揺らぎ

 ジェイバーくんが店を出ていった。彼の家の手伝いをするのだという。街で唯一の宿屋だ、やることもきっと多いだろう。

 俺も見習って勉強をしなければ。ぺらりと本のページをめくる。棚に並べていたポーションの調子を見ているのか、手に取ったひとつをくるりと回し、透かして見ながらハイトさんがぽつりと呟いた。


「久々に来たと思ったら、なんかすごいことになっちゃったな」


「あのときと逆ですね」


 なんだかおかしくて、笑ってしまう。この前はハイトさんが王都へ引き抜かれそうになっていたが、今度は俺にその順番が来るなんて思ってもみなかった。

 大きなため息が聞こえる。


「記憶喪失はもう勘弁だよ」


「はは、本当に」


 沈黙が落ちる。話すべきことはわかっているのに、お互いどう切り出せばいいのかわからない。言葉を探っているのが、黙っていてもよくわかった。妙な緊張が走って、同じ行の上を何度も何度も目が滑った。

 息を吸う音。


「──それで、どう返事するの」


 ああ、本当に──この前の行動をなぞっているようだ。いつもの気だるげな声の調子は影をひそめて、落ち着いた声色で問いかける。


 行かないですよ、だってまだハイトさんにお返しできてないですし。


 そう言おうと思った、のに。……なんだか少しだけ、後ろめたさが過ぎって。


 だって考えてもみろ。今までの俺の行動を。

 魔物に殺されかけたり、勝手にキノコを食べてひとりで死にかけたり。はたまた、自分の身も守れず記憶喪失になってしまったり。……今思い返してみれば、とんだ迷惑ばかりかけている。顔向けできない。恩を返したいとは思っているが、全く逆効果だ。いない方がいっそましなのでは、と思ってしまったのだ。


『キミのおかげで、初めて心の底から魔力があってよかったって思えたんだよ。前よりは息がしやすいんだから、このままでいさせてよ』


 彼の言葉がフラッシュバックする。だけど俺は、俺には──それほどの価値があるようには思えない。どうして今日はこんなに後ろ向きな考えしかできないのだろう。誰にだってあるだろう、気分がひどく落ち込んで、あまり前向きになれない日は。運が悪く、今日はそうなってしまったのだ。だから。



「……ハイトさんに迷惑かけちゃうことも多いし、もしかしたらルーカスについていくのもアリなのかな、なんて」



 よせばいいのに──笑い交じりに、ふとした思い付きが口を突いて出た。彼の顔を見ないまま。言葉は返ってこず、耳に痛いほどの沈黙が場を満たした。

 気まずさと後悔はすぐに襲ってきた。あの、と言いながら彼がいた方を向こうと視線を上げると──目の前にハイトさんが立っている。息を飲んだ。


「何が迷惑なの」

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