【短編】恋人さん【1200字以内】

音雪香林

第1話 恋人さん。

(僕っていったい何者なんだろう?)


 朝、いつも通り学校へ向かう道を歩いているとき、急にそんな疑問が頭をもたげた。


 ここでいう「何者」とは「中学二年生」とか「猪村家いのむらけの一員」とかの所属ではなくて、もっと「僕という人間」の根幹をなす部分の名称を求めている。


 別に世界を救う英雄になりたいとか、前人未到の地に足を踏み入れる宇宙飛行士みたいになりたいとか、そんな大げさなものじゃなくていいんだけど……浮かばない。


(僕って人間は何て空虚なんだろう)


 そんなふうに落ち込んでいるとき、ふいに後ろからタッタカ軽快な足音が近づいてきていることに気づく。


 そして背中にドンっと軽く体当たりされるような衝撃が走り、お腹に細い腕が巻きつけられる。


「急に抱き着いてくるなんて。あぶないじゃないか」


 僕がため息交じりに注意すれば「ごめんごめん」とまるで悪いと思っていない悪戯っぽい声音が返される。


 お腹に回っていた腕が外され、今度は右手を拘束された。

 いわゆる恋人つなぎだ。


「えへへ。だってくっついていたいんだもん。いいでしょ、だって私たち恋人同士だし」


 彼女は好意を隠さない人で、ちょっと照れる。


「お、赤くなった。いつものことなのに未だになれないね~。そこが猪村くんの可愛いとこだけどさ」


 ふふふっと今度は無邪気に微笑まれて、見惚れる。

 ああ、そうか。


「僕は、君の恋人になるために生まれてきたのかもしれない」


 さきほどの「僕は何者か」の答えが出た気がした。

 僕は彼女の「恋人」だ。


 これも単なる所属かもしれないけど、僕自身が納得できたんだからそれでいい。

 スッキリしたな!


 なんて思っていると、彼女が急に天を仰いで「尊死する。急にデレられた威力ヤバい」とかつぶやいた。


 たまに変になるんだよな彼女。

 本当に面白い「恋人さん」だ。

 彼女はしばらくそうしたあと、パッと僕の方を向いて。


「私も! 私も猪村くんの彼女になるために生まれてきたんだと思う!」


 輝くような笑顔だった。

 太陽にも負けてない。


 いや、むしろ彼女が太陽なのでは?

 お互いがお互いの「恋人さん」であること。


 それが存在理由かつ存在の証明である。

 異論は認めない。


「大好きだよ」


 僕が伝えると彼女は白目をむいてひっくり返りそうになる。

 慌てて支えると、すぐに正気に返ってくれた。


 良かった。

 なんか知らないけどヤバかった。


 彼女は泣きそうに歪んだ顔で「わだじもずぎだよぉ」と言ってくれた。

 体調でも悪いのかな?


 無理はしないでほしい。

 今日も自分と彼女がしあわせでいられるように頑張ろう。


 まずは、生まれたての小鹿みたいにガクガク足を震わせている彼女を学校までお姫様抱っこしようと思う。


 またひっくり返ったら大変だからね。

 誰よりも君が大事だよ。


 僕の恋人さん。




おわり

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