある。これらの情報はガルヴァーニ家でも既に把握しているが、まさか全ての元凶が俺だなんてということで(功績は全て周りの大人たちに押し付けて来たので)、ギルベルタ様はひどく取り乱している。


「まさかそんな…それでは炭酸水とやらも」


「この子が」


「ひょっとして魔法陣も?」


「ええ、この子が」


 ああ、白目でプルプルする姿がディートリント様と瓜二つ。間違いなく親子だ。一方祖母そぼ上の膝の上で退屈したアロイス様はタブレットモドキに難なく魔力を注ぎ、菓子パン戦士の物語に釘付けだ。一体このアニメは、どうして低年齢の子供を虜にするのか。


「絵画が動くなんて…」


「軽快な音楽に見たこともない調理パンの擬人化。しかもしれっと勧善懲悪の教訓が盛り込まれていますのよ」


「なんて恐ろしい!こうしてはいられないわ!」


 ギルベルタ様はがばりと立ち上がり、先々代ガルヴァーニ夫妻を呼びに部屋を出て行った。侍従や侍女に任せればいいのに、緊急事態的な?


「他人事みたいな顔をしているな」


「ええ、まったく」


 残されたみんなの視線が俺に集まる。ええ…全部俺のせいじゃない、よな?そうだと信じたい。

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