第3話 妹と槍とオムライス


家に着いた時にはエマの目がとろんとしていた。


「眠いのか。」


ヘルメットを脱ぎ、目をこする。


「大丈夫だ。ユート。なんのこれしきだ。」

と言っているがその歩幅は明らかに狭い。


「さっさと寝ろ。」


パジャマに着替えたエマはそのまま部屋に行ってしまった。

悠斗はソファに身を預ける。


「やっぱり俺は甘いな。」


自嘲とも後悔とも聞こえるような言葉は悠斗の背に重くのしかかった。


朝の目覚めは最悪だった。腹部が痛い。母の起こし方は荒っぽいな。

首だけを動かしてテーブルを見る。テーブルの上にはトーストと目玉焼き、コーヒーが置かれていた


「やっと起きたわね。」

「今何時?」

「7時30分。」


寝ぼけた脳が時刻を理解しようと頭の中で唱え続ける。7時30分、七時三十分。しちじ...さんじゅっぷん……。


「遅刻じゃねぇか‼」

ソファから飛び起きる。エマはトーストを頬張っている。いちごジャムが口の周りにべっとりとついている。

自分の部屋に戻り、服を着替える。ノートpcをカバンに詰め込み、部屋を出る。

テーブルのトーストを口に突っ込んでコーヒーで流し込む。


「エマ、目玉焼きやる‼」


その言葉のあと、悠斗は玄関を飛び出した。

陽子はのんびりとコーヒーをすすっている。エマはコーヒーを怪しげなもののように睨みつけ、舐める。毒を盛られたかのような顔をしながらジャムが塗られたトーストをかじる。その姿を見た陽子は微笑む。


