第22話 救うには金が要る

 困惑しているイギーに私は手を差し出す。

「そう言うことだから、友だちとして傍にいてくれると嬉しいな」

「え? あ、はいっ」

 イギーは私の手と顔を交互に見て、自分のものを服で雑にぬぐうと、おずおずと握手した。

「ニナ様のお手に触れるなんて、すごく畏れ多いことをしている気分だ……」

「イギー」

 イギーがもじもじしているのがいじらしく、つい握った手に力をこめてしまう。

「ひゃっ!?」

 驚いて引こうとした手を逃すまいと強く握り、更に彼を引き寄せしっかりと抱きしめた。これまでツィヴの元で受けた、彼の痛みが消えればいいと願いながら。

「無事でよかった、イギー」

「ニナさ……ニーナさん、そういうご冗談は……」

 あー、イギーもふもふだ。まだ毛並みは少し荒れているけど、きちんとした生活させてあげたら、艶々の短毛さらさらモフになるのでは? はぁ、愛しい。

「ニーナ、ニナ様の体で軽はずみな行動をするな」

「イギーのこれまでの苦労をねぎらってるの。本当によく頑張って、生き延びてくれたね」

「ニーナさん……」

 マックスが私の襟首を掴み、イギーから引き剥がす。

「イギー、騙されるな。こいつはただ感触を楽しんでいるだけだ」

「えっ、そうなの?」

「むぅ」

「ニナ様の顔で膨れるな」

「そっちこそ、私を雑に扱うな。これニナの体ですが?」

 マックスは軽く肩をすくめ、イギーへ目をやる。

「イギー、ツィヴのクモイ社製ワーブルートへの扱いは相変わらずか」

「う、うん……」

「ん? どうしたイギー」

「……えぇと」

「ねぇ、クモイ社製の扱いって」

「ニーナさん。あのね……」

 イギーは顔を曇らせる。


 彼の口から語られた内容は、胸の悪くなるものだった。

 廃棄を逃れたWBを金にあかせて買いあさっているツィヴだが、特に熱心に探し求めているのはクモイ社製のものらしい。クモイ社を疎ましく思っているツィヴが、好意でこのような行為に出るわけがない。虐待目的だ。クモイ社製のWBはイギーのように票が集まらず、働いてないからと食事を抜かれることは日常茶飯事。何かと理由をつけては暴力を振るわれるなど、他社製のWBと比べ露骨すぎる差別待遇を受けているそうだ。更にイギー同様、ベイトWBとしても扱われる。やがて衰弱しきった頃を見計らい、ただ嬲り殺されるだけの生贄として闘技場に引きずり出される。恐ろしい話だが、観客たちの間でこの悪趣味な見世物は大人気で、大金が落ちるらしい。

「人の心が無いの……?」

 私は口を覆う。私の世界でも大昔に似たような見世物はあった。コロッセオの中で、異教徒や奴隷が猛獣の前に放り込まれるという残酷ショーが。


 ――助けてほしいのは、マクシミリアンのこと――

 ――このままでは彼は殺されてしまう――


 ニナが必死に訴えてきたのはこういうわけだったのだ。事実、初めて会った時のマックスは抵抗する気を完全に失い、観衆の中処分されそうになっていた。

「ねぇ、あそこで行われている仕合って非合法なんだよね? 警察に通報しないの?」

「無駄だ。主催のツィヴを始め、あの催しものを楽しむ客には政財界の大物も多い。さらに言えば、警察の上層部にも既に手は回っている」

 様々な時代の貴族の扮装をした人間が、場内を埋め尽くしていたことを思い出す。

(私のドレスもそうだけど、あれは上流階級の趣味って言ってたよね……)

「それに前にも言ったが、俺たちは戦争が終わった時点で廃棄が決まっていた人工物だ。今、あのコロッセオが閉鎖になれば大量のWBが行き場を無くす。引き取り手のないWBたちは処分場に送り込まれるだろう」

