第29話 その勝利は私のために

 何を今さら、だ。

 彼らはそもそもが戦争用に生み出された人工生命体で、これは彼らが命のやり取りをして見せるショーなのだから。マックス自身、ここで命を落としかけたこともある。

 けれど、マックスが誰かの命を奪う瞬間を、私は見たくなかった。

 マックスはイーモンの首筋へ攻撃を加え続ける。皮膚の固さゆえ刃を簡単には通すことはないが、それでも少しずつ傷がつき、血が流れ始めていた。

 サイ獣人が恐怖に満ちた瞳をこちらへ彷徨わせる。

(え?)

 一瞬目があった気がしたが、その視線はすぐに別の場所へと向けられる。彼の見つめる先に、マハラジャのような衣装に身を包んだ男が座っていた。

(あ、オーナーにギブアップを求めてる?)


 このままでは刃が大きな動脈に達してしまう。死の気配を察したイーモンは、オーナーにギブアップ宣言してほしいと目で訴えていた。しかし、彼のオーナーはうすら笑いを浮かべて首を横に振る。

(あぁ……)

 ギブアップのルールと共に、マックスから教えられたことだ。オーナーは、自分のワーブルートの命を、罰金ペナルティを払うことで救うことができる。だが、死ぬまで戦わせた場合は、場を盛り上げたとして報酬が与えられるのだ。イーモンのオーナーはそちらを選んだようだ。


「ぅあ……、あぁああーーっ!!」

 絶望に満ちた野太い声が、イーモンの喉からほとばしり出る。そして、半狂乱状態でマックスを振り落とそうと暴れだした。けれど、マックスは両足でがっちりとイーモンの胴を締め付け、ぐらつくことなくぴったりと身を寄せている。

 イーモンの必死の形相に、観覧席はどっと沸く。

「いいぞ!」

「掻っ切れ!」

「時間をかけてじわじわとやるんだぞ!」

(何なのよ、この人たち……)

 さっきまでマックスの負けを願っていたはずなのに、イーモンが劣勢になれば今度は彼の惨たらしい死を願う言葉を口にする。

(どうかしてる……)

 マックスがちらりとこちらを一瞥した。

(やだ……)

 マックスには負けてほしくない。

 でも、彼が誰かを殺す姿も見たくない。

 私はわがままだ。身勝手で、偽善的だ……。

 決定的瞬間を見たくなくて、私は顔を両手で覆った。


 ドサリと重い音が耳に届く。一瞬、静まり返る場内。そこへマックスのよく通る声が響いた。

「カウントだ」

(え……)

 私は顔を覆っていた手を離す。闘技場の中央にイーモンは倒れていた。泡を吹いて、白目を剥いて。マックスはアナウンサーへ言葉を重ねる。

「カウントをしろ」

『え、あ……』

 その瞬間、場内がブーイングで揺れた。

「ふざけんな、テンカウントなんか認めないぞ!」

「アナウンサー、カウントしたら許さないわ!」

「そうだそうだ!」

「殺せ! やっちまえ!」

「ここまで来て、こんな終わり方なんてないわよ!」

「刺せ! 首を落せ!」

 けれどマックスは、それらすべての罵声を上回る声量で吠えた。

「カウントだ!!」

『ひぃっ!』

 アナウンサーは、険しい顔つきで自分を見下ろすマックスに身を縮め、震える声でカウントを始める。やがて10を数え終えると、場内は失望の声で満たされた。


「マックス!」

 ステージを降りたマックスに私は駆け寄る。

「イーモンはどうなったの?」

「頸動脈を絞め続け気絶をさせた」

「……じゃあ、死んではいないってこと?」

「お前がそれを望んでないようだったからな」

 マックスは困った子供を見るような目を私に向けた。

「じゃあ、私のためにあの勝ち方を選んでくれたってこと?」

「俺のオーナーはお前だ。オーナーの意志には従う」

 マックスの気遣いに胸の奥がほんのりと温かくなる。

「ありがとう、マックス」

「ニーナ」

「何?」

 マックスの獣毛に覆われた太い指が、私の頬に触れる。

「これでもう、悪夢にうなされずに済むか」

「え?」

「エンボロテリウム型に勝った俺の姿を、しっかりと覚えておけ。そうすればもう夢の中で、お前の大切なライアンが奴に痛めつけられることはないだろう」

「マックス……」

 私が悪夢を見て泣いていたことを、彼は覚えてくれていたのだ。優しく低く甘い声が、私の耳をくすぐる。

(私に悪夢を見せないための勝利、私を悲しませないための勝利……)

 胸の奥が甘く沁みる。

 マックスに大切にされている、それが痛いほどに伝わって来た。

 背後からずっと聞こえてくるブーイングすら、私には心地よく感じられた。

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