「エマちゃんにはコーヒーは早かったわね。」


そういって牛乳を目の前に出してくれた。


「それよりあの子が傷を作ってくるなんて珍しいわね。なんか知ってる?エマちゃん。」


エマは首を横に振る。


「あの子、体だけは丈夫でね。子供の時からどんだけ怪我してもすぐに治っちゃうのよ。」

「ヨーコ。時間大丈夫か?」

「へ?」


陽子は時計を見る。

時計の針は8時を指している。


「やばいわね。」


陽子はカバンを掴み、そのまま出て行ってしまった。


「まさに親子だな。」


牛乳をごくりと飲んだ。



悠斗はバイクを走らせる。いつもの道ではなくほかの道を使う。いつもの道、つまりエマと出会った道は何が起こるかわからない。

もしかしたら敵がいる可能性もある。そういう訳で回り道を使うことにした。

大学の1限目には間に合った。教授の話を聞きながらノートをとる。いつもの日常に変わらない。

昨日や一昨日のことは夢のように感じられる。こんな日常がずっと続けばいいのに。そんなことを思っていた。

大学の講義も終わり、アルバイトへ向かった。

店長は厨房で料理を作っている。


「こんにちは。店長。」

「よお。悠斗」


店長はこちらを向かずに返事だけで返す。

悠斗はスタッフルームで着替える。

いつもは閑古鳥が鳴いている店であるはずが今日は客が多い。平日にもかかわらずだ。

2時間後―


「悠斗君、上がってもいいよ。」

「了解です。」


制服を片付け、原付に跨る。行きと同じ道で帰る。


「ただいま。」

玄関を開けるとニコニコ顔でエマが立っていた。

「おかえり。ユート。」


いつもならだれもいない。虚空に向かって呟いていた言葉が返してくれる人がいる。言葉が実体を持ったような感触だ。

こうであるならば非日常もいいものだ。そう思いながら家に入った。



「おいしかったぞ。ユート。」

カレーを平らげたエマはソファで寝転がっている。


「なあエマ。もし俺が死んだら、お前はどうなる。逆にエマが死んだら俺はどうなる。」

エマはソファに座り、真剣なまなざしでこちらを見る。


「前にも説明したが、器が死ねば私も消える。契約者を失った場合は器はその能力としての力を失い、老衰まで生き続ける。それだけ。」

「そうか。」


悠斗はエマの横に座る。

「昨日、俺はあいつに勝てなかった。勝てたがあくまで奇襲が成功したからだ。次も上手くいくとは限らない。俺自身が強くなる必要がある。」

「戦闘に関しては自動でやってくれるだろう?何をするつもりだ?」

「戦術面とかだな。」


エマは腕を組み、頷く。

「そうだな、そうだな。しかし、それ以上に大切なことを教えてあげよう。」


「人を殺す覚悟だよ。どんな状況でも相手を殺そうとする意志は自動迎撃をより攻撃的に変貌させられる。いいかい?」


悠斗はその気迫に怖気ずいていた。エマの目は睨みつけるようにこちらを覗いている。まるで自分を試すかのように。

「あぁ。わかってる。」


エマがにやりと笑う。


「そうと決まればやるしかないだろう。日常にサヨナラする覚悟はできたかい?」

「勿論。しかし、日常に戻るために日常を捨てるというのは変なもんだな。」


互いに拳を突き出し、ぶつける。

エマの目突きが鋭くなる。

「では、さっそく作戦会議といこう。まずはこの戦いのルールについて再確認だ。」

