第21話  聖母と別れと血の魔法陣

ちょうどエマの方も終わったのか、こちらに近づいてきた。


「開放のその意味、やっとこさ理解できたな。」

「ああ。アンジュの時は普通にできていたんだ。」

「あれは上書きによるバグの一種だと思うんだがな。それよりもこの教会、少し違和感を感じる。」

「何がだ?」


先が尖った屋根が林の中から見える。一見普通の教会にしか見えない。

「キリスト教の教会と書いていたが、十字架の要素が一切見えないんだ。」

「そういうものもあるだろう。」


「もう一つ、明らかに道が整備されてなかっただろう。教会が立つほどキリスト教が根付いている町にもかかわらず、山道が一切整備されていないのも奇妙だ。」

「昔の建物で誰も来ないからじゃないか?」

「なら駐車場があるか?地面を見てみろ。」

駐車場と思われるこの場所をそう認識したのは地面に埋まった黄色と黒のロープが仕切りとして這わされているからだ。


「私の勘違いかもしれないが、ここは少し奇妙だ。少し教会を訪れたい。」

「分かったよ。」


いわくつきの教会は駐車場から少し歩いた先にあった。たしかに教会だと分かるものの、十字架は見えず、装飾さえもかなり控えめだ。

「ロマネスク様式ってやつじゃないのか?」

「いや、それにしては窓が少なすぎる。」

「詳しいな。」

「まぁ、ヨーロッパ生まれだしな。」


木製の扉をゆっくり開ければ、確かに教会のようだ。

椅子が並び、奥には神父が立つ台、そして壁には巨大なステンドグラスが日光を取り入れている。

女性が倒れている男性を膝枕し祈っているようにも見える。女性の頭には緑色の宝石があしらわれた冠を被っている。男性の手には銀のペンダントが握られている。高さ5mくらいだろうか、あまりの大きさ、美しさ、壮大さに少し見とれてしまっていた。


「なんだこのステンドグラス?見たこともないぞ。」

エマが隣で首をかしげている。

「もしかしてキリスト教じゃないのか?」

「その可能性は大いにある。しかしこんな巨大な建物を作れるほどの新興宗教が存在するか?」

「確かにな。」


奥まで歩き、ステンドグラスを見上げる。

見上げる女性は微笑んでいる。目は閉じているが間違いなく聖母のように易しい瞳をしているのであろう。


「ユート、こっちだ。」

聖壇の横の扉は長い廊下に続いていた。窓がなく、明かりは壁につけられたランプが並んでいる。遠近法によって遠くに行くほど両脇の明かりが中心に向かっている。

壁には絵画が並べられている。それが何もを意味するのか二人にはわからないがその廊下を歩み続ける。

3分ほど歩いたところか大きな扉が行く手を拒んだ。


縦2m横3m程の両開きの樫の扉。その重い扉をゆっくり押した。

二人の眼前に現れたのは大きな魔法円だった。赤い液体で描かれたそれは直径10mほど、地面に精密に描かれている。

周りには機械が散乱している、パソコンや実験器具、何かしらの研究が行われていたのは間違いないだろう。


「なんだこれは?」

大理石の床に描かれたそれにおぞましさを感じたのは悠斗だけではなかった。

大理石を削り、その溝に血を流し込んでいるようだ。

乾燥しきった血は赤黒くこびりつき、腐った香りを漂わせている。

教室2つ分くらいの部屋の中心に描かれたそれには複雑な模様や文字がびっしりと書き込まれている。その一文字一文字が地面の溝として書き込まれ、その印章を構成している。


「わからないがなにか恐ろしいものを感じるな。なぁエマ。」

しかしその返答は帰ってこない。

エマでさえその異質さに驚きを隠せていなかった。いやそれ以上の畏怖がその目に張り付いていた。部屋の中心をじっと見て膠着してしまっていた。

「どうした?エマ?」


「フッ…そういうことか。そういうことだったのか。」

エマの声が部屋にこだました。


「ユート、これまでの全ては………」

エマが振り返り、名前を読んだその時だった。

風切り音と共に何かが飛来した。


床に垂れる赤い液体が増えていることに気づいた。

その発生源を目で辿る。そこには小さな足。

自分のそばに立つ金髪の少女からだった。彼女に目をやる。背から突き刺さった赤い二股の槍。

小さな胸から飛び出した先端が血を滴らせる。


一瞬何が起こったのか分からなかった。理解するのを拒んだからかもしれない。

景色がスローに流れる。エマが前に崩れ倒れていく。背中の槍は粒子となって消えていく。

うつ伏せのエマを仰向けに抱きかかえる。


「エマ‼」

また俺は失うのか、また俺は何もできないのか?


荒い息を切らしながらエマは訴えかけてきた。

「ユートの願い、叶えられなかった。すまない。しかし、一緒に入られた時間は楽しかった。さらばだ。」


視界がぼやける。それは涙ではなく目の奥から濁るような感じだ。

抱きかかえる腕の感覚も、薄れていく。鼻を突く血の匂い、鋭敏になっていたはずの耳さえも遠く感じる。

(腕が重い、力が入らない……。なんだ?)

視界が狭まっていく。最後に見た光景はエマの虚ろな目だった。

光を失った青い瞳は瞳孔が開ききって虚空を見つめていた。

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