第24話 過去と弟と護るべきもの
「いってきます‼」
活発な少女の声が一軒家に響いた。
一年生のときから大切にしていたランドセルは今やぼろぼろである。それもそのはず今年で4年生になる古儀蒼依は毎日のようにそれを背負い、学校に行っているのだから。
性格は誰に似たのか元気で活発、友達にも恵まれ、毎日自由に暮らしていた。
母、陽子は今年3歳になる悠斗の面倒を見ていた。彼も子供らしく活動的だった。最近買ってもらった3輪車を部屋の中で乗り回し、あらゆるとこに身体をぶつけている。
母からしてみれば危なっかしくも愛おしかった。
父親は若くに他界。原因は事故だった。相手側の前方不注意による車両と歩行者の接触事故。頭を強く打った事による脳死。彼の遺体は全てドナーとして使われ、遺体は帰ってこなかった。
蒼依は当時1年生だったがその事実に対して子供らしからぬほど落ち着き、理解していた。
『お父さんとはもう会えないね。だからゆーちゃんは私が守る。』
遺体がない葬式の時、涙を堪えながら呟いた一言は震えていたが陽子が立ち直るには十分だった。
自分の娘がこんなにしっかりしているのに自分だけ泣いているわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせるように立ち上がった。
そして3年。
正社員として働き、なんとか2人を養うこともできるようになった。
ああ、この日常が続けばいい。蒼依や悠斗が大人になったときはどうしようか、少し気が早いか。
そんな想像をしながらも送り続ける平和が陽子は好きだった。
それは秋の終わり頃だっただろうか。冬の寒さを感じるようになったときだろうか。
紅葉が赤から茶色に変わり、落葉となる頃だ。
私たちは蒼依と悠斗を連れて買い物に行ったときだ。久しぶりに三人で休日を消化しようとした時だ。
先頭を意気揚々と歩き、悠斗の手を握って前に進んでいた時だった。
その瞬間を私は一生忘れないだろう。
蒼依と悠斗の身体が横に吹き飛んだ。二人の身体が生垣に崩れていくのを陽子は見ることしかできなかった。
二人に駆け寄ることができなかった。怖かったのだ。脚が動かなかった。
蒼依の胸が血で染まり、呼吸が荒い。悠斗は頭から血を流している。
どくどくと流れる血潮が地面を濡らしている。
何が起こったのか理解できなかった。二人の命が失われていく様を眺めるしかなかった。
また、私は大切なものを失うのか。
その視界が暗くなるだけだった。自分は何もできない。
その時だった。一人の女性が血に染まる二人に触れた。奇妙な衣装を着た彼女の目を引くのは頭に携えられた緑色の王冠だった。まるで西洋の喪服、いやウェディングドレス。漆黒のドレスを纏った女性がいたのだった。
蒼依が悠斗を庇ったのは完全に勘だった。『危険がやってくる』。本能がそう叫んだように感じた。音速を越えた弾丸が飛んでくるとは思わなかった。
そのおかげで悠斗への直撃は免れた。しかし自分を貫いた音速弾は悠斗さえも傷つけてしまった。
「お父さんが死んだとき守るって決めたのに。」
突き飛ばしとけば良かった。そう後悔するも今の自分はどうしようもない。肺を貫き、動脈を傷つけられた今、自分の胸から体温が下がっているのを感じた。
その時、柔らかな手が頬を触れるような気がした。いや間違いない。誰かが頬を触れた。
一瞬母のものかと思ったが違う。母の手はもっと温かい。この手はやわらかいが冷たい。まるで死体のようだ。
「自分の弟を庇って死んだか。」
蒼依の口が勝手に動く。
「そう。私は死んじゃったのね。」
「ああ。詳細は言えないが私が原因だ。本来奴が暴走する前に私が止めるべきだった。しかし想定以上に彼の暴走が早くて、対処に遅れてしまった。申し訳ない。」
正直、蒼依にはそれはどうでもよかった。それ以上に気になることがあったからだ。
「悠斗はどうなる?」