「敵の数は不明だ。しかし、それぞれが”能力”を特異的に持っている。」

「能力?」

「そう。例えば私なら断頭台ヨルガ。刃物を生成する能力だ。美咲ならオロチ、刺突武器や毒を操るものだ。器はそれぞれ能力を持つ。」


エマは続ける。

「私たち契約者同士は互いの位置をある程度の距離までなら位置が大体わかる。大体200mくらいが限界だな。」

「武器を生成できるのはそれを12次元からそれを持ってきているだけだ。励起状態にしている。だから時間が経てばそれらは戻っていく。生成するにもエネルギーを使っている。無論、出せる量には限りがある。大体の場合は質量に依存している。出しすぎたら問答無用で動けなくなる。エネルギーが切れるわけだからな。また、能力にもある程度有利不利が存在して……」


悠斗たちは寝る間も惜しんで作戦を練り上げた。


智也はその日、自分の部屋を掃除していた。その手には写真が握られていた。美咲が小学校に入学した時の写真だ。

16年前、妹は死んだ。元々身体が弱かった美咲は長くは生きられないはずだった。しかし懸命に生きようとした彼女は一つの治療法を試すことにした。

成功事例もあった手術であり、挑む価値はあった。しかし手術の負担は弱り切った体には大きい負担だった。手術は成功したものの合併症を発症。


「お兄ちゃん。私を見送るときは笑顔でね。」

その言葉を最後に美咲は亡くなった。葬式の時、智也は泣きっぱなしだった。愛する妹を失った辛さは耐え難いものだった。

最期の言葉を思い出し、自分は何もできなかった。その無力感に苛まれていた。

突然、目の前が明るく光った。あまりの光に目を瞑った。

瞼からでもわかるほどの光が収まり、目を開くと、そこには16年前いなくなったはずの少女と瓜二つの子が一糸纏わぬ姿でそこに立っていた。

その少女は口を開く。

「私の手に触れてください。」


智也は言われるがままに手を触れた。


「契約完了。認証。あなたを私の器とします。」

美咲はここにいる。その事実だけで十分だった。


そしてあの男、古儀と名乗った少年と戦ったとき、美咲は智也のことを初めて「お兄ちゃん」と呼んでくれた。それだけでも十分だ。

そして今。

「お兄ちゃん。お腹空いた。」

「ああ。今から晩御飯にしよう。」

智也は台所に立つ。今がずっと続けばいいのに。美咲との時間が永遠であればいいのに。



「ユートよ。これからはどうするのだ?」

「とりあえず、相手は全員、敵と仮定する。その上で殺しやすい奴から狩るしかないだろう。」

バッグにレポートやノートpcが入っていることを確認する。


「俺は今からバイトに行く。何かあったら携帯で俺に連絡を入れてくれ。能力は緊急時ならどんどん使ってくれ。逆もしかりだ。」

一昨日形態は壊れてしまったので旧型の奴を使うしかないが連絡程度ならすぐ動かせる。


「了解したぞ。」

エマは敬礼で見送る。


バイクを駐車場に止める。レストラン:テレジアの裏口を開ける。今日は店長は休みだ。店の掃除、料理の仕込みやら何やらを始める。

開店時間になれば、店の表口を開けた。

休日ということもあり、それなりの数の客が入ってくる。その中でも目を引いたのは少女だ。

サラサラの茶髪に綺麗な青い目。顔立ちは外国人のようだ。年齢も幼く、10歳ほどだろうか。たった一人でクリームソーダを頼んだまま窓際の席でずっと外を覗いているのだった。1時間、2時間、3時間、昼過ぎになっても親は来ない。

