第2話 服と妹と空っぽの器
家に帰った時にはもう4時前だった。
「ユート。すまない。私は眠い。力の流入が大きすぎたようだ。」
「お、おう。ベッドは俺のを使ってくれ。」
エマを部屋に案内し、リビングへ戻った。
悠斗はソファに倒れこんでしまった。一日の中でいろいろなことが起こりすぎた。
器?戦い?もう何が何なのか。
「もう疲れた。」
あまりの疲労から睡魔が襲ってくる。重い瞼を閉じるとすぐに意識が途切れた。
目覚めたときにはもう昼前であった。
ソファで寝ていたせいか、体の節々が痛い。
立ち上がり、台所へ。水で喉を潤し、自分の部屋へ向かった。
その少女は自分のベッドですやすやと眠っている。垢ぬけていないその顔は美しいよりもかわいらしいやあどけないといった言葉が似合う。
「さっさと起きろ。」
その言葉とともに目を覚ました。青い大きい目をぱちくりと開け、寝転がったままこちらを凝視する。
「今何時だ?」
「昼前。」
その言葉と同時にエマは飛び起きた。そのまま手を床につけ、頭を下げた。
「ユート。昨日の夜は本当に申し訳ない。私の勝手な行動で巻き込んでしまった。」
突然の謝罪にすこし面食らった。
「顔を上げてくれ。それよりも昨日の状況を説明してくれ。」
顔を上げたエマの表情は少し暗かった。
「…というわけです。ハイ。ご理解いただけたら幸いです。ええ。わかります。納得いかないこともあるでしょうが、ハイ。ええ、本当に申し訳ないです。」
ぎこちない丁寧口調はいつのまにか片言になっていた。
「つまり、俺はお前と契約したことでお前の武器として戦って勝てというわけか。」
「ハイ。そのようになりますね。ハイ。」
「あの夜、エマは他の器と共に戦っていたが器が死亡。同時に契約者として死ぬ直前だったが、俺がそこに乱入。死にかけだった俺を助けると同時に
新しい器が必要だったお前は俺と契約。死なない傀儡を生み出したというわけか。」
もう一度反芻して理解しようとするも、未だに理解が追い付かない。
「あの。私にキレたりしてもいいんですよ。巻き込んだのは一方的ですし……」
伺うような声でエマはぼそぼそと呟く。
「お前にキレたって仕方ないだろ。もちろんこんな体にしたことは怒っているけど、そんなことはどうだっていい。死のうと思えば死ねるんだろう。」
少し驚いた顔をした後にもう一度沈んだ顔をする。
「はい。器となった者は通常兵器ではほぼ死にません。病気などもほぼ完治します。
しかし先天性の障害や老衰、そして器が持ってきた武器なら死ぬことができます」
「ならいい。もとより俺はここにいないからな」
悠斗は立ち上がり、乾燥機からエマのワンピースと自分の古着と裁縫セットを持ってきた。
ワンピースの色に近い古着を裁断、当て布として縫い付ける。
「何をしているのだ?」
「お前、その格好でずっといるわけにもいかないだろう。」
エマは自分の姿を見る。
ぶかぶかのTシャツにぶかぶかの男物の下着。
顔を真っ赤にして俯いてしまった。
乾燥機からエマの下着を取り出し、ワンピースと共に渡した。
着替えてきたエマはスカート部をひらひらさせている。その表情は少女に似合った笑顔であった。
裁縫が終わった時点でもう5時前。太陽も傾き、空がオレンジに輝いている。
玄関が開く音がした。エマは玄関を睨みつけている。
「ただいま~。」
その女性の声は明るい女性の声。
リビングに入ってきたのはレディーススーツをパリッと着こなす女性。黒い髪を結び、赤いフレームの眼鏡をかけている。
「おかえり、母さん。」
悠斗の母であり、この家の帝王、古儀陽子の帰宅であった。
リビングに入ってきた瞬間、エマの存在に気付いた陽子の表情は硬直した。
目を細め、悠斗を睨みつける。
「あんた、犯罪犯したなら早く出頭しなさいよ。」
「家で預かるんだよ。」
「へぇ~。」
にやにやしながら陽子はこちらを覗く。エマに向き直ると、
「あなた、名前は?」
「エミリー・ジャンソン。エマと呼んでください。母上。」