「時間が経てば間違いなく死ぬだろう。今も尚死が近づいている。」
「私への謝罪はいい。それよりも弟を何とかしてでも助けて。お願い。」
口だけしか動かないがはっきりと力強い声でそう願った。
「そうか。それが君の”真の願い”なんだな。わかった。今回の”戦い”に勝利者はいなかった。君の願いを叶えるためにこの願いを叶えるとしよう。ところで君はどうする?」
「どういうこと?」
「君はこのまま死する運命だ。しかし君の弟君は君の死を見ることになってしまった。もし彼が生きていく中で残酷な運命が降りかかるとき、君は彼の傍にいることができるようにしてあげよう。」
「残酷な運命……?」
「ああ。彼はいずれその心を病み、傷つくだろう。その時まで君は彼の中に居続ける。守護者として、一人の契約者として。その時まで君は彼を”護る”盾となるんだ。そのためにも君に関する記憶は彼の中から抹消しておこう。」
それは蒼依にとって願ってもいなかった幸運だった。弟と一緒に居続けられる、彼を守れるなら私は全てを投げ出そう。この身体も、この命も、この魂さえも。愛する弟のためならどれだけのものでも捧げられる。
そして15年間、私は弟と一緒に居続けた。私と弟は契約にとって器となったことで怪我も無く健やかに。
悠斗は私という違和感を感じていたのか友達が少なかったのが少し気がかりだ。
そして16年目。ついにその時は来た。
その始まりは全てが巧妙に仕組まれていたのかもしれない。
一人の契約者と器を磔の少女に襲わせ、事故を装いゆーちゃんを戦いに参加させた。
恐らく私を表出さないようにするためだろう。イレギュラーな私の能力は未知数だ。”戦い”を有利にさせるには
私をほかの少女で上書きするのが正解には近いだろう。
ゆーちゃんはいろいろな出会いをした。弟がまた誰かの命を救い、誰かのために戦い、誰かと共に戦った。
ゆーちゃんはいろいろな戦いを経験した。己の怒りを糧にして戦った。契約者と共に力を合わせて戦った。悲しみを乗り越え戦った。
ゆーちゃんはいろいろな別れをした。同じ喪失感を持つ者が目の前で死んだ。愛を知り他者と分かり合えた者を失った。好敵手となる超えるための壁となる者を自らの手で殺してしまった。
そしてゆーちゃんは自分の”真の願い”に気付いた。そんな成長が嬉しいのは姉として心からの気持ちだった。
「…そして、その女の人が『これから蒼依のことを秘匿するように』というわけよ。で見たら無傷のあなただけが生垣の中で眠ってたわけよ。」
「そうか。」
陽子の声が一段と低くなる。
「正直、言われたときホッとしたわ。多分その時、私は彼女がいなくなったことを受け入れられなかった。私は彼女の死を受け入れられなかった。本当はもっと早く言うべきだった。ごめんなさい。」
その声はいつもの母の威勢のよさは鳴りを潜め、弱々しかった。
「ううん。お母さんは強いよ。私の事もゆーちゃんの事もありがとう。」
悠斗の電話を取り上げ、一人の少女が電話に呟いた。
「えっ……。」
「うん。久しぶり。」
そこには一人の少女が立っていた。長い黒髪は腰まで達し、その瞳は黒いが、光の反射によっては青くも見える。なによりその顔は段ボールに入っていた写真に写っていた子供にそっくりだった。
「お母さん。ゆーちゃんはとても成長したよ。だから安心して。」
「蒼依なの?どうして?どこいってたのよ‼」
「詳しくは言えない。けど元気にしてたよ。」
「そっか。良かった。本当に良かった……。蒼依。」
「うん。じゃあね。お母さん。」
電話を切り、蒼依は腕を悠斗の背に回し抱きしめた。
「あんなに小さかったゆーちゃんがこんなに大きくなったなんて、お姉ちゃん嬉しいよ。」
頭を撫でる手は母さんにそっくりだ。
「ずっと俺の中にいてくれたんだね、姉ちゃん。」
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