第3話 出る場所間違ってませんか?

 私は目を開く。身を起こし、狭いワンルームを隅から隅まで見渡した。この部屋に人の隠れられるような場所はない。

(女の子の声?)

 確かに「助けて」と聞こえた。

(外かな? 誰かが痴漢に襲われてたらどうしよう)

 不安を覚えながらも、カーテンのすき間からそっと外をうかがう。白々とした街灯に照らされた道路に、人の姿はなかった。

(……いない)

 隣の部屋からだろうかと、壁にそっと耳を付けた時だった。

 ――たすけて――

 さっきよりもはっきりと声が聞こえた。隣の部屋からではなく、間違いなく私の部屋で。

「え……、何?」

 背すじが冷たくなる。

(この部屋、事故物件じゃなかったよね?)


 壁から耳を離し、恐る恐る部屋の中央へ向き直った時だった。

「~~~~~~~っっ!!!」

 声にならない空気の塊が喉からほとばしり出た。

 目の前には、青白い顔をした女性が浮かんでいた。

(な!? な!? なぁああぁ~っ!?)

 プラチナブロンドの髪をおどろにたなびかせ、アメジストの瞳は涙に濡れている。着ている服は、絵本や歴史の本なんかで見るお姫様のドレスだ。

(だ、誰!?)

 頬はこけ、指先は枯れ木のように骨ばり、全体的に薄汚れた印象だ。体は透けていて、うっすらと背後のキッチンが見えている。

(ワンルームに出るタイプじゃないよね、この人!!)

 ヨーロッパの古城で夜な夜な歩き回れば、ちょっとした客寄せになるやつだ。

 口を震わせたまま動けずにいる私に、もう一度あの声が聞こえてきた。

 ――助けて――

「ぁ……、ぅあぁ、あっ、のっ……」

 思うように動かせない口で、何とか言葉を紡ぐ。

「お、お間違えじゃないですか? 出る場所……。こ、ここっ、あの、ご覧の通りの手狭なワンルームでして……、お、お姫様の出現場所としては、ふさわしくなく……」

 ――助けて――

「そんなこと言われましても、い、一介の社畜に出来ることなど何一つございませんので、あの、お引き取りいただければ……」

 ――助けて――

(助けてほしいのはこっち~~っ!)

 こんな時、誰に助けを求めればいいんだろう? 霊媒師? お坊さん? エクソシスト? 神父さん?

(だいたい、なんでこんなヨーロッパ貴族みたいな霊が私の部屋に!?)

 このワンルームの前の住人とは考えづらい。かといって、私がどこかで拾って来た可能性もまずない。こんなお姫様の霊が出現するような場所、生まれてこのかた旅行したことない。金銭的にも時間的にも余裕がない。

 ――助けて――

「……」

 幾度も同じ言葉を繰り返す霊を前に、私は少しずつ落ち着きを取り戻してきた。

「あの……、助けてと言われてもどうすれば? 私はこの通り平凡な人間なんですが」

 ――……――

「あなたを助けようにも、何をすればいいのかさっぱりわかりません。ヨーロッパへ行くだけの貯蓄なんてないですし」

 ――ちがう――

「違う? 違うって、何が?」

 ――助けてほしいのは、マクシミリアンのこと――

 誰?

「あの、マクシミリアンって……」

 私が問いかけると、姫の霊は両手を自分の胸元に持って行く。彼女のてのひらにバレーボールほどの大きさの光球が生まれた。

(ん?)

 光球の中に何かが揺らめく。やがてそれは一つの像を結んだ。

「!」

 思わず息を飲み、身を乗り出す。執事服に包まれた隆々たる体躯、獅子の頭を持った獣人の偉丈夫がそこに映し出されていた。

(ライアン!? いや、違う)

 ライオンモチーフで同じマンダリンオレンジの獣毛だったため、一瞬、別れを間近に控えた液晶の向こうの恋人に見えた。しかしよくよく目を凝らすと別人だ。ライアンより細面で、バーガンディーのたてがみは顔周りを縁取るものではなく、馬のようにうなじへと流れている。スタイルは、モヒカンヘアに近いだろうか。

 私は口を押え、その姿にただただ見入る。

(か、かっこいい! それに、執事服!? デミファンの新実装キャラとか? いや、落ち着け。サ終を控えたゲームにそんなわけない。でもすっごく素敵! 胸元がはち切れそうだけどそこがまたいい。やばいやばい、かっこよすぎて心臓が限界の動きを……! あっ、違うのライアン、これは浮気なんかじゃなくて……)

 ――彼がマクシミリアン――

 私は顔を上げる。アメジストの瞳の中に、私の姿が映り込んでいた。

 ――彼を助けて――

「え……、あ、でも……」

 私だって、このイケ獣人の力になれるならなりたい。でも、具体的に何をどうすればいいか、さっぱりわからない。

 困惑する私を前に、彼女はかさついた唇を開いた。

 ――このままでは彼は殺されてしまう――

(殺される!?)

 反射的に私は立ち上がっていた。

「はぁああああぁ~~っ!?」

 怒りが全ての感情を凌駕する。

「殺されるって何!? こんな尊みの化身が世の中から消えていいわけない!! どこのどいつじゃい、彼を殺そうとしているクソ野郎は!」

 ――マクシミリアンを助けて――

「どうすれば助けられるの!?」

 ――……――

 姫の霊が、弱々しくも嬉しそうにほほ笑んだ。刹那、私を包む光景が揺らぐ。

(え?)

 私のつつましいワンルームに、ロココ調らしき貴族の館の内装が二重写しとなる。

「な……」

 深夜までスマホをいじっていたために起きた眼精疲労だろうか。私は目をしばたく。一度きつく目を閉じ、てのひらで両目を覆う。

 そして顔から手をはずし瞼を開いた時、私がいたのはしんと静まり返った貴族屋敷の一室だった。

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