第6話 棒立ちの獅子獣人

 場内放送で流れたマクシミリアンの名に、揺らいでいた意識がクリアになる。闘技場のゲートが開き、やがてそこから鎖に繋がれた獅子型の獣人が登場した。彼の胸ほどの高さもない小柄な男たち数人によって、引きずられるようにして。

(マクシミリアン……!)

 部屋に現れた幽霊が見せてくれた獅子型獣人に間違いなかった。

 だがその姿は酷くやつれている。傷だらけでやせ細り、その蒼色の瞳に精気らしきものはまるでない。雄々しくそそり立つはずの鬣は汚れ、脂じみてもつれ合っていた。『抜け殻』という言葉がこれほどまでにしっくりくる存在を、私は見たことがなかった。

(何? どうして彼はこんな姿に?)

 幽霊――ニナが見せてくれた光球の中の彼は、こんな姿ではなかった。

(あの時見た彼は、生命力にあふれ、力強く、逞しくて……)


 困惑する私の耳に、あざ笑うような場内アナウンスが突き刺さる。

『御観覧の皆々様、ご覧ください! かつてはクモイ社製の中でも最も性能に優れたワーブルートと称えられていたマカイロドゥス型。ですが悲しいかな、今はこのようにまったく見る影もございません! まるでクモイ家の没落をそのまま体現したようなWB!』

 アナウンスの言葉に観客性がどっと沸く。嘲り笑う、おおよそ好意的とは思えない言葉の礫が、闘技場中央の獣人に投げつけられた。

(……!)

 アナウンサーの言っていることは半分くらいしか理解できない。けれど獅子の獣人が観衆の中、貶められているということだけは伝わってくる。怒りで腹の底がじり、と熱くなった。

 私の怒りをよそに、軽薄な場内アナウンスは続く。

『このWB、本日敗北すればオーナーの意向により廃棄が確定しております!!』

(え?)

 観客席からヒステリックな歓声が沸き上がる。それを追うように拍手の音がさざ波のように広がった。

(今、『廃棄』って言った?)


 反対側のゲートが開き、対戦相手が姿を現わす。小山のように盛り上がったシルエット。それは軍配のように平たく大きな角を鼻先に持った、サイの獣人だった。皮鎧の下からはそれよりも堅そうな皮膚が覗いている。身の丈も、マクシミリアンの1.5倍もあるようだった。全身からほとばしり出る闘気は、それだけで辺りを圧倒した。

 一方マクシミリアンと言えば、闘気どころか生気すら感じられない。だらりと垂れたマクシミリアンの腕をスタッフが乱暴に掴むと、その手に剣を押し付ける。マクシミリアンが柄を握ったのを確認し、スタッフは二人から距離を置き腕で大きな丸を形作った。

 棒立ちのままのマクシミリアンに、サイ獣人が無遠慮に距離を詰める。そしてマクシミリアンを見てニタリと笑うと、彼の持つ剣に自分の剣を打ち合わせ、澄んだ音を立てた。


 それが仕合の始まりの合図だった。

 サイ獣人が手にした剣を、マクシミリアンの頭上へと勢いよく振り下ろす。

「っ!」

 そのまま脳天を叩き割られる様子がありありと目に浮かび、私は思わず顔を手で覆い身を固くした。

 しかし耳に届いたのは、ギィンと金属を跳ね返す音。

 恐る恐る手をはずせば、サイ獣人の一撃を、額の前に構えた盾で防ぐマクシミリアンの姿が見えた。

 ほっと息をついたのもつかの間、サイ獣人は重い金属音を轟かせながら、立て続けにマクシミリアンへ剣を叩きつける。それに対し、マクシミリアンは緩慢とした動きで盾で防ぎ続けた。それ以上のことは何もしようともせず。

「おい、ライオン野郎! やる気見せろや!!」

 会場のどこからか、乱暴なヤジが飛ぶ。それを皮切りに、マクシミリアンの頭上に罵声罵倒が雨あられと降り注いだ。

「……っ」

 マクシミリアンはそれらが耳に届かないのか、虚ろな表情のまま棒立ちになっている。対戦相手の刃を防ぐという、最低限の動きだけは続けながら。

「だめ、こんなの……」

 私はその場にうずくまったまま、呻くことしかできない。

 その間にも対戦相手の動きは、どんどんと激しくなってくる。今でこそ攻撃を凌げているが、盾の強度がどこまで持つかも分からなかった。

 やがてサイ獣人は苛立った様子で数歩引き、ぐっと姿勢を低くして獅子獣人へと突進する。そして幅のある角を、盾を装備したマクシミリアンの腕の下へ潜らせると、勢いよく彼を空中へと跳ね上げた。

「っ!!」

 吹っ飛んだマクシミリアンに向かって、サイ獣人は更なる攻勢へと出る。落下してきたマクシミリアンの体を、角で掬うようにしてまたしても空中へと跳ね上げた。

「コフッ」

 固い角で腹部を抉るような攻撃を繰り返され、マクシミリアンが血を吐く。サイ獣人は、抵抗を全く見せない対戦相手を、嬲るように、そして観客によく見えるように跳ね上げ続けた。

 ワァアアアァアアア!!

 城内の熱が一気に上がるのを感じる。遠目にも、マクシミリアンの体から力抜けていくのが見て取れた。


 ――マクシミリアンを助けて――

 ――このままでは彼は殺されてしまう――


 耳の奥にニナの声がよみがえる。私は今、ここで何をすべきかを理解した。

「マクシミリアン!!」

 私はできる限りの大声で叫ぶ。

「抗って! 戦って!! このままじゃ死んじゃう!!」

 だが私の声は、会場を揺らすほどの罵声にかき消されてしまう。

(なら、もっと前で!)

 私はよろけながら立ち上がり、最前列に向かって階段を駆け下りようとした。

「マクシミリアン!」

 枯れ木のようにやせ細った脚には、力が入らない。更に、目の前で行われている残酷ショーに筋肉がこわばるのを感じる。走るどころか、ふらつきながら前に進むのがやっとだ。

「マクシミリアン!」

 中央ではマクシミリアンが無抵抗のまま、サイ獣人の猛攻を受け続けている。ひょっとすると、意識を失っているのかもしれない。私は手すりを掴み、しがみつくようにしながら足を前に進める。

「お願い、生きて! 立って! 抵抗して!」

 掠れた声を必死に絞り出すが、マクシミリアンは何の反応も見せない。

「マクシミリアン! お願い!」

 あと数段で最前列まで行ける。

(すぐそばで思い切り叫べば……!)


 その時スタッフが闘技場の中央へ駆け寄るのが見えた。サイ獣人にこれ以上の攻撃を加えるのをやめるよう言っているのが手つきで分かる。サイ獣人は渋々と言った風情で、マクシミリアンを跳ね上げるのをやめた。


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