第17話 他に道はない

「マックス、何?」

「いや……」

 マックスは口元を手の甲で抑え、笑いをこらえていた。

「なんで笑ってるの?」

「その姿でその発言は勘弁しろ」

 マックスはしばらく肩を震わせていたが、一つ大きく息をつくと柔らかな目元をこちらへ向けた。

「ニナ様の姿をしていても、お前は全く違う人間なのだな」

「う、うん、まぁそりゃそうだよね」

「少し気が晴れた」

「?」

 マックスの視線はこちらへ向けられているが、遠い面影を追っているようだ。

「これまではあの男に何を言われても、涙を浮かべて耐えるニナ様しか見たことがなかったのでな」

「マックス……」

「ニナ様があの男を言い負かす様子は、痛快だったぞ」

 目を細める彼に、ほんの少し胸の奥がヒリつく。

「ギャーギャーわめいたのはニナ様じゃなくて、南雲新菜ですが」

「そうだったな、先ほどの言動はニナ様のものとは到底思えない」

「品がなくて悪かったですねー」

「いや」

 マックスの瞳が蜜色に揺れる。

「好ましいと感じた」

(へ!?)

 マックスの言葉に私は硬直する。気配を察してか、マックスもハッと息を飲んだ。

「……軽はずみなことを言った、許せ」

 視線を逸らす彼の横顔から、私は目を離せない。

(ねぇ、今、『好ましい』って言った? 言ったよね!?)

 顔に熱が集まり、心臓が早鐘を打ち始める。

(いや、何勘違いしてんの? マックスが好意を持ってくれたのは、私の今のこの姿がニナのものだからであって……)

 口が勝手に笑いそうになるのを、噛んで堪える。

(調子に乗るな、私! 勘違いしたら最終的に傷つくのは自分だよ?)

 体の奥から、甘い感情と小刻みな震えが絶え間なく送り出されてくる。

(大体私もチョロすぎんのよ。初めて間近に接した獣人ってだけでときめくとか。そんなのイケメンなら誰でもいいってのと同じじゃない? 見た目だけで好きになるなんて、軽すぎ。もっと中身もちゃんと見て……、でもニナに忠誠を尽くしてる不器用で真っ直ぐなマックスはやっぱりカッコいいんだよね。頼りになる執事でありつつ、格闘でも強いとかホント、ヘキ全部盛りって感じで)

「ニーナ」

「びゃあっ!?」

「……」

 マックスは真っ赤になって飛び上がった私を見て、目を見開く。だが一つ咳払いするとすぐにいつも通りの落ち着きを取り戻し、口を開いた。

「もう一度イギーのところへ寄りたい。構わないだろうか」


 私たちは一度地上へと上がり、食料品店へと向かった。アルミパウチや缶詰などを、マックスは迷いなくカゴへと放り込む。代金を払い、私たちは再びイギーの囚われている牢の前へと戻ってきた。

「イギー、飲め」

 床に力なく身を横たえていたイギーが霞のかかった目を開ける。マックスが格子のすき間から差し込んだコンソメスープを見た瞬間、その霞が晴れた。

「……っ!」

 飛びつくようにして、マックスの手から紙コップを奪い取る。

「イギー、ゆっくりだ。焦ると吐くぞ。一口ずつ、ゆっくり飲め」

 生存維持活動に意識の全てを持っていかれそうになっていたイギーが、マックスの声に正気を取り戻す。ギラついた目でスープを睨んだまま、わずかにうなずき、震える唇をカップに口をつけた。

「あぁ……」

 か細い、しかし感嘆の声。

「美味しい……」

 リスに似た少年の口から、泣き声に似たものこぼれる。

「そうだ、イギー。ゆっくり一口ずつだ」

 マックスの指示に合わせ、イギーは慎重にスープを嚥下する。やがて紙コップが空になると、イギーは大きくため息をついた。

「生き返った……」

「次はこれだ」

 マックスはゼリー飲料の入ったアルミパウチをいくつか取り出す。イギーが一気に口腔へと絞り出すのを、今度は止めなかった。

「食べながら聞いてくれ、イギー。このニーナがお前のオーナーとなることを承諾してくれた」

 その言葉を耳にした瞬間、イギーがむせる。

「マックス、お前! なんてことを!」

「何だ」

「何だじゃないよ。今、ニナ様を呼び捨てにしただろう! 罰当たりな!」

「あぁ……」

「えぇと。あのね、イギー? これには事情が……」

「ニーナ、この場にいられる時間はあと僅かだ。その話はイギーがここを出てからでいい」

「そっか。そうだね」

「ほら、またぁ! 不敬だぞお前!」

「イギー、黙って聞いてくれ」

 マックスの厳かな声に、イギーは口を閉じる。

「ベネディクト・ツィヴと話をしてきた。お前はニーナに買い取られる。が、条件を一つ提示された。お前は仕合に出て一度だけ勝ち星を上げねばならない」

「え? なにそれ?」

「それが、ツィヴがお前を手放す条件だ。やれるか?」

「……」

 イギーは沈痛な面持ちで押し黙る。だがフッと息を吐くと顔を上げ、笑った。

「やるよ。どうせこのまま何もさせてもらえず餓死させられる予定だったんだ」

 また一つゼリー飲料を口へと流し込む。

「勝てばここから出られる、そう言うことだろ? じゃあ、他に道はないよね」

「……ヤツがどんな相手をセッティングしてくるかはわからないが、な」

「いいよ、ありがとう」

 マックスは頷き、イギーの飲み食いした残骸を回収する。そして残りの食料の入った紙袋を、格子のすき間から押し込んだ。

「食っておけ。薬も入れてある。お前は勝たねばならないからな」

「うん。ニナ様!」

「えっ? あ、はいっ」

 急に呼びかけられ、私は思わず姿勢を正す。そんな私に、イギーはにこりと笑った。

「お元気になられたようで、本当に良かった!」

(イギー……)

 自分の方が今まさに餓死させられようとしていたのに、そして数日後には死地へと向かうと言うのに。

(私のことを気遣ってくれるなんて)

 胸の奥がギュッと締め付けられる。私はイギーに近づき、格子を握りしめた。

「イギー、私に出来ることがあったら、なんでも言ってね」

「ニナ様」

「仕合が始まったら、私には何もできない。見ていることしか。だからせめて、勝つために必要なものがあれば言って。できる限り協力するから」

「……ニナ様」

 イギーは少し泣きそうに目元を緩め、そして笑った。

「ボク、勝ちますから! ニナ様、お側へ戻るので待っててくださいね!」

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