「いいのよ、陽子とか、母さんとかで。」
母は肩に下げたカバンをソファに放り投げると、風呂場へ全力疾走していった。
「今日は仕事場で嫌なことでもあったのかな。あとママって読み方だけはするなよ。俺はそれで怒られた。」
「どうして。」
「未だに分からない。怖くていまだに聞いてない。」
エマは青ざめた顔で頷いた。
20分もしないうちに陽子は風呂へあがってきた。上半身はくたびれたTシャツ、下半身はパンツ一丁。缶ビール片手にエマにすり寄っていた。
「エマちゃん、このお家で住むの~?本当にいいの~。あんなアホについてきて来てよかったの~。」
アルコールで紅潮した母のダルがらみにエマはドン引きしている。
「うるせぇよ。晩御飯ですよ。」
麻婆豆腐を鍋ごとテーブルに置く。
「いっただきまーす。」
陽子はご飯の上によそってガツガツ頬張っている。
エマは小さいお椀にそれによそっていた。
口いっぱいに頬張った陽子は疑問を呈した。
「なんか今日の甘すぎない?」
「当たり前だろ。エマがいるんだから。」
エマはむしゃむしゃと食べていた。
「これはおいしいな。ユート。いくらでも食べれてしまう。」
そういうと小さなお椀に山盛りに盛った麻婆豆腐を掬っては口に運んでいた。
食べ終わった時に陽子は二階から段ボール箱を運んでいた。埃をかぶった箱の中には女児服が入っていた。
「エマちゃん。ここにある服、いくらでも使ってくれればいいわよ。」
ワンピース、スカート、tシャツ、オーバーオール、少しエマには大きいが問題なく着ることができる大きさだ。
「なにこれ?俺の知らない服ばっかりじゃないか。」
「あんたの女装癖の残り物。」
ビールを煽りながら言う。
「そんな記憶ねーよ。」
「覚えてないのね。いやーあれは傑作だったわね。」
箱の中には一枚の写真が入っていた。
そこには悠斗にそっくりな顔をした女児服を着た子供がいた。
確かに自分は中性的な顔だとよく言われるが、こんな過去があったとは。
エマが横から写真を覗いてきた。
「この子、かわいいな。悠斗にそっくりだ。」
その写真を乱暴に箱へ戻した。
机に屈服しながら寝ている母を介抱し部屋に押し込む。
エマは新しい服をもらった喜びか服を当てて、大はしゃぎしている。
悠斗は部屋からノートパソコンをテーブルに置き、大学のレポートを書き始めた。
2時間後、大量の服を散らかし、オーバーオールを気に入ったのか、オーバーオールではしゃいでいる。
レポートの方も終わったところだ。
いきなりエマが立ち止まる。
「ユート。行くぞ。」
「どこだ。」
「…昨日の広場だ。あそこは都合がいい。」
「行くしかないか。」
二人はバイクで公園へと向かった。
エマが服を掴みながら問う。
「ユートは怖くないのか。戦うことが、死ぬことが。」
その時、悠斗の腰を掴むエマの手が震えていることに気づいた。
「怖いさ。痛いのも嫌だな。だけど俺が死んだとしても社会は動き続ける。母さんや店長は泣いてくれるかもしれないが、いつかは忘れて、みんな歩みだす。だから俺が死んでも変わらない。俺にとって自分なんてそんなものさ。」
「…そうか。変な質問をしてすまないな。」
公園に到着し広場へ行くとそこには一人の男と女の子がそこにいた。
昨日の男はやはり右手に
隣の女の子は黒髪のストレートを後頭部で結んでいる。橙色の和服は秋の夜には映える。
悠斗たちは彼らから5m離れたところに立った。
エマが問いかける。
「奴の踏み込みは10mは軽く飛ぶぞ。危険な範囲だ。」
「いや、奴と対話したい。」
「おい。お前、俺たちと話をしないか。」
大声で相手に伝える。
「いいだろう。」
そんな声がかすかに聞こえた気がした。エマを置いて悠斗は歩み出した。
互いに近づく。
距離が4m、3m、段々と近づいてく。
2mほどの地点でお互いにとまった。
「俺の名前は古儀。古儀悠斗だ。お前と会話したい。」
「俺は斉藤智也。」
その男は茶色の短髪を掻きながら言った。
