第二部

第11話 迫る借金地獄

 私たちは、殆ど具の入っていないスープとパン、そしてシンプルな卵料理で空腹を満たす。食事を終えるとマックスに薬を飲むよう促され、やや強引に寝かしつけられてしまった。

(あ……)

 急激にけだるさと眠気が襲ってくる。先ほど、マックスが私に触れ「熱がある」と言っていた。いくら中身が私でも、体は衰弱しきったニナのものだ。昨夜、走って闘技場まで行ったことで体に負担をかけたのだろう。走って、叫んで、マックスを救い出して、大変だったから……。

(ん?)

 大変なことを忘れている気がする。

(マックスを、闘技場から救い出して……)


 ――ベネディクト・ツィヴ氏に対し、一週間以内に120万プレティ支払うことを――


「あ―――――っっ!!!」

 飛び起きた私へ、マックスが駆け寄ってくる。

「なんだ急に」

 叫んだはずみで起きた眩暈が収まるのを待ち、私は顔を上げた。

「支払い! なんかあのコロッセオで、マックス代払えって言われた気がする!」

 マックスはやれやれと首を横に振る。

「気がする、じゃない。払わなければならない」

 その言葉に、スッと血の気が引いた。

(120万なんちゃら、って言われてた気がするけど。あれって、この世界でどれくらいの価値なんだろう……)

「あの……、この家にそれだけのお金って……」

「ない」

 きっぱりと言い放つマックスに、私は顔を引きつらせる。

 お金が、ない?

「残った家財道具を売ったり、貯蓄とか……」

「ない。値の付くものは全て出し尽くした」

「全く?」

「ない」

 マックスは再び私を横たわらせ、布団をかぶせてくる。

「だから俺が、金の代わりにあの男の元へ行ったんだ」

「マジですか……」

 マックスは目を閉じ、渋い顔つきとなった。

「俺を買い戻すなんてとんでもないことをやらかしたんだ、お前は。契約不履行の際のペナルティを含めると、ニナ様のためにかろうじて残したこの別邸も売り払うほかなくなった」

「別邸? じゃあ、まだ本邸があるってこと?」

「……とうの昔に売り払った」

(すでに!!)

 マックスは厳しい顔を窓の外へと向ける。

「困ったことをしてくれたものだ。俺はあのコロッセオで死んでも構わなかった。ニナ様にこの別邸を残せるなら」

(なっ……)

 その捨て鉢なセリフに、胸がチリッと痛む。

「死んでいいなんて、そんなの絶対にだめ。私はマックスを死なせないためここに呼び出されたんだから」

 マックスは、聞き分けのない子どもを諫めるような目を私に向ける。だけどその眼差しに怯んでなどいられない。

「第一、私にマックスを助けるように訴えてきたのはニナなんだよ? お金の代わりにマックスがこの家を出たのは、ニナの意思だった?」

 マックスは苦しげに目を伏せる。

「……ニナ様は、ご存じなかった。あれは俺が自分の意思で決めたことだ」

「ニナはそれを受け入れてた? 私のために犠牲になってくれてありがとう、って感謝してた?」

「いや。泣いてた、な……。酷く、悲し気に」

「やっぱり」

 私は上体を起こし、掛布団をパンと叩く。

「ニナの望みに反したことをしてるじゃない。マックスはニナ様のためって言ってるけど、そんなの全然忠義じゃないよ」

「なら、どうすればよかったのだ!!」

 獅子獣人から飛び出したふり絞るような吠え声に、私はびくりと身をすくめる。ギリと噛みしめた口元からは、鋭い牙が覗いていた。

「ニナ様はお体が弱くていらっしゃる。ニナ様が屋根や壁のない、風雨にさらされながらの生活に耐られるとはとても思えない!」

「や、屋敷を売り払って、他の安いアパートに引っ越すって手も……」

「この別邸は、ニナ様にとって幸せな思い出の残る大切な場所だ。これを失えばきっと、ニナ様は今以上に衰弱してしまう。だがあの時点で売れるものは、この別邸と俺の身しかなかったのだ! 俺は……」

 マックスがサイドテーブルに拳を叩きつける。

「ニナ様のお命を、お心を、ただ守りたかった……!」

 爛々と怒らせていたサファイアの瞳に、憂いの色が滲んだ。

「……ごめん」

 マックスの悲痛な声が胸にささり、その言葉が自然と出る。

「何も解ってないし勝手なことしたのに、偉そうに言ってごめん」

「いや、いい……」

 マックスはサイドテーブルからそっと拳を放し、そしてこちらを見た。

「ニナ様のお顔で、そんな悲しい顔をするな。つらくなる」

「うん……」

 しばし沈黙が流れる。マックスはサイドテーブルに顔を近づけ、壊していないか目をすがめて確認した。

「ねぇ、マックス。もう、どうしようもないの?」

 マックスはほっとしたように一つ息をつき、サイドテーブルの天板を愛し気になでる。

「売るものも貯蓄もないなら、この屋敷を明け渡すしかないのかな」

 マックスはしばし目を伏せ、眉間にしわを寄せていた。やがて澄んだ蒼色の瞳を私に向けると、口を開き牙をのぞかせた。

「……方法がないではない」

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