第16話 偽書

 研究室の本棚の上の方に、その本はあった。


 貴族的な基本学習が進み、難解な文章も少しずつ読めるようになった。相変わらず蔵書の数々は、回りくどい表現で読みにくいったらありゃしないが、古語を習い始めてしばらくして、『魔法陣大全』という単語が目に入った。魔法陣、超胸熱。


 メイドに頼んでその本を取ってもらう。まだ古語の学習は始まったばかりで、書いてあることのほとんどが読めない。メイドにも聞いてみるが、なんていうか、一通りの貴族向けの教養程度では歯が立たなさそう。受験用に古文を習った高校生に、ノーヒントで古文書を読ませるような感じである。家庭教師の先生も、専門分野ではないから、じっくり翻訳すればできなくもないが、読みやすいように訳すまで半年はかかるだろう、とのこと。


 先生に「ちなみにこれ、禁書じゃないんですか大丈夫ですか」とガクブルされながら聞かれたが、アレクシス様によれば、この本を完全に読み解いた人も、この本に書いてある魔法陣を実際に起動させた人もいないから、偽書扱いなんだそうだ。魔法学のゼミの教授室で、アレクシス様が見つけて興味を抱いたところ、教授に「ああそれ偽書だよ」ってことで貰い受けたらしい。教授の先生も、そのまた先生も、同じようにして転々と巡って来た、いわく付きの本らしい。


 魔法陣は、ちょっとオカルトっぽい感じ。複雑な図形に、文字のような紋様なものがびっしり書き込まれている。よくアニメで空中に魔法陣が浮き出てくるCGが使われるが、手書きで多少いびつなせいで、ものすごい本物感と胡散臭さがある。一体これ、何の魔法陣なんだろう。なんとなく、思いつきで鑑定を掛けてみると、思いがけないことが分かった。


『熱、出る→火、おこる→火、点く』


 複雑な図形の複雑な模様、そのうちの小さな文字のいくつかが、翻訳付きで光って浮かび上がってきた。他の図形や文字のような記号、全部おまけ。


 古文書の中身についても、同様に内容が明らかになった。


『ひ、を、つ、け、る、ま、ほ、う、☆』


 全部縦読みかよっ!!!最後の☆が最高にムカつく。歴代の教授陣、この☆マークが何を意味しているのか、全然分からなかったのだ。


 結局最後まで鑑定のお世話になって、解読してみた。この本の元々の原書は、古代エルフの学生のノートの写しのようだ。誰かが遺跡から発見して、それを忠実に書き写した、その何冊かのうちの一冊。写本にするにあたり、文字が変形して意味を成さなくなったり、一部筆耕ひっこうによる注釈みたいなものが挿入されている。一連の文書の最後に「ねこだいすき」と書いてあるのは、何か偉大な魔法のキーワードに違いない、と考察されていた。それ、縦読みのお約束だから。あと「ズッ友だョ」とかは他所でやんなさい。授業のノートでしょコレ。


 なお、魔法陣の端っこの端っこ、目立たないところに『♡←ココ』と書いてある。試しにハートマークに魔力を注ぐと、ポッと火が灯った。燃える燃える!本燃えちゃうから!




 慌てて消火し、他のページの魔法陣も試してみて、分かった。


『コマンド→コマンド→コマンド ♡←ココ』


 これで、魔法陣が出来上がるということ。♡マークはどんな記号でもいい。たったこれだけで魔法が起動するのは危ないので、見る人が見ないと分からないように、図形や模様で囲ってカモフラージュする。これが、魔法陣である。


 なお、古代エルフ語でないと魔法陣が発動しないかといえば、そうではなかった。羊皮紙を用意し、日本語でコマンド→コマンド→コマンド ○←ココと書いて、○に魔力を注いだところ、実にちゃんと起動した。多分この世界の現代語でも行けるだろう。だが、コマンドの部分に自分の使えないスキルを挿入すると、そこから先は発動しないようだ。