悠斗はその少女が少し気になった。


「君、お母さんやお父さんはいるかな?」

椅子に座る少女の目線と同じ高さになるように膝を落とし、尋ねた。


「ううん。けどお兄さんがいるから大丈夫。」

無表情でその少女は答えた。


「そうか。お兄さんを待っているんだね。ところでだけどお腹空いてないかい?」

少女は首を横に振る。


「そっか。作りすぎたから食べてほしいんだけど。いいかな?」

悠斗が持つ給仕盆の上にはオムライスが置かれていた。


少女の青い瞳が一層大きくなる。

悠斗はオムライスを少女の前に置いた。少女はそれを頬張る。


母子家庭の悠斗にとって一人での食事は慣れたものであった。

今、料理が上手いのもあの時の経験からだろう。一人で食べる食事の寂しさは誰よりも分かっているつもりだ。彼女にそれを重ねてしまったのだろう。


皿の上のものを完食した少女は笑顔でこちらに向き直る。

「ありがとう。オムライスのお兄さん。」

無垢な笑顔は眩しすぎる。


そのままは4時間後。

日が傾き、空は茜色だ。

客は殆ど帰っている。その少女だけは窓の外を眺め続けている。


「そろそろ、閉店ですが。お嬢さん。」

少女はこちらを見て、席を立つ。


「お会計、お願いします。」

「クリームソーダ、400円です。」


少女は困惑したような顔を浮かべる。

「オムライスは僕からの驕りですから、お代は結構です。」


少女は100円玉を4枚、ポケットから取り出して渡した。


表口を小さな体で押しながら、こちらに手を振ってくる。

無意識にこちらも手を振ってしまう。


店じまいをし帰ってくるとエマは本を読んでいた。

「帰ってきたか。ユート。」


「なんかあったか。」

「私なりに考えた結果だが、やはり各個撃破が一番安全だn…」


言葉が言い終わる前にエマの目に恐怖が映った。

エマの背中に冷たい汗が流れる。


「来た。行くぞユート。」

帰ってきたばかりなのにこれだ。

バイクにエマを乗せる。


「北の方向だ。今すぐ向かえ。嫌な予感がする。」

「北は山の中だ。そんなところまでいくのか」

「早く行くのだ。さもないと……」

それ以上は何も言わなかった。


バイクをギリギリの速度で走らせる。

細い山道を通ると山の6合目付近に大きく開いた場所があった。山側には燃えた山小屋がある。


エマはバイクから飛び降り、あたりを見渡す。

「燃えてるな。遅かったか。」

奥歯をかみしめている。


「だからどういうことだよ。説明しろ、エマ。」

「それは……」


言い終わる前、奥からガサゴソと音が聞こえる。同時に人影が見える。

その人影は段々と近づいてくる。人影は燃える火に照らされ、段々と明らかになっていく。




「オイオイ、兄ちゃん、ここはガキとお散歩に来る場所じゃねえぜ。」

その男の肌は浅黒く、服の上からでもわかるほどに逞しい筋肉をしている。髪を金色に染めているが根元が黒い。

だぼだぼの上着にはドクロマーク、下はダメージジーンズ。見るからにチンピラな風格だ。

後ろには少女。見覚えのある少女だ。テレジアで窓際に座っていたあの子だ。少女は俯いていてこちらに気づいていないようだ。


男の左手には頭をわしづかみにされた男が引きずられていた。その男の服に見覚えがある。


「智也‼」

しかし、それを判別するにはその男の顔はあまりにも醜く変形している。顔は腫れ、ところどころ青あざができている。


「そいつさぁ、あんまり突っかかってくるからぼこぼこにしちゃった⭐︎」

悪びれもなくその男は言う。


右手を見ると大型の槍を持っている。柄は赤く、刃先は銀色に輝いている。


「お前、何もんだよ。そいつのツレ?なんでもいいけどよォ。」

男が聞いてくる。


「お前。器だろ。奇遇だが俺もだよ。」

エマが耳打ちをする。

「奴の武器、槍となれば串刺しか磔刑か、どちらかだな。」


男は続ける。

「俺は工藤雅人。なぁ、そのガキ俺によこせよ。今すっげぇムカついてんだよ。特にガキに対してな。」

「てめぇの事情は知らねえがこいつは渡さねえよ。」


悠斗は刀を生み出し、握る。その波紋は真っ赤に照らされている。

「やんのか。この野郎。ぶっ殺してやる。」


雅人が駆け出してくる。悠斗も走り出す。

槍の刃先と刀の刃が激しくぶつかる。

悠斗は後ろに飛び跳ね、いったん距離をとる。


雅人はそのまま突っ込んでくる。繰り出される突きが恐ろしく早い。

智也以上のリーチを持つ槍ではかなり分が悪い。


悠斗は前へ体の重心を動かす。脚が前に進む。槍の突きを軽やかにかわす。

雅人のスキを見つける。胴体ががら空きだ。雅人が右腕を突き出した瞬間、右へ回避、そして突撃。

一気に距離を詰める。腕を戻すほどの時間は雅人にはない。剣先を心臓に向ける。


接近した瞬間、体に鈍い痛みが走った。それが殴られたと感じるにはそう時間は必要なかった。

身体が吹っ飛ぶ。


「甘いんだよ。スキを突けばイケると思ったか。」

雅人は肩に槍を担ぎ、挑発してくる。




エマはナイフを構えている。

相対するは茶髪の少女。青い瞳同士が睨みあう。

身長ほどの槍を構える。左足を前に出し、石突を右手で握る。柄の真ん中を握り、刃をこちらに向ける。

先に仕掛けたのは少女の方だ。真っすぐな突きだ。頭を狙ったそれをエマは頭をかしげて躱す。

少女は刃を地面に水平にし、エマの頭の方向へ振りぬいた。エマは体ごと下げることで回避する。

エマは少女に近づき、少女にナイフの連撃を与える。少女はバックステップで後ろに躱す。

再び互いに構える。

次はエマが仕掛けた。ナイフを投げつけた。少女はそのナイフを槍ではじき落とす。少女はエマを視界に入れようとするもエマの姿はそこにはない。エマが後ろから突撃する。少女はそれを読んでいた。石突から右手を放し、左手のみで槍を後ろへ突き出した。

