第7話 惨いシュプレヒコール

 獅子獣人はそのまま落下し、受け身も取れず床へと叩きつけられた。スタッフは駆け寄ると側へ膝をつき、マクシミリアンの頬を軽く叩く。マクシミリアンはうっすらと瞼を開き、うつろな目を天井へと向けた。

(生きてた……!)

 ひとまずはほっと息をつく。スタッフが眉根にしわを寄せマクシミリアンに何か話しかけている。マクシミリアンはそれに対し、諦めたように首を横に振った。

(マクシミリアン?)

 渋面を作ったスタッフが立ち上がる。その両手が大きく動き、頭の上でバツを作る。この仕合の終了を告げた瞬間だった。


「殺せ!!」

 観客席から怒気のこもった声が湧き上がる。

「殺せ! 殺せ!」

「つまらん仕合しやがって!」

「無為な時間を過ごしてしまった!」

「殺せ! 殺せ!」

「くたばれ!」

(な……、何、これ……)

 観客たちの顔は、何かに酔いしれるように紅潮している。怒りに満ちた殺伐とした言葉を発しながら、その瞳はギラギラと輝き、口元には歪んだ笑みが張り付いている。


 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!

 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!


 熱に浮かされたように唱和する観客たち。私の声などあえなくかき消されてしまう。その時、マイクを持ったアナウンサーが中央に歩み出た。男は、ニタニタと笑いながら観客席に向かって手をふる。そして大仰に一礼すると、口を開いた。

『お集まりの皆さま、先ほどのお粗末な見世物、さぞかしご不満を募らせていらっしゃることでしょう。皆さまの貴重なお時間をいただきながら、それに応えられなかったことを、スタッフ一同心よりお詫び申し上げます』

 クスクスという笑い声が、さざめきのように広がる。アナウンサーは言葉を続けた。

『さて、本日敗北すれば処分が決定しているこちらのWBワーブルート。皆さまがどういった処分がお望みか、それは先ほどの盛大なコールで十二分にこちらに伝わっております。ですがあえて今一度、今一度この遺物にチャンスを与えさせていただけませんでしょうか?』

(チャンス?)

 アナウンサーはわざとらしく哀し気な仕草をしながら、懇願するように視線を上げる。

『この役に立たない遺物を買い上げても良いという奇特な方、おられませんか? 何と今ならたったの120万プレティ! かつては購入に億が必要だったマカイロドゥス型が、たったの120万プレディです! しかも、特別に後払いOK! この場でこのマカイロドゥス型の残骸があなたの手の中に! あなたの優しさがゴミの削減に繋がります。あぁ、エコロジー……!!』

 コロッセオがどっと沸いた。だがそこに好意的なものは一切ない。やがて再び、あのシュプレヒコールが始まった。


 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!

 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!


(ひどい……!)

 敗者をいたぶることだけを目的とした、形式的な助命嘆願。マクシミリアンはただ瞼を閉じ、意思らしきものを見せることなく力なく横たわっている。それを見下ろし、アナウンサーは残忍な笑みを浮かべた。

『非常に残念ではありますが、買い手はつかなかった模様。まぁ……』

 その瞳にあざけりが浮かぶ。

『こんな役立たず、欲しがる人などこの世のどこにもおりますまいが』

「……!」

『では皆さまのご意思に従い』

 会場がスッと一瞬静まり返る。

『これよりマカイロドゥス型WBマクシミリアンの処分を行います!』

 割れんばかりに観客席が沸き立つ。悲鳴や怒号、嘲笑の入り混じる声、そして声。別のスタッフが、先ほどの対戦相手であったサイ獣人に斧を手渡すのが見えた。

(え?)

 斧を手にしたサイ獣人がマクシミリアンに大股で近づく。そして横たわる獅子獣人の厚い胸に足をかけ、グッと踏みしめた。斧を持つ腕の、筋肉の作る影が濃くなる。そして斧はサイ獣人の頭上に高々と上げられた。斧の刃は、明らかにマクシミリアンの頭部を狙っていた。

(処分って、つまり……!!)

 その瞬間、勝手に声が飛び出した。

「私が買います!!」


 ハウリングのキィンとした音と共に会場に響く私の声。私の叫びは、アナウンサーのマイクに拾われていた。止まる時、静まり返る場内。しばしの沈黙の後、どよめきが起こった。

「あれ、クモイ家のニナじゃないか?」

「すでに家財もほぼ没収され、無一文に近いと聞いたが」

 会場中の何千という視線が私に突き刺さるのを感じる。頬が自然と熱くなったが、今はそれどころじゃない。私はぽかんとしているアナウンサーを睨みつける。

「マクシミリアンは、私が買います。殺さないで!」

『……』

 踏みつけにされたマクシミリアンが、怪訝そうにこちらへ頭を傾ける。そして私の姿を認めるや否や、その目は驚きに見開かれた。

「ニナ、様……!」


 観客たちがざわめく。

「おいおい。あの女、買い戻すとか言ってるぞ」

「そんなお金もないでしょうに」

「何だ、この茶番は」

 先ほどまでマクシミリアンに向けられていた嘲りの言葉が、すべて私に向けられたのを感じた時だった。

『なんとぉ! 買い手が見つかりました!』

 アナウンサーのわざとらしく陽気な声が、城内に響き渡る。アナウンサーはニタニタと笑いながら、私をまっすぐに見ていた。

『ニナ・クモイ嬢は現在のオーナーであるベネディクト・ツィヴ氏に対し、一週間以内に120万プレティ支払うことを義務付けられます。なお、期限内に支払われなかった場合、このWBは再びツィヴ氏の所有となり、ニナ・クモイ嬢には倍の金額である240万プレティをペナルティとして課せられることとなります!』


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