第34話 痕の理由

「あん、さつ……?」

 呻き声に似たものが、私の口から洩れる。マックスは目を伏せたまま頷いた。

「クモイ社のワーブルートは優秀だからな。戦争中は敵に大打撃を与えていた。敵にしてみれば、クモイの名は悪魔のように恐れられていたそうだ。……やったのは、敵国にルーツを持つ犯罪集団だった」

「……」

「戦時中は、肩身の狭い思いをしていたのだろう。敵の人間がなぜこの国にいると、嫌がらせも受けていたようだ。その鬱憤が、クモイ社の次期社長であるところのニナ様の父君に向けられた。そして奥様とニナ様、ご家族揃って出かけた際に狙われたのだ。五年前のことだ。……銃で、あっという間だった」

「そんなことが……、えっ」

 私は顔を上げる。

「ニナもその場に?」

「あぁ、いらっしゃった」

「ニナだけ銃撃を免れたってこと?」

 マックスが悲しげに目を伏せる。

「最初に悪漢の手によってニナ様が攫われた。それに全員が気を取られた隙が狙われ、背後から次期社長と奥様が撃たれた」

「そんな……!」

「次に奴らは、孫娘であるニナ様を人質に、クモイ様に大金を要求した。クモイ様は表向きその要求に従うように振舞いながら、密かにニナ様奪還作戦を練られた。俺も、その一人に選ばれた」

 マックスが、私の右手をちらりと見る。

「我々はアジトを特定し、突入した。……酷い臭気に満たされた建物だった。だがそれは、奴らの作戦だったのだ」

「作戦?」

「あぁ……。俺たちが到着して間もなく、酷く臭うマントを頭からかぶった人物が姿を現わし、こちらへ近づいてきた。銃を持ち、ふらふらとした足取りで。ニナ様を攫った犯罪集団は殲滅せよとのご命令だ。俺たちはその人物に向かって躍りかかった。だが爪が相手を引き裂く瞬間、臭気の中によく知る匂いが混じっているのに気付いた。……ニナ様の匂いだった」

「えっ!?」

 マックスが苦し気に顔を歪める。

「俺の反応は一歩遅れた。爪がニナ様の纏ったマントを引き裂く。その柔らかな肌と共に。慌ててそのお体を引き寄せ、他の者からの攻撃からは庇うことが出来たものの、ニナ様の腕に俺は深い傷跡を残してしまった」

 私は右腕を見る。そこだけ色の違う、桃色に盛り上がった傷痕。

「どうして、ニナが銃を持って出てきたの?」

「奴らにそうしろと言われたのだ。クモイ社製品である俺たち自身に始末させるために」

 マックスは悔しそうに歯噛みする。

「身代金を要求しながら、奴らも俺たちがニナ様を取り返しに来ることを予測していたのだろう。俺たちはあの時、冷静とは言えなかった。大切な令嬢が囚われの身となっている。相手は犯罪集団だ、何をされるか分かったものではない。一刻も早く救い出し奴らを殲滅させねば、そう焦っていた。だから銃を持った相手がそれをまともに構えられていないことも、悪臭漂うマントの下がニナ様であることにも、気付けなかった」

 私は傷痕に目をやる。かなりの深手であったことは、想像がついた。

「その後、ニナを攫った人たちは?」

「始末した」

 冷たく言い放つマックスに、鳥肌が立つ。WBは殺戮を目的として生み出された存在だと、気付かされるのは何度目だろうか。

(ニナの両親がここにいない理由、そしてこの体になぜこんな傷痕があるか、……そういうことだったんだ)

 私は息をつき、天井を見上げる。その途端、心臓がどっくどっくと激しく打ち始めた。

「え、急になに?」

 胸が苦しい、頭がボーっとする。

 マックスが私の頬、首、そして手に触れた。

「熱が上がっている、脈も速い。少し眠れ」

「う、うん。でも、さっきまで何もなかったのに、なんでこんな……」

「……ニナ様のお体だからだろう」

「え」

「過去の辛い思い出に、ニナ様が反応されているのかもしれない」

(さっきの話を、ニナも聞いてた……)

 それなら心穏やかでいられないはずだ。私は自分の体をあやすように、トントンと胸を叩く。

(ごめんね、私が過去のことを知りたがったばかりに。辛かったよね)

 急激に眠気が押し寄せる。ニナが、現実から自分を遮断しようとしているように感じられた。

(眠ろう)

 私は目を閉じる。今はニナを休ませたかった。私の意識は、あっという間に深みへと飲み込まれて行った。



 目を覚ました時、外は明るかった。

 てっきり三時間ほど寝ていたのだろうと思ったのだが、なんと日付が変わってしまっていると伝えられた。

「え? 私、何時間寝たの?」

「昨日の昼からだから。21時間と言ったところか」

 寝すぎ!

 それだけマックスから聞かされた話が、ニナにとって負担だったということだろう。

「他のみんなは?」

「食後、めいめいの仕事を終えた後、地下でトレーニングをしている」

「そっか」

 彼らは元々戦争用に生み出された生命体だ。平和になった今でも、戦うために体を鍛え上げることが、彼らの本能であり習慣なのかもしれない。


 急激に空腹を覚える。21時間眠り続けたのだから、無理もないことだ。

 見透かしたように、マックスが食事を出してくれた。

「はー……、塩味うまぁ。滋味……。五臓六腑に染みわたる……」

 しみじみと言うと、マックスが横を向いて吹き出した。

「何?」

「いや」

 僅かに声が震えている。

「そんなとろけそうな顔で食事をなさるニナ様は見たことがないのでな」

「……ニナじゃないもん」

「そうだな」

 マックスが微笑む。

「その愛らしい表情は、ニーナだけのものだ」

「んぶっ!」

 思わず咳き込んだ私に、マックスがナプキンを手に寄ってくる。

「大丈夫か、むせたのか?」

「……うん、ちょっとね」

 まさか無自覚なのか、恐ろしい。

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