石突がエマの鳩尾にめり込む。胃の中のものがこみあげてくる。思わずエマは嘔吐してしまった。


少女は見下しながら呟く。


「契約者であっても吐くことはできるのね。」


起き上がろうとするエマを蹴り上げる。顎に一発。口を開けていたエマは舌を噛んでしまう。

更に一発。次は腹だ。その体躯からは考えられないほどの一撃はエマを嘔吐させるには十分だ。更に地面に吐いてしまう。


「私には吐き出せるようなものはないわ。」


エマはさらに蹴ろうとする脚にしがみついた。


「お主、私がうらやましいのだろう?」

「しっかり器に食べさせてもらっている私が憎いのだろう。私たち契約者は本来エネルギーの摂取を必要としない。だから食物をとらせないようにすることも多い。」


少女の動きが止まる。エマは即座に立ち上がり、渾身の力で少女に膝蹴りを食らわせた。

その少女も胃の中のものを吐き出してしまう。


「なんだ。お主も食っているのか。」

少女はエマを睨みつける。


「私の名はエミリー・ジャンソン。エマだ。能力は断頭台ヨルガ

少女は口を拭い、口を開く。

「アンジェラ・アグラレ・ヴァレンティーノ 。アンジュでいい。串刺し《グングニル》よ。」



アンジュにとってそれは初めてのことだった。

いつもは飲み物しか与えられない。口に物を入れるなんてあの時くらいしかないからだ。けれどその日は違った。器は用事とか言って私にお金を渡して、どっか行ってしまった。

私が初めて得られた自由だった。

心の赴くままに自由に行動し、レストランに行くことができた。

そこの窓際の景色は美しかった。陽の当たり、家具のセンス、全てが美しかった。

しかし、手持ちのお金では食べ物は食べられなかった。

だけどその人は私に食べ物を恵んでくれた。決して哀れみではない、同情、共感に近いものだった。

初めて食べたそれは心を満たしてくれた。たった一瞬の幸せかもしれない、すぐに消えてしまう一瞬かもしれない。しかしアンジュにとってはかけがえのない永遠にも感じられる一瞬だった。

しかし、この女はそれを吐き出させた。お前は満足に食べているのに、お前は何の苦痛も知らないのに。

憎い、殺してやりたい。そんな意志がアンジュの心を墨汁のようにどす黒く染め上げる。


開放aprire‼Quella lancia trafigge ogni cosa e diventa il percorso verso i tuoi desideri. 刺突者スピディーニ‼‼」

アンジュの声に呼応し、槍が黒く染まる。

エマは驚きの顔を隠せなかった。

「アンジュ。お主、すでに開放を取得しているのか。どういうことだ?」

ナイフを構えるも、圧倒的な殺意に足が震える。

アンジュの攻撃は一瞬だった。

たったの瞬間に数発の槍の刃先がエマの腕、足、腹に突き刺していた。

エマの傷はかなり深い。



何語かわからない言葉を叫んだ少女に呼応するかのように雅人の持つ槍は黒色に染まっていく。

同時に攻撃がさらに激化していく。一発一発の攻撃が重い。


「はぁぁぁぁ‼‼‼」

その言葉と共に放たれる槍の一撃を刀で受け止める。しかし重すぎるその一撃は刀を破壊し、悠斗の右腕を刺し貫いた。


「がぁっ。」


悠斗は右のミドルキックを繰り出すものの雅人は即座に回避に移る。

かなり傷が深い。エマの言葉が頭をよぎる。


『器は確かに強い。通常兵器の攻撃なら大抵の攻撃はダメージはない。ダメージを与えられても即座に回復する。しかし器が生み出した兵器では器に対して大きなダメージを与えられる。それらで作られた傷は修復されるまでに少し時間を要するぞ。』


傷口から血が垂れ、血だまりがだんだんと大きくなる。


(攻撃に移りたいな。)


刀を左手に持ち替える。

雅人の槍と悠斗の日本刀が炎に照らされる。お互いの黒い刃は互いの身体に向けられる。


雅人は急接近。刃先が胴体を狙う。身体をずらして回避。その瞬間、槍を右手でつかみ、こちらに引き寄せる。

雅人の身体が引っ張られるものの、体勢を立て直し反撃に移る。雅人は左拳を握り、フック、ボディーブローを食らわせる。

鈍い打撃音が響く。

悠斗の口から吐しゃ物が飛び散り、目の前の雅人にかかった。


「お気に入りの服だったのによ~。」

左手のアッパーが悠斗の顎に炸裂。悠斗の身体は後ろに吹き飛んだ。

悠斗はピクリとも動かない。雅人は唾を吐きかける。


「雑魚がよ。」



「なぜだ?お主がなぜその力を。その力は本来、器と契約者、両人の思いを一つにしなければならないはずだ。お主の契約者がそのような性格ではないだろう?」


エマにとってアンジュの攻撃を防ぐので手一杯だった。

アンジュは無表情に答える。


「あなたは知らないのね。それが幸せだもの。」


攻撃が更に高速化する。じわじわとエマの身体に傷が増えてくる。


「私にとって、心も体もあんな奴のに傷つけられたのよ。私にはもう何も残っていないんだもの。あんな奴の言いなりになるしかないのよ。」


エマはアンジュの顔を見る。その目には涙。

「心も体も……?もしやお主、純潔を……!?」


涙アンジュは答える。


「そうよ。それが開放の裏道。お話はここまで。あなたを殺すわ。」

エマは奥歯を嚙み締めた。


(仕方あるまいな。)