「それはいやだ、絶対に……」

 私に触れたマックス、そしてイギーの手は温かかった。人間と変わらないほどに。それを「処分」なんて、想像するだけでゾッとする。

「イギー、クモイ社製のWBは、ツィヴの元にあとどれだけいるの?」

「九体、だったはず」

「九体……」

「あと、言いにくいんだけどさ。実はマックスを手放してから、特にクモイ社製のWBへの風当たりが強くなったんだ」

 イギーの言葉にマックスが目を大きく開く。

「俺が、いなくなってから?」

「ん……」

「ちょっと待って『手放した』って何? そもそもコロッセオで命を奪おうとしていたくせに、どこまで身勝手なのよ!」

 私の元に戻すくらいなら、マックスをこの世から消してしまいたかったということだろう。本当に虫唾が走る。


「全員救い出してあげられたらいいんだけど」

 口にしてから、前にマックスに言われたことを思い出す。そう簡単な話ではないと。

 けれど意外にも彼は、私に向き直ると頭を下げた。

「何?」

「WBの買取は、オーナーにしかできない。ニーナ、頼めるか」

「頼むって、買取のこと? 私は構わないけど」

「仲間が俺のために待遇が悪くなったと聞いて、放っておけん。金なら俺のファイトマネーを使ってくれ」

「わかった。じゃあ、早速全員連れて帰ろう!」

 勇んで札束の詰まったジュラルミンケースを持ち上げようとした私の腕を、マックスは掴む。その表情は陰っていた。

「ん? 行かないの?」

「すぐに全員をと言うのは無理だ。俺やイギーのような値段は、例外中の例外だと思ってくれ。通路に売りに出されている廃棄目前のものは別として、他のオーナーから買い受けるとなると、最も安いもので二百万プレディ、最高ランクになると億になる。俺もかつては億の値がついていた」

 WB、予想以上に高かった! そうだね、兵器みたいな存在だものね。

「じゃあ、今手元にあるお金だけじゃ足りないってこと?」

「そうだ。だからあの地下闘技場に、またエントリーを頼む。目標額に達するまで、俺は何度でも戦う」

 その言葉に背筋が冷えた。

「何度も、って。私はマックスを二度と危険な目に合わせたくない」

「だが、俺のために苦しめられている仲間がいる」

「それは解っているけど」

「お前は全員を救い出したいと言った。そして、オーナーとして買い取りをするとも」

「言ったよ。言ったけど!」

 イギーが私の前に立ち、つぶらな瞳をこちらへ向ける。

「ニーナさん、ボクからもお願い。ボクも戦うから」

「やめて!」

 私は首を横に振る。

「今日の仕合だけでも、すごく怖かった。イギーが殺されちゃうんじゃないかって。二度とあんなの見たくない」

「ボク、そんなに頼りない?」

「……」

 本心を言えば「YES」だ。忍者のような身のこなしは素晴らしかったけれど、もしも一度でも捕らえられてしまえば、彼はパワーで押し負けるだろう。それに、今日の彼の戦いぶりを見た相手からは、対策も取られるはずだ。

 私の沈黙を肯定と受け取ったのか、イギーは少し寂しそうに目じりを下げた。

「でもね、ニーナ。ボクも、みんなをツィヴの元から解放してあげたいんだ」

「イギー」

「ツィヴの元にはまだ大勢のクモイ社製の仲間が残ってる。そして苦しんでる。ボクは助けたい。そのために今ボクが出来ることと言えば、あの闘技場に出て戦うことだけだから」

「……」

「ニーナ、頼む」

「マックス」

「俺とイギーをエントリーしてくれ。それが出来るのは、オーナーであるニーナだけだ」

「……」

 俯く私の視界に、マックスの大きな手が差し込まれる。それは私の手にそっと重なった。

「頼む、ニーナ」

「……っ」

 マックスはずるい。こうすると私が断れないことに、多分気付いている。

「……絶対負けない?」

「あぁ」

 ざらりとしたマックスの肉球の下で、私はぐっとこぶしを握る。

「約束、出来る?」

「約束しよう」

 私は顔を上げ、二人を交互に見る。

「もし二人に何かあったら、あなたたちが大切に思ってるニナが泣いちゃうからね?」

「うん、わかった」

「俺たちは、ニナ様の悲しむことはしない。そして……」

 マックスは私の目をまっすぐに見た。

「ニーナ、お前のことも悲しませないと誓おう」


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