第52話 崩れ落ちる王者
「マックス!」
S5に跳ね飛ばされたのだろう。ツィヴのいたすぐそばの席が見事にへしゃげ、マックスはそこに出来た瓦礫に埋もれていた。ツィヴはと言えば、マックスの直撃は避けられたものの、彼の逞しい腕の下敷きになっている。
「ぐぅ……、重い、どけ……」
「すまない」
マックスがほこりを払って立ち上がる。
「マックス、大丈夫?」
その体はあちこち傷を負い、出血している。体からは湯気が立ち、肩で息をついていた。手の甲についた血を、マックスはべろりと舐め取る。その尾は苛つくように揺れていた。
「頭とか打ってない? くらくらしてない?」
「大丈夫だ、心配いらない」
ぶるっと頭を振り、両手で鬣をかきあげる。肩をゴキゴキ回すマックスに、私はほっと息をついた。
「全く、何がクモイ社の最高グレードだ。たった一体の
さっきまで青くなって震えていたツィヴが、ぶつぶつと何やら言っている。
(殴りてぇ)
そう言う
イラッとしつつ詰め寄ろうとした私だったが、それを避けるようにツィヴが身を乗り出す。彼の視線の先では、ディルクがS5に猛攻を加えていた。
「オラァ! クソがぁ! 舐めてんじゃねぇぞ!」
ディルクのハスキーな声は歓喜に染まっている。
(チンピラか。いや、それより……)
S5の足取りが、やはり少しずつ重くなっている。それどころか、少しふらついているようにさえ見えた。表情からも余裕が消えつつある。さすがに三人による波状攻撃は、スタミナを削ったか。
「ははは! いいぞ、いいぞディルク!」
憑かれたように目をギラつかせながら、ツィヴは邪悪な笑いを浮かべる。
「やれ、ディルク! そのままS5にとどめを刺せ!」
(このやろう……)
だが今がチャンスだ。
ツィヴがステージに気を取られている隙に、私はマックスを呼び寄せる。
「どうした」
「イギーも、みんなもこっち!」
私は仲間たちと車座になり、全員に小声で伝える。
「みんな私に力を貸して。一か八かだけど、やってみたいことがあるの」
打ち合わせを終え、それぞれの配置に向かってもまだ、S5とディルクの戦いは続いていた。
(どちらも諦めようとしない……)
足元をふらつかせ、攻撃の勢いを失いながらも。
WBの闘争本能は、勝利を収めるまで止まらないのだろうか。
観覧席も不穏な空気に包まれている。WBたちはS5の動きを、一心に見つめていた。そしてその傍で、彼らの「主人」たちは顔をこわばらせている。結果によっては、人とWBの力関係が変わるかもしれない。その場にいる全員が、固唾を飲んで行く末を見守っていた。
ディルクの拳がS5の頭をかすめる。その瞬間、S5の足元がぐらついた。
「オラァアッ!」
間髪おかず、ディルクの蹴りがS5の側頭部に決まる。吹っ飛ばされたS5はドッと音を立て、床へと転がった。そのまま起き上がってくる様子はない。
「へへ……、どうだよ」
肩で息をつきおぼつかない足取りで、ディルクはS5に歩み寄る。額のバンダナは既に外れ、「負け犬」の焼き印の跡が痛々しく晒されていた。
「わざと負けるために、俺を先に潰すだぁ? 冗談じゃねぇよ、俺はてめぇなんざに……」
言葉はそこで途切れる。ディルクもまたドッと膝をつくとその場に崩れ落ちた。そのまま数秒が経過する。
(相打ち?)
場内がざわつく。この状況、仕合的にはどうなるのだろうか。レフェリー兼アナウンサーは、いつの間にか姿を消している。危険を察して避難したのだろうか。
「フン、ついに倒れたか。S5、しぶとい奴め……」
「あの……」
悪魔の形相のツィヴに私は問いかける。
「これって、あなたの側のWBが二人とも倒れたってことで、こちらの勝ちでいいんですかね?」
「あぁ、それでいい。だが……」
食いしばった歯の間から、ツィヴは荒い息を漏らす。
「S5だけはこの場で処刑する! そうしなければ、けじめがつかん!」
ツィヴは身を震わせながら階段を降りていく。そして、立てかけておいた斧を自ら手に取った。
「殺す……、S5……。お前のせいで全ては台無しだ……。どれだけ多くの人間へ補償をせねばならなくなったか……。私が、どれだけの損失を被ったか……!」
S5の元へ辿り着いたツィヴは、斧を振り上げる。それはS5の頭部を狙っていた。
「死ねぇ!」
斧の刃が、ドッと床を打った。
「……え」
■□■
そこにS5の姿はなかった。
床に斧を打ち付けたまま、ツィヴは先ほどまでS5が転がっていた場所を見つめる。
「消え……」
次の瞬間、ツィヴの顔が恐怖に引きつる。自分の背後から大きな影がせりあがるのが見えたのだ。
「……え……す……」
S5は仁王立ちになり、斧を手にしたままのツィヴを見下ろしている。獲物を見据えた、殺意に満ちた眼差しで。
ツィヴは振り向くことも出来ず、ただその場でカチカチと歯を鳴らす。冷たい汗を滝のように流しながら。それを見て、観客席のWBたちはワッと盛り上がる。
WBが人に反旗を翻す時が来た。確信に似た気持ちがあったのだろう。
S5がぬぅと手を伸ばし、ツィヴの頭を掴む。
「きひっ!?」
持ち上げられた時のことを思い出したのか。ツィヴは慌てて手を頭上に伸ばしS5の腕を掴む。だが、S5は指先からゆっくりと爪を伸ばした。
「ぎゃっ!?」
掴まれた頭に爪がめり込む。
「オレらさ、負けたらニナちゃんとこ行けるって話だったよね?」
「あ……あぁあ……」
爪の刺さった部分から血が流れだし、顔に赤い縞模様を作る。
「なんでオレのこと殺そうとしてんの? 話、違わなくない?」
「ひゃめ……、ひゃ……」
めりめりと音を立てながら頭部が締め付けられる。
観覧席の面々は悲鳴を上げ、あるいは歓喜の声を上げ、王者の手の中で全てがはじけ飛ぶ決定的瞬間を待った。
その時、突如場内の明かりが落ちた。
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