第3話

 面倒だったのはその後だった。

 蒲田が去った後、大量に残っていたビールで岡野はだいぶ酔い、僕に絡んできた。それも高校の時の記憶の残滓ざんしの働きなのかも知れない。

 だが、僕は蒲田に会う機会を作ってくれた岡野に密かに感謝していたからあまり邪慳じゃけんにはしなかった。主役が去り、幹事がへべれけになったまま同窓会はお開きになり残ったのは僕と朝倉、そして岡野の三人だった。

 朝倉は酔い潰れた岡野を見かねてか、せっせとビニール袋にごみを詰め込んだり、机を拭いたりと後片付けを自主的にしたので、僕はちょっと見直した。しばらく学習机に突っ伏したまま眠った(まさか学習机はそんな経験をするとは思っていなかったであろう)後、甲斐甲斐しく働いていた朝倉に向かって呂律ろれつの怪しい口調で、

「明日までに綺麗にすればいいんだから、大丈夫だ」

 としきりに言った。

 一通りの作業を終えた朝倉は

「分った」

 と手を休めた。

「タクシー、頼んでくれよ」

 岡野は僕にそう言うと再び机に突っ伏した。朝倉が手帳にタクシー会社の電話番号をメモしてあったので、それを頼りに僕はタクシーを呼ぶことにした。

「朝倉はどうする?」

「うちは近いから」

「そうか。じゃあ、タクシーが来るか外で待っている」

「うん」

 眠ってしまった岡野を朝倉に預け1台だけタクシーを呼び、僕は校門近くで待つことにした。夜風が気持ちよかった。タクシーは10分もしないうちにやってきた。


 翌日。

「只で泊まらせたんだから。手伝えよ、その代りついでがあるから東京まで車で送って行ってやる」、と言われ仕方なしに僕は高校の教室へ、岡野と二人で後片付けに行った。1億円でびびり、高校時代の友人を泊めただけで、対価を求める。往々にして不毛な人生は人間をせこくする。そして、それを現実だと人はうそぶく。

 別にこちらから泊めてくれと頼んだわけでもないし、夕飯や酒を奢って貰ったわけでもない。岡野がどうしても泊まって行けと行って腕を放さないから仕方なく頷いただけだ。まあ、帰っても憂鬱な第1日曜日が待っているだけで、少しでも事態に直面するのを先延ばしにしたかったという気持ちが僕になかったわけではない。

 だが・・・泊まっていくと僕が決めた途端、ちょっと「海竜園」に精算のことで用があるからゆっくりしていてくれと、初めて会った奥さんと気まずい時間を過ごさせられたのだ。それでも、

「主人が友だちを家に呼んだのは初めて」

 なのだ、と、奥さんは少し嬉しそうだった。岡野や僕と同い年にしては少しやつれて、歳が行っているように見えた。少なくても奥田早紀と同い年だとは信じられなかった。

 一時間半ほどしてから帰ってきた岡野が安ウィスキーを買ってきたので、それを少し飲んで2度目のお開きにした。

 暫く使っていないらしい、古い匂いのする布団と、朝食の鮭の塩焼きと納豆と味噌汁の対価にしては「岡野と二人で教室を掃除する」というのは高くつく作業だと思ったが、せっせと朝食の用意をしてくれた奥さんの手前、頷かざるをえなかった。


 一応、参加者はみんな社会人だけあって、滅茶苦茶汚れているというわけではなかったし、前夜朝倉が多少片付けてくれていたお陰でそれほど手間はかからなかった。それでもこぼれたビールや炭酸飲料の跡があったり、食べ物の屑が落ちていたりして、僕らは箒で掃き、モップをぬらして床を綺麗にし、最後に机の上を拭くことにした。僕らの時代とは違って机は軽く、表面には樹脂が塗られていたけれど、それでも悪戯書きをする奴らはいる。「真子、ラブ」と自分の机に書く奴は馬鹿に違いない。そういえば、昔、岡野も同じ事をしていた。愛している。A。岡野の机には恥ずかしげもなくそう彫ってあった。

 だが二十年以上の年月が経ち、机は取っ替えられ、愛しているAはだいぶ変貌していた。

「しかしなあ、一億ってまじかよ」

 岡野は昨日の蒲田がした話を蒸し返した。

「まあ、そのくらいのことはあるかもしれないなあ」

 僕は「真子、ラブ」のラの字を持っていた家の鍵を使って「デ」に変えてみた。

「あいつ、今頃、飛行機に乗っているのかなぁ」

「かもね」

 真子、デブ。20年後の誰かの同窓会で話題になるだろうか、或いは明日、喧嘩のもとになるだろうか?

