英雄の影②
「俺が異世界から来たってのは、前も話したよね」
「はい」
向かい合って座る。やけに座りが悪くい。彼は淹れた茶を飲み、どこまで話をしたか思い返しているようであった。
俺も、たいして追及はしなかった。彼が自分から話してくれる日を待っていたから。その日が、こんなにも急に、突飛な出来事と共にやってくるとは微塵も予想はできなかったが。
「うろうろしてたら、王都の方に辿りついたの。そこで魔力鑑定をすることになって、調べてもらったら魔力がいっぱいあったんだって──もともと魔法なんて無い世界にいたから、初めて知ったよ」
魔法の無い世界。慣れ親しんだそれが無いなんて、自分には想像ができない。……そんな中で自分は魔力が無いのだから、大概あり得ないことだけれど。
カップをくるりと僅かに回して、その揺れた水面を見つめている。その姿に違和感を覚えた。だって彼自身の昔話をしているというのに、なんだかやけに──他人事のようだから。まるで、本を読んでいるように、淡々と続けられる。
じいと見つめていると、視線を上げた彼と目が合う。不思議そうな顔をしてしまっていたのか、俺を見たハイトさんは、ふ、と小さく吐息を漏らして笑った。
「でもあんまり、実感はなかった。だっていきなり別の世界来てさ、すごい能力がありますーって言われてもよくわかんないよね」
口元に弧を描いたまま眉を下げる。
それは、そうなるのも仕方ないかもしれない。自分に置き換えて考えてみれば、頷けることだ。俺は、もしかしたら──彼と違って、調子に乗ってしまうような気もするけれど。
「周りに言われるまま流されてたら、なんか……すごい人みたいな扱いになってた」
哀愁を孕むその言い方に、以前彼が発した言葉が頭の中で再生される。そうだ。彼が異世界から来たのだと、明かしてくれたあのとき。
『そんなの信じるなら、おじさんが世界で一番強い魔法使いでしたーとか、わるーい魔王でしたーとか言っても信じちゃうんじゃないの?』
『魔王はさすがに傷つく』
ああ。あの言葉は、世界で一番強い魔法使いというのは半ば嘘ではなかったんだ。ハイトさんの魔力は、きっと俺が想像できないほどに多いのだろう。それこそ英雄と崇められるほど。
「おじさんはおじさんになって、擦れちゃったんだねぇ。心のどこかでずっと違和感は抱いてたけど、10年くらい経ってかな。いきなり虚しくなって……逃げちゃった。それで今に至るって感じ」
どれだけ、苦痛だったのだろう。想像もできやしない。
「知らない力で持て囃されても、実感も何も無いよ」
遠い眼をするその人──俺は、彼の顔を見られなくなった。それは、ひとつの可能性に思い当たったから。
……俺も、彼の言う人々と変わらないのではないか。
だって、そうじゃないか。魔法を使える──ポーション屋を営んでいる──フォールハイトさんだからこそ。俺はそれを、まんまと喜んで。この場所に居ることになったのだから。
もし、彼が魔法を使えなかったら? 俺と同じで、魔力が無かったら? 今と同じ気持ちで、彼と肩を並べていただろうか。断言はできない。もしも、なんて仮定を考えても不毛だ。何かが欠けていれば、この関係性は成り立たなかったのだから。わかってはいても、彼の隣に居たと言いきれない自分が嫌になる。フォールハイトさんは、魔力の無い俺なんかを拾ってくれたのに。
なんだか、妙な悔しさを覚える。それと、罪悪感。俺は、彼にとって嫌なことをしているのではないだろうか。
視線を伏せたまま、問う。
「……王都、行っちゃうんですか」
「んー」
間延びした声を発してから、彼は顔を覗き込んでくる。座りが悪くて、目を逸らした。彼の目を見る資格なんてないように思えて。
「行って欲しい?」
「…………俺の都合で、貴方を動かしたくはない、です」
もう、ほとんど答えは言っているようなものだった。もっといい言い方が思い浮かべばよかったのに。
