第32話 賑やかな食卓

 明け方眠りに就き、陽が頂点に差し掛かる頃、私は目覚めた。

(お腹すいたな)

 ベッドの上で身を起こし、背伸びをする。

 これまではマックスが朝食をトレイに入れて、この部屋まで持ってきてくれていたが、私もそろそろ動けるようになってきた。

(料理って言っても、全部レンチン食みたいなものだしね)

 それならマックスの手を煩わせることなく自分でも準備できる。厨房に降りて勝手に食べよう。そう思って扉を開いた時だった。


 目の前に、壁がそびえ立っていた。

(ん?)

 黒い艶々した壁が出入り口をふさいでいる。

「なにこれ」

 恐る恐る手で触れると、布地の下にちくちくごわごわとしたものが詰まっているのが感じられた。不意にそれが身じろぎする。目を上げれば壁の上には熊のような顔が乗っかっていた。

「おはよう、我が主」

(ヒュッ!?)

 心臓が跳ねあがる。扉を塞いでいたのは、熊っぽい獣人の巨大な背中だった。

「えっと、え……?」

「ヴィンセントだ」

 名乗られて思い出す。そうだ、昨夜は大勢のワーブルートをツィヴの元から引き取ったんだった。その中の一人が、この巨大な熊のようなアル……何型だっけ? 型の名前は忘れたが、ヴィンセントだ。確かランクはA。今回引き取ったWBの中で唯一のAランクだ。


 ヴィンセントは体ごとぐるりとこちらを振り返る。その身には白いシャツと襟のない黒いコートを纏っていた。片膝をついた状態で、頭が扉の上辺ギリギリなほど背が高い。と言うかデカい。

「お、おはよう、ヴィンセント。あの……」

「どうした、我が主」

「部屋から出たいんだけど」

「あぁ、すまない」

 ヴィンセントが私の方へ巨大な手を差し伸べる。

「手?」

「我が主の望む場所、我はどこへなりと運ぼう」

「いや、大袈裟! お腹空いたから、一階でご飯食べたいだけ」

「承知した」

 それだけ言ってヴィンセントは私をひょいと持ち上げる。「持ち上げる」だ。「抱き上げる」とはやや異なる。そして自身の丸太のような腕へ私を腰かけさせた。

 彼が立ち上がると、床が一瞬で遠のいた。

(高っ!)

 天井のあまりの近さに目を見張る。ここへ来た時、ずいぶんと高さに余裕がある建物だと思ったし、2mを超すマックスですら問題ないのを不思議に感じていたが。ヴィンセントだと、頭の高さがほぼ天井すれすれだ。

(マックスは、この家でWBが生活することに抵抗感を持っていたみたいだけど、建物自体はWBが出入りすることを前提としているように見える……)

 こんな巨体が身動きしているのに、床がきしむ様子もない。

 ヴィンセントが階下に向かって移動を始めた。

「ぅお!?」

 一歩が大きいため、思わぬ移動量に驚かされる。けれど、モフモフの首にしがみつけば、そこはとても安定していた。


 ヴィンセントは厨房でなく、食堂へと私を運ぶ。

「ごめん、厨房に行きたいんだけど。ごはん温めようと思って」

「食事なら、皆で用意をした」

「みんなで?」

「あぁ、皆がニーナを待っている」

 ヴィンセントは私を抱えたまま食堂の扉を開いた。

(わ……)


 そこには既にWBたちが集まっていた。皆一様に黒いジャケットとスラックスを身に着けて。先日、マックスとイギーが購入したテーブルをぐるりと囲んで。

「おはよう、ニーナさん。体はつらくない?」

「え……、あ、うん、大丈夫」

 イギーへ頷いて返すと、ヴィンセントが私を上座の椅子へと優しく下ろす。

「我が主、どうぞ」

「ありがとう」

 困惑しながらもテーブルへ視線を移す。目の前には、贅沢ではないけれど白い食器に盛られた食事が並んでいた。


 ふと、マックスが渋面を作っているのに気付く。

「どうしたの、マックス」

「……WBが主と同じテーブルに着くのは不敬だと、俺は皆に散々言ったのだが」

 あぁ、そう言えば前にもそんなこと言っていたね。私が食べている時に、マックスは直立不動で壁際に立っていようとしたり。

「でもさ~ぁ、今のニナ様はぁ、ニーナって言う別の人なんでしょう~?」

 おっとりした口調で、アルマジロに似たWBが意見する。

「そ~そ! マックスも『今のニナ様は、仲間のニーナだ』って言ってたじゃん!」

 同じくアルマジロに似た別のWBが頷きながら指を振る。それぞれ名前なんだっけ。昨夜引き取ったばかりだし、まだ覚えきれていない。

「ぼくらだけ集まってさ、ニーナちゃん一人別室で食事なんて、寂しいよね?」

 茶目っ気のある瞳でこちらを振り返った陽キャなアルマジロ君に、私は大きく頷く。

「寂しすぎる! そんなの意地悪だよ」

「でっしょ? ニーナちゃんも、みんなと一緒がいいよね?」

「みんなと一緒がいい!」

 ウェーイとエアハイタッチをする私たちに、マックスは頭痛を起こしたような顔つきになり額を抑える。

「意地悪ではない」

「だってマックスが言ってるのって、私だけ別室で食え、俺らの輪の中には入れてやらんってことでしょ?」

「そこまでは言ってない」

「じゃあ、私もここでみんなと一緒に食事していいよね?」

 マックスはしばし黙り込む。やがて深い、とても深いため息をついて、虚無の顔つきとなった。

「好きにしろ」

(そんなチベットスナギツネみたいな表情することある?)


「うぇーい!」

 陽キャアルマジロ君が、またも楽しそうにてのひらを向けてくる。私もそこへタッチするような仕草を返した。

「うぇーい。えぇと名前は……」

「ゼブロンだよ、ニーナちゃん」

 ぱちんとウィンクする姿も様になっている。

(よし、陽キャアルマジロはゼブロンね。覚えた)

 確かアルマジロ三人組の中で、唯一Bランクに入っているWBだ。

 見渡せば、イギーの横には彼とそっくりなWBが座っていた。こちらをうかがうように見ているが、視線が合うと慌てて下を向いてしまった。引っ込み思案なのだろうか。もしかしたらまだ、ツィヴの所にいた時の委縮した状態が癒えてないだけかもしれないけど。

 それから、ディルクにそっくりな狼っぽい彼と、唯一の鳥タイプの彼と……。

(名前はおいおい憶えていこう)

 一気ににぎやかになった食卓。私が預かっていたお金が空っぽになったのは痛いけど、彼らの明るい表情を見ていると、やっぱり救い出したのは正解だったと実感した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る