 という報告を、アレクシス様とベルント様にすると、二人とも疲れたような表情で真っ白になった。まずどこからツッコんでいいか分からないらしい。やめてよ、俺だって呆れてるんだから。そして改めて「鑑定スキルなんて聞いてない」ということで、大変にお叱りを受けた。あれ、言ってなかったっけ。てへぺろ。


 まあ、魔法陣の中身が解読できたとして、結局自分の所持スキルと魔力に依存するわけだから、自分のスキルを自分の魔力で順番に行使するのと変わらない。ただ、いちいち呪文を詠唱したり、スキルを思い浮かべて起動させる、その手間が省けるだけだ。まあ、それはそれで便利といえば、便利なんだけど。


 魔法陣、思ったよりロマンがなかった。お蔵入りかな。




 と思ったが、アレクシス様とベルント様が「こうしてはいられない」と、夜だというのにまた魔術師団のオフィスに戻っていった。これを使うと、誰でも生活魔法を組み合わせたスキルが使えるようになるからだという。


 すっかり忘れていたが、以前村に来た徴税官は、あの後本当に宮廷魔術師団の所属になってしまった。だが彼には大した魔力もスキルもない、ただ辺境の村でクリーンの魔法を教えてもらっただけで、自分でもよく分からない仕組みを根掘り葉掘り聞かれ、少ない魔力量で魔力実験に付き合わされ、実験がない時には会計の仕事をしながら、ハードな毎日を送っているそうだ。彼は繰り返し「おうちに帰して…」と嘆いていたので、周りが気を利かせて家族を王都に呼び寄せたところ、妻も子も王都での生活をいたく気に入り、「もうこのまま王都に住んじゃいましょうよ」ということになったらしい。下手にクリーンの魔法が伝わったせいで、一人の人生を狂わせてしまった。


 だが、クリーンの魔法は水・光・火・風の4属性を同時発動する複雑な生活魔法で、これまで人によって属性は固有だとする説を大きく覆す。しかも、生活魔法レベルなら誰でも望んだ属性を行使できて、それを繰り返し発動することで本格的に各属性魔法に発展していくこと、一定の条件を満たせば他の属性の魔法まで習得できること、魔法を使えば使うほど魔力量は増えていくこと、これらが世間一般に知られてしまえば、大混乱が起こる。


 現に、あの辺境の村の村人は、下手な宮廷魔術師よりも多くの属性に、豊富な魔力を備えていた。誰でもあんなになってしまうと、混乱どころの騒ぎではない。今や宮廷魔術師の若手ホープのアレクシス様が、一人で戦略級の戦力とされているのに、同じような奴が既に辺境にゴロゴロ存在するのだ。彼らが膨大な魔力を農業に全振りしているのが幸いである。なお、彼らは魔力だけでなく、物理的戦力としてもその辺の騎士より遥かに強いのだが、これ以上頭痛の種を増やしてはならない。




 というわけで、クリーンのスキルを一から分かりやすく説明して広めると、世間的にものすごくよろしくない。だが、人々の生活の衛生面を向上させることは、非常に重要なことである。ならば、スキルそのものの取得方法を秘匿したまま、魔法陣を普及させれば良いのではないか。当然、魔法陣の肝となる「コマンド→コマンド→コマンド ○←ココ」この部分はブラックボックスにして、複雑な図形の魔法陣として発表してしまえばいい。


 この世界の現代語では、誰かが解読してしまうかもしれないため、俺が古文書を参考に


「ウォーター→ライト→ファイア→ウィンド ○←ココ」


とカタカナで書き込んで、とりあえず即席ナンチャッテ魔法陣を完成。これを持って、彼らは城へ走っていった。この魔法陣を、それとなくそれっぽい形にして、発表するそうだ。


 なお、この魔法陣の功績は、例の元徴税官になすりつける予定らしい。彼は既にクリーンという未知のスキルの発現者として宮廷で認知されている。きっと今回の功績で爵位でも与えられて、本格的に宮廷魔術師団からは逃げられないだろう。徴税官さん、君の犠牲は無駄にはしないよ…。

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