「お前も知っているだろうが、俺たちは器同士だ。殺しあえば死ぬ。ここは穏便n…
紡ごうとした言葉は智也の低い声によって、かき消された。
「黙れ。俺はお前を殺し、全員殺す。それだけだ。」
智也の手の
踏み込みから繰り出される突きを右側に躱す。
躱した地点で黒髪ストレートの少女がスモールソードで刺突する。
身体をひねり躱すも、ワンテンポ遅れる。左腕が抉られる。後ろに飛び跳ねてエマの位置へ戻ってくる。
「早く戦うぞ。ユート。”昨日の敵は今日の味方”なんて存在しない。」
「なぁ、なんでアイツ、あんなに必死なんだ?人の話くらい聞けばいいのにな。」
やれやれそうな顔でエマは言う。
「奴にとって、戦う理由がそれほど強いということだろう。」
悠斗は掌の感覚に集中する。黒い刀身が虚空から生み出される。
エマも手にナイフを握っている。
「やはり、私自身も能力の一端を使えるのだな。」
細身のナイフを胸の前で構える。
「和服の女は私に任せろ。あの男とケリをつけてこい。」
エマはそのまま駆け出してしまった。
智也は5m先で構えている。身体が勝手に構える。刀を両手で構え、体の正面で止める。剣先は相手の喉と同じ高さ。
いわゆる中段の構えだ。
智也が弾丸のように突っ込んでくる。剣先の先は悠斗の身体。剣先が見えた悠斗は刃区でそれを受け止める。
日本刀の
「いきなり攻撃するんじゃねえよ。」
「黙れ。俺はこの戦いに勝たなきゃならないんだ‼そうじゃないと美咲がぁ‼」
智也の右のローキックが悠斗の脇腹にめり込む。
「ぐぇっ」
やる気のない声が漏れ出る。
悠斗はすかさずバックステップで体勢を立て直す。
黒髪ストレートの少女が持つスモールソードは血塗られている。
「お主、やるな。」
エマのオーバーオールは少し赤色に染まっていた。
明らかにリーチが足りていない。
だからと言って長い刀は使い慣れていない。
黒髪ストレートの少女は口を開く。
「お主じゃない。私は斉藤美咲。能力は
「そうか。私はエミリー。エマと呼んでくれ。能力は
美咲は少しムッとした顔をする。
エマは美咲に近づく。美咲はスモールソードを前に構える。
あと数mで射程。美咲は前に突くことに集中した。突如エマの姿が消えた。
美咲は周りを見回すも、姿が見当たらない。上を見上げるとエマがこちらに向かって落下しているのを発見した。
(落下中なら軌道修正はない‼決まった。)
上空に向かってスモールソードの刺突。その剣先はエマの身体を貫……くことはなかった。
「
地面からせり出た大型の金属の板がスモールソードの突きを弾いたのだった。
突然、巨大な壁が出たことに美咲は驚きを隠せない。そして、その隙を逃すほどエマは甘くない。
美咲の首元にナイフが当てられる。ひやりとした感触が背筋を凍らせる。
「チェックメイト」
その言葉と共に美咲は黙ってスモールソードを放した。
智也の刺突は複雑な搦め手が悠斗の判断を鈍らせる。
的確に急所を狙いながらも、フェイントをしっかり入れてくる。
身体が自動で攻撃を躱したり、刀で防いでいるが、かなり分が悪い。
(どうしたものか。)
ありがたいことに体の主導権はあくまで自分だ。
動かそうと思えば身体を動かすことはできる。まぁ、自分の意志で動かそうとしても奴に貫かれるだけだろうがな。
(といっても、今のままではいけないな…….。覚悟を決めるか。)
智也は悠斗と名乗った男の左腕が掴んでくることを見逃さなかった。
胸ぐらに向かって突き出される腕の掌に細剣(レイピア)を突き刺す。
最初は少し硬い感触を覚えたものの、細い刃は悠斗の手を貫通する。その瞬間、智也の頬に強烈な衝撃を受けた。
親指を中に入れた初心者の右拳が頬を殴った。しかし器として強化された強度と速度を乗せた拳は智也の脳を揺らすには十分だった。
体の平衡感覚が崩れる、耳鳴りがする。足元がおぼつかない。智也は
悠斗は右手を上にあげる。刃に月の光が反射し、白く輝いている。
(死ぬ‼)