アンジュが正面から突っ込む。エマはナイフを前に構えたが、腕を降ろした。黒い刃先がエマの脇腹に突き刺さる。肋骨を砕き、肉に刺さる感触が槍越しに感じられた。あまりの生々しさにアンジュは委縮する。


「どうして?」


エマは槍を身体から引っこ抜き、アンジュを抱きしめた。


「アンジュ。お主の気持ちは私には理解できぬ。私はお主のように自由も純潔も奪われたことがない。だけど、お主と共にいさせてくれ。いつか理解できる時が来るまで、待っていてはくれぬか。アンジュもその心の空白を埋めた時でいい。私に打ち明けてくれると嬉しい...」

エマは口から血を吐き出した。槍は肺を傷つけていたのだろう。


「あなたが私なんかのためにどうして?」

エマは口内にあふれる血を飲み込み、答える。

「お主を見ていると辛いのだ。死んだような瞳を持った者がそばにいるのが。だからせめて寄り添いたいのだ。」


アンジュの目から涙が溢れる。この涙は今までの時とは違う。あの男に襲われ、犯された時とは違う。誰かのために流す涙。

「うわぁぁぁぁぁぁん。」

アンジュは大きい声をあげて泣いた。


少女の泣き声を薄れる意識の中で聞いた。エマとの繋がりが消えそうだ。そう直感的に感じた悠斗は目の前に意識を向ける。

雅人が槍をこちらに突き刺そうとしていた。

振り下ろされる槍を掴む。


「何!?」

右足を雅人の腰に当てる。

「はぁぁぁぁぁ‼‼‼‼」

全力のパワーで槍を振り上げる。巴投げの応用だ。雅人は首から落ちる。即座に立ち上がり、雅人に斬りかかる。

首から落ちていた雅人は反応が遅れる。悠斗の刀は雅人の両太ももを深く切り裂いた。


雅人に刀を突きつける。

「どうして智也を痛めつけた。お前の力なら殺すことも容易いはずだ。」


雅人は口角を上げる。

「お前に言う義理はねぇよ。」


悠斗は襟を掴みかかった。


「言え‼なぜだ‼なぜあいつを‼」

「簡単だよ。あいつの連れのガキ、俺のことを見下してきたんだよ。俺のことをゴミみたいに睨みつけやがって。それで俺のガキと同じようにわからせてやるために犯してやろうと思ってさ。そしたらあのボケが横から突っかかってきたんだよ。だから痛めつけた。それだけさ。」


俺のガキと同じように……?犯す?あの子を?


窓際で笑っていたあの子が、オムライスを笑顔で頬張っていたあの子を?

妹を救うために戦った智也をそんな理由で?