「でもあいつ、少し調子に乗っているよなあ。人気があるからって」

「そんなことはないだろ。芸能人にしては普通だったと思うよ」

 そう返すと、でも、と岡野は唇を尖らせた。

「会費だって、とらなかったんだぜ」

「そうなのか」

 どうせ、岡野の方から只でも良いから来てくれって頼んだのだろう。公平に言って蒲田はそんな要求を自分の方からするような女性じゃない。

「儲かっているのにさ、それに、絶対に歌わせないでねって頼んできたし、そうじゃないと来ないって言うから」

「それはプロなんだから仕方ないんじゃないか?事務所からそう言われているって、言ってたじゃないか」

 それが蒲田の作り話だと知っていても僕は平然と彼女を擁護した。だが、

「クラス会の時はプロなんて関係ないと思うんだよね、おれは。」

 岡野は真面目な顔をして反論した。

「おれだって不動産屋の力を使って無理して学校に入れて貰ったんだしさ」

「まあな」

 僕は適当に相づちを返した。真子、デブに書き換えたことを少し後悔しながら・・・。でも一度デブに変えた字はラブには戻らない。

「その・・・学校だってあいつが行きたいって言ったから無理したんだ」

「そうなのか?」

 同窓会で一番懐かしかったのはあの教室での時間だった。全ての懐かしさが溢れるように湧いてきた。とりわけ喫煙室での蒲田との会話では・・・。

 例え、岡野が蒲田に気に入られようとしただけだとしても、学校に入れたことだけで、同窓会にたってきた価値はあった。蒲田だってそうだろう。

 途切れていた「共有された時間」をあの時僕らは取り戻した。それまで、僕らの周りでは早く流れていた時間は、蒲田の周りでは少しゆっくり流れていたのかもしれないけど、一瞬にして僕らの時間はシンクロしたんだ。