智也はそれを知覚した。しかしその刀は下ろされることはなかった。
遠くから声が聞こえる。
「ユート。そいつを早く殺せ。」
エマが向こう側から歩いてくる。手にはナイフを携えて。ナイフの刃は黒髪の女の子の首筋に当てられていた。
「そいつを殺さないと、死ぬのは私たちの方だ。早く。その刀は、その手は何のためにあるんだ。」
刀を握る手が震える。この刀をおろせば目の前の男が死ぬ。
「お兄ちゃん……」
その一声が膠着した時間を打ち壊した。
黒髪の女の子が発した言葉だった。
「美咲ぃ……。」
智也はエマたちの方向へ向かって走っていく。
「それ以上近づくな‼こいつの命が惜しくないのか‼」
エマがナイフを持つ手に力を籠める。
智也の足が止まる。
「今だ。ユート。」
悠斗は覚悟を決める。
「エマ、武器を収めてくれ。」
エマは豆鉄砲を食らったような顔をしているが、俯いてナイフを降ろし、美咲と呼ばれた少女を解放した。
「美咲。」
智也は少女に駆け寄る。
エマはこちらへ歩いてく来る。悠斗は立ち尽くすしかなかった。
「悪い。エマ。俺はまだ覚悟が決まってなかったらしい。」
「私こそ少し無理させてしまったな。すまない。」
智也は美咲の小さな体を抱きしめていた。顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら泣きついていた。
「美咲、ごめん。俺、負けちゃった。美咲のこと、救えなかった。」
美咲と呼ばれた少女は無表情ながら情けなく泣く兄の背中に腕を回していた。まるで泣きつく子をあやす母のように。
エマは二人に対して問いかける。
「美咲、その器は本当に兄なのか。」
美咲は泣きつかれた状態のまま頷く。
「その男の願いは何なのだ。」
「兄は私を生き返らせたいそうよ。」
「ということは美咲。お主は……。」
エマはそれ以上の言葉を紡げなかった。
広場の木の上には一人の少女が立っていた。地上からおよそ15m。広場を一望できるほどだ。
「なるほど。あれが毒と断頭台の少女というわけね。面白いねぇ。」
その少女の眼は暗い夜に明るく輝いていた。
「ユート。もう帰ろう。」
「けど、こいつらどうするんだ。」
「彼らのことは私たちが触れるべきことではないのだ。」
エマは俯いて、悠斗の服を掴んでいる。その手はかすかに震えている。
悠斗は黙ってその場を離れた。
原付のエンジンを掛けるとき、エマが呟いた。
「美咲。あの少女は犠牲者の一人だったのだな。」
「どういうことだ?」
「器として選ばれた存在は能力を与えられる。その時の能力や契約者の姿は完全にランダムのはず、けれど例外が存在する。それが目の前で死を見たとき、その死んだ人間が契約者の姿になってしまう。」
「つまり、あいつの妹は。」
「そう。奴は自分の目の前で妹を失っているのさ。」
異常とも思えるほど少女、いや妹への執着。 その理由としては納得できるものだった。
「ということは、お前もか?」
「私は違う。前の器とは一切関係ない。ランダムな方だ。」
エマは歩いてきた方向を悲しく見つめている。
「どうした?」
「何でもない。」
エマはヘルメットをかっぽり被ってバイクの後ろに座る。
「早くいくぞ。ユート。」
悠斗はハンドルをひねり、バイクを急速に発進させた。
エマは悠斗の背中につかまりながら、家での会話を思い出していた。
『この戦いを勝ち抜けば願いを叶えられる。ユート。お主の願いは何だ。』
『願い?今のところはないな。金持ちになりたいというような年齢じゃないしなぁ。まぁ考えとくよ。』
エマは自分の器が空っぽな存在であることを確認した。自分というものに執着がない。そのくせに他人には優しく接してしまう。何が彼をこうしてしまったのか。
エマはそんな感情を腹の中に押し込めた。
流れる夜風がヘルメットから出た金髪をたなびかせた。
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