1匹のチーターたちへ

@shkylz5

第1話

冬の朝、凛とした空気が陸上トラックを包んでいた。吐く息は白く、靴底が凍った地面を踏みしめるたびに音を立てる。陸上部の朝練が始まる。久しぶりの部活だ。私は重たい体を引きずるようにして校庭を歩き集合場所に向かう。

私は小さい頃から陸上が好きで、中学から続けてきた。中学では陸上部のエースとしてリレーのアンカーを務めたり、関東大会に出場したりもしていた。走ることが好きだから引き続き高校でも陸上部に入部したが、最近はどうも気持ちが乗らない。陸上部の仲間たちとの関係に悩んでいたのだ。特に、鈴とはここ数ヶ月、ぎくしゃくしている。いや、私が勝手にそう思ってるだけかもしれない。


鈴は私の陸上部の唯一の女友達だ。毎年陸上部にはたくさんの部員が入部するが、なぜか今年は私と鈴の2人だけだった。同じ短距離の選手でもあったため、必然的に共に過ごす時間が長く、クラスは違うけれど高校内で1番仲のいい友達だと思っていた。夏までは。



「雪乃、おはよぉ。」眠そうな声が背後から聞こえてきた。振り返ると、クラスメイトの帆乃香が眠そうに目を擦りながらこっちに歩いてくる。彼女はマネージャーとして主に長距離を支えてくれている。私は足を止めた。


「おはよう、帆乃香。今日も寒いね。」


「ほんとだよぉ。じっとしてたら寒いから、私もみんなと一緒にジョギングしようかな。短距離は今日なにするの?」


一瞬嫌な感じがした。今日は200mを5本3セットだ。メニューのキツさだけはもちろんだが、それ以上に鈴と一緒に練習するのが気まずかった。だがそんなことは誰にも言えず、帆乃香にはにこやかにメニューを伝え、「頑張ろうね。いつもりがとう。」とだけ伝えた。


練習が始まった。リレーメンバーの私と鈴と先輩2人はバトンを持ちながら1列に並び、ジョギングを始めた。2走目の鈴は1走目私の前を軽やかに走っている。なにやら鈴と先輩たちは楽しげに話しているようだが、1番後ろの私は何を話しているのかあまり聞き取れないし、会話に入っていいのかも分からない。あぁ、また1人か。今日は頑張って部活に来たのになぁ。


最近、二人の関係が悪化した原因は小さなことだった。私たちがまだ1年生だった去年の夏、地区予選で鈴が私の記録を超えたのだ。それから、今まで私にも鈴にもアドバイスをしてくれていた先輩たちが、鈴にしかアドバイスをしなくなった。そこまでは耐えられた。

2年生になった4月、新1年生が入部してきた。私は周りのひとに頑張りを認めてもらって、鈴みたいに先輩と話せるようになりたいと思い、1年生の教育係に就いた。毎日準備するものやメニュー指示、仮入部が終わったあとのLINEでの挨拶など、自分なりに頑張っているつもりだった。でもある日、鈴と一緒に準備をしていると先輩から言われた言葉は

「鈴いつも1年生をまとめてくれてありがとう。」

目の前が暗くなった。胸がぎゅっとなった。言葉が出なくて、目頭が熱くなるのを感じた。

私は、私は。鈴よりも1年生を見ている私は。目の前にいる私は。何も言って貰えないのか。こんなに頑張っているのに。

そして私の心は限界を迎えた。こんなに寂しい思いをするなら、勉強してた方がマシだ。そう思うようになって、私はリレーメンバーであるのにも関わらず、部活を休むことが増えてしまった。


「雪乃、久しぶりに来たね。」

ジョギングが終わると鈴が私に話しかけた。さすがにどんなに辛くても、リレーメンバーであるかぎり部活に出ないといけないよなと、今日は勇気を振り絞ったのだ。思わず冷たいバトンを強く握る。

「うん、最近行けてなくてごめん。」

私は答える。きっと鈴は私の苦しさなんて知らないんだろなと思った。1番仲がいいと思っていた人が私を苦しめる原因になるなんて。誰にも相談できていなかった。


孤独感を感じるようになって1年。ずっと辞めたいと思っていたが、人生に1度の高校生生活を部活なしで過ごすのはなんだかもったいない気がして、ずるずるこの気持ちを引きずっていた。

私は1匹のチーターだ。この間読んだ生物の教科書の付録に書いてあったのだが、チーターは基本単独行動をするらしい。


水を飲んでいると鈴と先輩たちが肩を組んで移動する。私は呼ばれなかった。まるで柵を立てられたようで、今回の部活も黙々と1人で行った。


もう限界だ。

「明日、少し話せる?」

練習後、LINEで文字を打つ指はかじかみ震えていた。鈴と直接話したいと思ったのだ。

「いいよ、公園でいい?」



翌日、二人は静かな公園で向かい合った。雪が積もり、世界が静まり返ったようだった。いざ対面すると自分は何を話したかったのか頭の中がごちゃごちゃで、真っ白になる。


「あーごめん、ちゃんと何話すか考えてくればよかったー!」

笑いながら、恐怖を隠すために、必死に間を埋める。昨晩ずっと話したいことをまとめようとしていたけどやっぱり不安で、それを実行することを妨げていた。

「最近部内で避けられてる気がするんだよね。」

もうなにがなんだか分からなくなって、単刀直入に言ってしまった。

それに対して鈴は

「あー。」となにか心当たりがあるような感じで答えた。それから、

「私、雪乃の悪口言ってた。」


心が凍った。鈴は、私の苦しさを知らなかったんじゃなかった。正直、どこかで鈴を信じていた自分がいるから余計に辛かった。

「後輩ができたのに全然部活に来なくて、責任感ない所が嫌いだった。私、雪乃のこと嫌いだった。」

言葉が出なかった。でも話し合って、私たちはすれ違っていたことが分かった。私は部内で鈴ばかりちやほやされているのに寂しさを感じたことが発端で部活に行きずらくなったが、それが余計に関係を悪化させたのだ。


しばらく2人の間に冷たい空気と沈黙が流れたあと、互いに今までの本音を言い合った。

私は勇気をだしてこう言った。

「もう一度、私たち一緒に走ろう。お互いを高め合える関係に戻りたい。」

鈴は「私もそう思ってた。これからもライバルであり、友達でいてほしい。」と応えてくれた。


公園を出る時に、「キスでもしとく?」と鈴が冗談を言った。夏前までのように、その日やっと久しぶりに自然と笑うことが出来た。

道端に積もった雪は、太陽に照らされ溶け始めていて、少し緑が見えた。




その日から、私と鈴の間にあった壁は消え、二人は以前にも増して互いを励まし合いながら練習に打ち込んだ。冬の寒さが少しずつ和らぎ、春が近づいてくる頃には、二人はチームの中心として活躍していた。


友情は時に困難を迎えるが、乗り越えた先には強い絆が待っている。直人はそう実感しながら、再び陸上に情熱を燃やすのだった。


そんなある日、こんなニュースを見た。

「アフリカ・ケニアでは5頭もの群れで暮らす非常に珍しいオスのチーターたちが見つかりました。」

まるで私のようだと思った。私はもう1匹のチーターじゃない。

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