第2話

 人間、追い詰められたら妙なことを思い出すものだ。俺はさっきまで野崎の家にいたんだ。野崎は会社の主任。直属の上司だ。もう上司だった、と言う方が正しいけどな。野崎は俺に向かって怒号と悲鳴を交互に浴びせてきていたから瞼をつまんで眼球に唾を入れてやったら、もっとうるさくなったよ。

 野崎は、俺をさんざんいじめてきた。野崎の責任をすべて俺のせいにされてきた。俺は耐えた。やっとの思いで就職したこの会社から離れれば二度と就職できないと思ったから。

 しかし、状況が変わった。俺は横領の疑惑を野崎によってかけられた。

「野崎さんじゃないんですか。真犯人は」

 野崎は反抗してきたことが予想外だったんだろうな。普段いじめて言うこと聞くしかない俺が反抗するなんて。見ていて恥ずかしくなるくらい顔を真っ赤にして怒鳴ってきたよ。

「そんなに俺を犯人扱いしたいなら、証拠を出せよ、証拠。もし証拠が見つかったら切腹してやるよ」

 切腹――

 俺は昔、生き物たちの身体の中身を出していたことを思い出したよ。

「わかりました。切腹ですね」

 俺はすぐにスマホで貯金残高を調べたよ。二百万弱あった。趣味も特になかったからな。安い家賃のアパートに住んで彼女もいないし。だから探偵事務所に行った。野崎の不正の証拠を暴いてほしい。二百万円全部出すからこの費用でできる限りのことをしてくれって。

「お代はあとでいただきます。まずは野崎という人の情報を詳しく教えてください」

 探偵というものはどこかぼったくりするもんだって思ったけど、そんなんじゃなかったな。俺が行ったところがたまたま良い人間だったのかもしれないけどな。結論から言うと、野崎の不正の証拠は簡単に見つかったそうだ。会社の人間をお金で買収したら野崎の不正が次々とリークしてきたそうだ。最後は防犯会社の人間を買収して、野崎が横領している証拠の動画を手に入れた。

 翌日俺は一時間前に野崎に出社するように言ったよ。意外とのこのこ来やがった。会議室で用意していたプロジェクターを使って野崎が横領しているシーン、あとは会社の人間の音声を変えてリークしている情報を全て聞かせてやった。野崎、脚をプルプル振るわせてよ、ほとんど漏らしそうだったわ。

「悪かった。何でもするから警察にだけは言わないでくれ」

「警察になんか言いませんよ。今日、野崎さんのご自宅にお邪魔させていただきますね」

 野崎はぽかんとした表情だったよ。切腹なんて言った憶えなかったんだろうな。もしここでおれがそのことを言うと逃げ出すかもしれないから、「お邪魔させてもらえないと、代わりに警察署にお邪魔しに行きます」って言ったら首をブンブン横に振って懇願してたよ。


 野崎は確か三十五歳だったけど、独身だったんだ。ワンルームのアパートでとても主任という肩書の人間が住んでるようなところじゃなかった。野崎は俺を部屋に入れるなり、土下座してきた。

「何でもします。社員全員の前でも土下座するから許してください」

「でも今日土下座しなかったじゃないですか」

「それは……」

「まあいいです。なんでもするんですね」

 おれは鞄から便箋を取りだした。ボールペンはテーブルに置いてあったからそれを使うように言った。

「今から俺の言う通りにその便箋に認めてください」

「な、何を書かせるんだ」

「まずは『今回の横領騒動、すべての犯人はこの私、野崎幸人でございます』からですね」

「おい、それじゃ、みんなにバレちまうじゃねえか」

「バレるも何もみんな知ってたじゃないですか」

「それは……」

「いいから言うとおりにしてください」

 俺はサバイバルナイフを取り出して野崎の首元にあてた。正直手足は拘束していないし、簡単に逃げられるはずだったが、怖気過ぎて立ち上がれなくなっていたようだった。

 野崎は手を震わせながら、俺の言う通りの遺書を書いたよ。『今回の横領騒動、すべての犯人はこの私、野崎幸人でございます。社会に恥となる行為をしたため、命を持って償わせていただきます。誠に申し訳ございませんでした。』

 字がガタガタ震えていたがまあ読めなくないのでOKを出してやった。遺書をかかされた野崎はこのあと何が待っているのか気づいていた。まあそりゃわかるだろうな

「命は、お願いします。この通りです」

 野崎は小便を垂れながら俺に土下座しやがった。本当は目の前の頭を蹴り飛ばし、体から千切れた頭でリフティングでもしてやりたかったが、そうはいかない。

「切腹してくれるんですよね」

「へ……?」

「野崎さんが横領してる証拠が見つかったら切腹してやるって言ってくださったじゃないですか」

「あれは……つい勢いで」

「嘘はいけませんよ」

 少し顔を上げた野崎の胸倉を思い切り捻りながら持ち上げると、俺の足の先に小便が染みてきた。きたねえ。

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