「でさ」

 僕が、昨日の事を思い出して少し手を休めたのに気づいたのか、岡野は布巾を絞りながら少し落ち着かない様子で僕に尋ねた。

「蒲田となにを話したんだ?」

 僕は首を傾げて岡野を見た。

「え?高校の時の思い出話だけど」

「本当にそれだけか?」

 岡野は絡みつくような話し方をした。

「岡野の話もしたよ」

「俺の?どんな話だ?」

 岡野はたちまち話に食いついた。

「お前が転校してきたばかりの僕の机に蛙の死骸を入れたこと」

「うそつけ」

 岡野はくいついた餌が思ったようなものでなかったかのように身を引いた。

「お前・・・覚えていないのか?そのこと。それで学級委員長だった蒲田に怒られたこと」

「?」

 岡野は目をぱちくりとさせている。

「とにかくお前は僕をいじめたのさ」

「そんな事は・・・ないだろう?」

 本当に覚えていないようだった。

「いじめっていうのはそういうもんだ。やられた方は死ぬまで覚えているし、やった方はすぐ忘れる」

「本当に、俺、そんなことやったのか?」

「ああ」

「そりゃ、悪かったな。謝るよ」

 岡野は頭を下げた。それで数十年来の確執が精算されるとでも思っているようだった。

「利子がついている」

 僕が答えると、

「・・・蒲田がね」

 突然、岡野は話を変えた。

「お前が出席するか、すごく気にしていたんだ」

「ん?」

 何を言い出したのか分らないまま、僕は岡野を見ていた。

「お前が来ないと蒲田も来ないような感じだったから、なぁ。無理矢理お前を誘ったのさ。だから聞いているんだ。何か理由があるのかなと」

「ほんとうに話をしただけだ」

「だからさ、何の」

「蛙の」

 岡野は呆れたように僕を見た。

「・・・。それだけか?」

「あと、家族のことかな。子供の」

「あ・・・。お前、家族居るの?」

 岡野は意外だとでも言うように僕を眺めた。

「なんだよ、それ」

「いや、なんか、西尾って結婚しなさそうだったからさ」

「・・・」

 結婚はしたんだけどね、と思いながら僕は机拭きの作業にとりかかった。

「お前さ、もしかしたらと思わなかったか?」

 岡野が言った。

「何を、だ」

「いや、もしかしたら芸能人と付き合えるかも知れないってさ」

「・・・蒲田と、っていうことか?」

「まあ、奥田早紀とさ。彼女結婚していないし。空き家だろ?」

「ないな」

 僕は断言した。不愉快だった。そんな話題からも遁れたかった。

「彼女、昔、そういう噂もあったしさ。お前にだって俺にだってチャンスくらいあるだろ」

 僕は岡野を見た。昔・・・デビューをした頃に出た噂は彼女がモデルやレースクイーンをしていたことで産まれた根も葉もない噂だった。

「なんだよ・・・。睨むほどのことじゃないだろ?クズだと思っているのか、おれのこと」

 いや、と僕は首を振って机を拭く作業に戻った。

 お前はクズじゃない。とびっきりのクズだ。

 だけど、蒲田に会わせてくれたのはそのとびっきりのクズだ。クズだって役に立つことはある。野菜クズだって肥料になる。そう思った。そう思うしかなかったのだ。

 それから暫く僕らは無言で作業を進めた。

「でもまあ、奥田早紀に会うことも出来たんだしさ。悪くはなかっただろう、今回の同窓会」

 五分ほど無言で作業をして、観念したかのように岡野は話しかけてきた。

「まあ、な」

 僕は素っ気なく答えた。

「悪かったよ、変なこと言って」

「謝るなら蒲田に謝れよ」

「いや、あいつは俺がそんなこと考えてたってしらないだろう」

 どうかな、と思いながら僕は

「まあ、な」

 ともう一度呟いた。

「結局、足がでちゃったよ。今回さ。」

 岡野はぼやいた。

「管理人に酒なんか買ってかなければ良かった。だいたい学校で宿直が酒なんか飲んで良いのかね」

「持って行ったお前が言うなよ」

「そうだな。あと会費かあ。蒲田から徴収すれば良かった」

「今更、言うな」

「西尾、半分出せよ」

 冗談とも本気ともつかない口調で岡野は言った。

「二人きりで話せたんだからさ。そのくらい安いもんだろ?1万円出してコンサート行ったって二人きりで話なんか出来ないぜ」

 「真子 デブ」と書き直してしまった机が目の前にあった。

「いいよ」

 僕は答えた。

「え、良いのか?」

 岡野が嬉しそうな声を上げた。たったの3000円だ。疲れ切った野口英世を3枚財布から引き抜くと僕は岡野に渡した。

「ラッキー」

 クズにも幸運は、くるらしい。3000円くらいの。


「あのさ、岡野」

「なんだよ」

 岡野はそそくさと3000円を財布にしまいながら僕を見た。3000円に何か条件でもついているのか、と疑うような目付きだ。

「いや、なんでもない」 

 もし、あの時、蒲池さんが1億円って言ったとき岡野が同じように「西尾、半分出せよ」と言ったら僕はやっぱり「いいよ」と言ったような気がする。お前、なぜ、言わなかった?だがそんな事を聞いたら岡野は僕のことを狂ったのかというような目で見るだろう。

 いや、岡野が「お前が全部出せよ」と言われたとしても、貯金を全部下ろして家財道具や家を売ってでも、ありったけのお金を出して・・・借金してでも。

 でも、岡野は言わなかった。

 いや、・・・岡野のせいじゃない。岡野が言わなくたって、僕がそういえば済むことだった筈なのに、僕はそう言わなかったんだ。

 もし僕らが、僕が「出す」と言ったら蒲田はなんて答えたんだろう?何かを惜しんだせいで何かを失ったのかも知れない、ふとそう思った。

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