形容しがたい黒い感情が胸を締め付ける。


「そんな理由で、お前は、あいつらを、あの子を、殺したのか……?」


「俺にとって大事なことだかr」

その言葉を紡ぐ前に雅人の腹に刀が突き刺さる。絶叫が山に響く。


悠斗は刺した刀をそのままに新しい刀を生み出した。

次は肩を刺し貫く。さらなる叫び声が響く。

無表情のままもう片方の肩を刺した。


遠くからエマの声が聞こえる。

「ユート、その前に美咲が、美咲が..」

エマの掠れた声を聴き、我に戻る。

あたりを見回しても、智也の姿が見当たらない。

エマはあの茶髪の少女に支えられている。エマは燃える山小屋を指さしていた。



美咲が目を覚ました時、周りが燃えていた。

突如、拠点としていた山小屋に突入してきた男は私に殴りかかろうとしてきた。私の器は私を庇って、茶髪の契約者が私に槍を突き刺して……。

それ以降の記憶はなかった。

契約者ならこんな火の中など余裕で通れるはずだった。しかし器の方が限界のようだった。


「もう少し、一緒にいたかったな……」

突然、燃える小屋のドアが壊れた。そこにはボロボロの兄が立っていた。

その顔は青あざや腫れているが間違いなく兄の顔であった。

兄は妹に駆け寄った。


「美咲、大丈夫か?」

「私のことなんて、ほっといてもよかったのに。私はあくまで仮の姿でしかないのに。」


智也は美咲を抱きしめた。

「妹を置いていくなんて、俺にはできない。たとえそれが仮初の妹であってもな。」


その顔は間違いなく笑っていた。肌は焼け爛れ、あの男につけられた傷が痛むはずなのに、目の上の痣が青くなり痛々しいのにも関わらず、その目は優しさに満ちていた。


美咲は頬を伝う涙に気付いていなかった。

美咲の身体が徐々に消えていく。それは智也の身体の限界でもあった。


「ありがとう。お兄ちゃん。」

美咲は笑顔で消えていった。


美咲を見送った智也は体の力が一気に抜けるのを感じた。しかし、もう後悔はない。

「笑顔で見送れたかな……」

満足な笑みを浮かべながら、智也は自分の命が燃え尽きるのを感じた。



山小屋の火がすべてを燃やし尽くし、山小屋が倒れた。家の支えとなっていた柱が燃えたのだろう。火の大きさが一回り小さくなった。

悠斗はエマと少女に駆け寄った。


エマの脇腹の傷はすでに閉じていた。

「すまんな、ユート。少し無理をしてしまった。」


「傷は大丈夫か?」

「契約者の身体は丈夫だからな。」

親指を立てて、答える。


悠斗は雅人の方へ向かった。

かすかに呼吸しているその男の目には恐怖が映っていた。

日本刀を生み出す。肩、両足、腹を刺された雅人には逃げる術も抵抗する力もなかった。

雅人の首に日本刀を突き刺す。喉仏から入った刃先は気道を貫き、首の骨に突き刺さった。

悠斗は刀の石突を殴りつける。首の後ろ側から刃先が飛び出した。

誰が見ても雅人は完全に絶命していた。


再びエマの方へ駆け寄る。

エマを支える茶髪の少女は悠斗に向き直った。


「オムライスのお兄さん……。」

悠斗は少女と同じ目線になるように、片膝立ちをする。


「あんな男のこと、忘れさせてよ。」

少女はTシャツを胸の部分までたくし上げた。

アンジュの姿を見たとき、悠斗は吐き気を催した。

アンジュの白い肌には円形のやけどが無数に、赤くはれた痣が残っていた。火傷はタバコの火を押し付けられたのだろう。


その姿を見た悠斗とエマは言葉を失った。何も知らない無垢な少女を汚し、乱暴するための道具にしか扱わない。悠斗はどこにぶつければいいのかわからない怒りを覚えた。

アンジュのたくし上げる手を戻させる。


「ごめん。君にはもっと違う出会い方があったかもしれないのに。」

悠斗にはこれしか言えなかった。あの時彼女の笑顔の裏側に気付けば、こんなことは起こらなかったのかもしれないのに。


俯く悠斗はアンジュが足元から消えていることに気付いた。

アンジュは呟く。

「器が死んだから、私もそろそろかしら。最悪ね。」

アンジュは悲しい目をしている。


「待てアンジュ。」

エマの声がその静寂を裂いた。


「賭けになるが、一つ方法がある。ユート、彼女の手を握ってくれ。」

「何をするんだ?」

「契約の上書きだ。アンジュと奴に行われた契約をアンジュとユートとの契約で上書きする。」

「そんなことできるのか。」

「分からん。だから賭けなのだ。失敗したときは彼女が消える。しかし賭けるほどの価値はある。」


悠斗は覚悟を決め、アンジュの手を握った。

アンジュの身体が白く発光し、消えかかっていた脚が再構成される。

アンジュは目を閉ざして、そのまま眠ってしまった。


「何とかうまくいったようだな。」


アンジュに上着を着せ、おんぶする。すやすやと寝息を立てている。

バイクに3人は乗れないので仕方なく3人は歩いて下山することにした。

エマが正面を向きながら問う。


「ユート。どうしてあの男を殺すことができたんだ?」

「分からない。ただ頭に血が昇ってた。」

「まぁ、それもお主の成長だな。これからもっと多くの敵を倒さなくてはならないんだ。今日はその一歩だ。」

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