第39話 外交特使

 俺たちはまず、西の帝国を目指した。帝国にはディートリント様のお母上がご健在だ。


 そう。先代ディートヘルム様の奥方は、お元気でいらっしゃる。彼女は実家のご両親が老齢なため、見舞うと言って帝国に帰還した。それから帰られないだけなのだそうだ。


 それって捨てられ———


「捨てられましたのよ」


「違う!捨てられたんじゃないわい!」


 相変わらず駄々っ子な58歳イヤイヤ期。少年のような純粋さを持つ男はモテるらしいが、ここまで少年を拗らせるとちょっと処し 難いものがある。


「お義父とう様とお義母かあ様が、お互い信頼し合ってるからこそだよ」


 アレクシス様が苦しいフォローを入れるが、目が泳いでいるのはなぜなのか。そしてベルント様は我関せずを決め込んでいる。


「まあアレクの家からすれば、信頼関係があると言っても過言ではないかもしれないわね」


 冷たい空気が流れる。なんだ、この状況。


 なおアレクシス様とディートリント様お二人のお子様ことアロイス様(御年二歳)は、デルブリュック公爵家に預けられている。預けられていると言っても旅の途中に頻繁に転移陣で帰るし、なんなら普通にお子さんを連れ出して観光していたりする。そもそも旅といっても、実際に移動するのは公爵家の馬車だけだ。馬車はお忍び用の目立たないもの。御者と従者は信用の置ける家人のみで構成。詳細な仕組みまで打ち明けたわけではないが、彼らは俺たちが好きな時に馬車に出入り出来ることを知っている。もちろん彼らにも定期的に解放し、公爵領に繋いで交代で休みを取ってもらっている。


 転移陣は、全属性の魔術スキルが必須なのと、莫大なMPを消費するのがせめてもの救いだろうか。秘密を知ったところで、誰でも通れるわけじゃない。アレクシス様でさえレベル3、10分も開いておくのが精一杯なのだ。悪用される恐れはほとんどない、と思いたい。


 というわけで、俺たちは時々馬車に転移して外の様子を伺いつつ、ほとんどの時間を狭い1LDKでだらだらと過ごしながら、帝国への旅を続けていた。




 しかし、大人四人に子供二人で1LDKは狭い。どうやったって狭いのだ。


「確かに狭いですわね。しかしこのコタツが心地良すぎて出られないのよ」


 ディートリント様のおっしゃることも一理ある。現代日本人とて、一度取り込まれると二度と脱出の叶わない、魔の魔道具コタツ。社畜一人暮らしのお供だ。当然一人用なので小さめなのだけど、そこに大の大人が四人も刺さって、アロイス様は誰かの膝の上、俺は端っこにそっと陣取るのみ。納得いかない。ここは俺の部屋なのに。


「それぞれ客間を作ってあるんだからそっちに行って下さいよ。コタツも追加で作ってもらったんですから」


「嫌じゃ。わしゃこの部屋が気に入ったんじゃい」


「何でも手の届くところにあるっていいね☆」


 ベルント様に至ってはガン無視だ。一見常識人に見えて、何かにのめりこんだら彼が一番ヤバい。


 コタツの上にはみかん…とはいかない。まだみかんほど皮が薄く糖度の高い柑橘を見つけるには至っていないのだ。しかし王都のアルブレヒト伯爵邸からは随時カットフルーツが。そしてウォーターとファイアの生活魔法を仕込んだ給湯ポットにお茶、それからガラス工房で量産したガラス瓶。ウォーターとウィンドを組み合わせた魔法陣の上にセットすれば、炭酸水が自動で出来上がる。そこにクラフトコーラの素を入れて攪拌すれば、念願のコーラの出来上がり。


 このコーラの素を作るのはめちゃくちゃ難儀した。最初は甜菜糖と生姜でジンジャーエールの素を作り、これが大ヒット。これならコーラだって作れそうだと気を良くして、いくつかのスパイスを組み合わせて色々試行錯誤してみたものの、連戦連敗。なんとかそれっぽいものを錬成したけど、どうも未だにコレジャナイ感が拭えない。アレクシス様には刺さったみたいだが。


 そんな俺たちの食卓を大きく塗り替えたのは、短粒種ことジャポニカ米だ。


 危険なタブレットモドキの文化汚染を逆手に取って、外交カードにしてしまった。王家の舵取りには脱帽だ。俺が何気なくやらかすたびに、アルブレヒト夫妻やデルブリュック家、王家の皆様には毎回見事にフォローしていただいている。そして秋津国から待望のお米と味噌、醤油の三点セットだ。喜びに震えが止まらない。


 外交特使として国を出奔したのは、秋津に足を運びたいという野望もある。あっちに転移陣を仕込めば行き来自由、和の食材を輸入し放題だ。もちろん商人さんの商売の邪魔をしてはいけないので、その辺は向こうの首脳陣と友好関係を結び、慎重に詰めなければならないが。


 とにかく、米は手に入った。俺は喜び勇んで倍々に増やし、炊いて炊いて炊きまくった。炊いたそばから握って握って、夢のおにぎり食べ放題だ。今のところ、塩おにぎりと味噌おにぎり、鮭おにぎりと焼きおにぎりのみ。しかし俺のDNAが歓喜に叫んでいる。


「このッ(もっもっもっ)味噌というのが(もっもっもっ)素朴でたまらんのう(もっもっ」


「いやだなぁ義父ちち上。鮭が最強に決まってますよ☆(もっもっ」


「焼きおにぎりの香ばしさは格別ね!(もっもっ」


「邪道だ。シンプルに塩こそ至高…(もっもっ」


 あっれぇ。握った側から大人たちに奪われ、俺の口に入らないんですが。


「固いことを言うでないわ。そら、ちゃっちゃと殖やして炊けばよかろう(もっもっ」


「ほーらアロイス、美味しいわね。やっぱり焼きおにぎりよね?」


「いいや鮭だよね?」


 しかしアロイス坊ちゃんは焼きおにぎりも鮭おにぎりもそっちのけで、きゅうりの浅漬けをボリボリしている。お子様向けの薄味にしたところ、おハマりになったようだ。彼はきゅうりだけでなく、畑のトマトや果樹園の桃を捥いで食べたり、花壇の花の蜜をちゅうちゅうしたり、ワイルドな草食系男子だ。


「素材の味がお分かりになる。さすがアロイス坊っちゃまだ」


 ベルント様は、アロイス様をべったりと溺愛している。俺のことを「お父様だよ」と言い出さなくなったのは良いことだが、主君のお子様にデレデレしている場合ではない。ベルント・バッハシュタイン30歳、完全に婚期を逃がして絶賛独身貴族中。いや、縁談はまだまだ山のように舞い込むんだけど。

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