第5話 現実の流血なんて求めてない

 目の前に広がっているのは、閉店後のショッピングモールのような光景だった。だが、左右にあるのはショーウィンドーではなく、鉄格子のはまった小部屋。つまりは牢だ。

(刑務所?)

 薄暗い鉄格子の奥に人の姿はない。けれど、ついさっきまで誰かがいたであろうぬくもりと気配が残っている。うっすら漂ってくるのは血や汗の臭いだ。

「……」

 気にはなったが、今は目的の場所へ進むべきだと判断した。前方に目をやる。まばゆい光が四角く差している出口へと、私は足を進めた。


 あと少しで広い場所へ出る。そう思った時だった。

「おい。お嬢さん、待ちな」

 声に振り返る。黒服を着た人相の悪い四十絡みの男が立っていた。

「亡霊が迷い出たかと思ったぜ。クモイ家のニナお嬢様じゃねぇか」

 ニナお嬢様?

「とぼけようとすんなよ。あんたは、ニナお嬢様だ。その顔は見間違いようがねぇ。まぁ……」

 男は私の髪をひと房すくうと、歯茎を見せた。

「ずいぶんとやつれて、面差しが変わっちまってるが」

「……っ」

 不愉快な手を払いのけると、男は肩をすくめ薄く笑う。

(この体の女性、ニナって言うんだ……)

 この男の言葉を信じるならば、だが。初めて得た、この体についての情報。それに、私の本来の名前「新菜」と似ていることに妙な安心感を覚えた。

「それで、どうするお嬢様?」

 男は親指で、クイと出口を指した。

「ヤツの最期を見に来たんだろう?」

(最期!?)

 どくり、と心臓が跳ねた。痛みが走り、そこは早鐘を打ち始める。

「本来なら、チケットを持ってない奴をこの先に通すわけにはいかねぇが」

 男は右手を左胸に当て、左手を出口に差し出しながらわざとらしく腰を折った。

「元オーナーのお嬢様には、栄光の残像の最期くらい見届ける権利があるだろう。通りな。急いだほうがいいぜ」

「……っ」

 私は男を振り切り、あえぐように息をつきながら出口へと足を早める。近づくごとに歓声が大きくなり、それは光と共に私を包み込んだ。


「……!」

 ローマのコロッセオのような光景がそこにあった。

「いけー!」

 すぐそばの席の人間が発した大声に、私はびくりと身をすくませる。

(この人の格好……、皇帝ネロ?)

 見れば観客席はローマの王族風だけではなく、様々な時代や国の貴人たちを模した装束の人たちばかりだ。中には、今の私と似たようなドレスを纏っている人もいる。また観客以上に多いのが、人の映し出されたモニターだった。

 皆それぞれ興奮しきった様子で、中央に熱い視線を注いでいる。それに従い闘技場に目を向け、私は息を飲んだ。二人の男が戦っていた。

(剣闘士?)

 グラディエーターというものだろうか。裸身に腰布をまとい、その上から申し訳程度に胸や肩、腰を覆う皮鎧を着けている。

 金属のぶつかり合う重い音を響かせながら、二人は手にした剣を互いの体に降り下ろし、それを盾で防ぎつつ紙一重で躱していた。

(動物の仮面?)

 戦っている彼らの頭部は、獣そのものだ。今闘っているのは熊……、いや、バクだろうか。そして相手は鹿のように見える。ただし、鹿の頭には六本もの角が生えているが。

(だけど、体……)

 頭部と同じ色合いの獣毛が、彼らのむき出しの全身を覆っている。それに、バクらしい男の腕は、人のものに比べて明らかにリーチが長かった。

(……着ぐるみショー、なのかな?)

 私が小さく息を吐いた時だった。バク男の長い腕がしなり、手にした剣が鹿男の胸元に迫った。鹿男がバックステップで避けたため、その切っ先は掠めた程度ではあったが、鹿男の胸元へ赤い筋が走ったかと思うと、深紅の血があふれ出す。

 ワァアアアアアァアアアァアア!!!

「!?」

 胸に手をやりよろけた鹿男に、コロッセオ中の人間が歓声を上げる。うっとりと陶酔した表情になる者、ぎらついた眼差しを向ける者。声で会場はビリビリと振動していた。

(これってショー……、だよね?)

 体の奥に震えが生まれる。

(戦っているように見えても殺陣で、あの血だって仕込んでおいた血糊だよね?)

 心の中で私は自分自身に言い聞かせる。けれど、心臓は早鐘を打ち、冷たい汗が額に浮かぶ。喉の奥がカラカラになって貼りつく。止まらない震えが、空々しい言い訳を否定していた。

(違う、あれは獣人だ……!)

 心の中で言語化した瞬間、頭の奥が凍り付いたように冷たくなった。

(これは、獣人に殺し合いをさせる見世物だ!)


 ――マクシミリアンを助けて――

 ――このままでは彼は殺されてしまう――


「っ!!」

 この体の持ち主に言われたことを思い出す。

(マクシミリアンもここにいて……)

 私は闘技場の中央でいまだ刃を交わしている二人を見る。

(こんな戦いをさせられるってこと!?)

 ワァアアアアアアアアア!!!

 鼓膜を破らんばかりの歓声が上がる。

「っ!?」

 バク獣人がふらりと傾ぎ膝をつく。固い床にどう、と身を伏すと、やがてその巨体の下からジワリと赤いものが染み出すのが見えた。

(……!!)

 ドクリと体の奥が震えた。心臓が体の内側から、強く激しくノックする。

 幾人かのスタッフが敗者に駆け寄った。皆、バク獣人に比べ随分と小柄だ。彼らは力を合わせその体をひっくり返す。痛みに体を引きつらせたバク獣人が、顔を歪めて何か叫んでいるのが見えた。

(生きて、る?)

 バク獣人は担架に乗せられ運ばれてゆく。スタッフによってすばやく拭き取られる、床の赤い水たまり。勝者の鹿獣人が拳を天に向けて突き上げると、もう一度観客席から大きな歓声が沸いた。


 へなへなと私はその場にくずれ落ちる。手も足も力が入らず、小刻みに震えていた。

(ゲームでは毎日のように繰り返していたことなのに……)

 騎士団を率いて敵を倒すことで物語が進む『デミファン』。

 私は彼らに出撃を命じ、傷つき戦う彼らの姿に胸の高鳴りすら感じていた。

(生きた人から真っ赤な血があんなにたくさん流れているの、見たの初めてだ……)

 口からは細切れの息が無様に零れる。意識がゆらゆらと揺れる。震える指先で、ドレスの胸元を掴んだ時だった。

『皆さま、お待たせいたしました! 次のファイターはその名もマクシミリアン! ご存じ、連戦連敗のマクシミリアンの登場です!』

「っ!!」

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