「……そっか」
返事はただ、それだけ。結局──どうするのだろう。俺に失望を覚えただろうか。心変わりをしただろうか。
止めたいけれど、止められない。もどかしい。
「ところでさ。なんで暗い顔してるの、リクくんは」
的を突かれる。表情の取り繕い方がわからない俺には、上手い言い訳も、話の逸らし方も思いつかず。馬鹿正直に、言葉を繋げるしかなかったのだ。
「……俺がこうしてここにいるのも、ハイトさんが魔法を使えるからだって思ったら……なんか、申し訳ないっていうか……悔しくって」
「……それでそんな顔してたの? 真面目っていうか律儀っていうか……キミ、生きづらくない?」
「考えちゃうでしょ、こんなの」
思いのほか軽い返答に、食い気味に返事する。いつも通りの調子で答えてしまった俺に、ハイトさんは丸くした双眸を細めて笑った。
「いいんだよ。しんどくなったのは、周りの人らからの神格化に耐えられなくなったからなんだから。キミと関わる中でそう思ったことは無いし」
「……だって……」
「こうしていられるのは、キミがほんの少しでもおじさんを信用してくれたから。それ以外の何物でもない。大体、ポーション屋だって知ったのも、ついてきてくれるって決めてからじゃない」
それはそう、だけど。結果論として、俺は彼の魔力に頼ってしまってるわけで。後ろ向きな思考がまた鎌首をもたげる。水面に映る俺は、酷く情けない顔だった。
「魔法を使った奇跡も求められないし、過度な期待も寄せられない。かくあるべきだって聖人みたいな姿じゃなくてもいい。ただ、優秀なお手伝いと一緒に、ゆっくりポーションを作っていればいいんだ」
かたりと、席を立つ音がした。足音が静かな部屋に響く。すぐ隣に来ていた彼が、「ねえ」とあまりにも優しい声で呼びかけるから。
俺は視線を上げた。
「キミのおかげで、初めて心の底から魔力があってよかったって思えたんだよ。前よりは息がしやすいんだから、このままでいさせてよ」
でも、だって、だけど。飛び出しそうになった弱々しい接続詞は、彼のお願いと困ったような笑顔に行き場を失った。尽くされた言葉に、もう反論はできなかった。
「……ハイトさんがそれでいいなら。俺はいいですけど」
ぶっきらぼうな言い方になってしまう。本当は、嬉しくて仕方がないのに。安堵した胸を撫で下ろしているのに。もっと、素直に言えたらよかったと幾ばくの後悔が胸をよぎる。
何も言わず、頭をくしゃりと撫でられる。俺は、この人の厚意に甘えすぎてはいないだろうか。だけど──俺にとってもここは、居心地が良いのだ。
見上げたハイトさんは、いつもの表情に戻っていた。
***
それから。茜が窓から差し始めた頃。再びその人はやってきた。
真剣な眼の来客が口を開くよりも早く、「ごめんね」と短い謝罪が場に落ちた。
「ウチの大事な従業員くんが嫌がってるし、やっぱりおじさんはここに残るよ」
「……そうですか。そちらのお方は、それほど大切な方なのですね」
表情を僅かに悔し気に歪めた彼が、俺を一瞥する。刺さる視線の気まずさと、大切な人扱いされた面映ゆさに無言でうつむく。
「うん。俺が拾った子だから、責任持って育て上げなきゃいけないの。それまでは離れられないかな」
わしゃ、とまた頭を搔き撫でられた。
なんか、拾った動物みたいな扱いをされている気がする。それは不服だが──やっぱり、嬉しさが勝ってしまう。
言葉を受けたその人は、数秒間目を瞑り。「なるほど」、と幾分か平坦になった声色で呟いた。
「わかりました──突然押しかけてしまい申し訳ございませんでした、英雄様」
一礼とともに、踵を返す。ベルの音を最後に、それきり静寂が訪れた。
大勢の人が王都でハイトさんの力を必要としている、と言っていたっけ。ハイトさんを探していたあの人も、何人もの期待を背負っていたのだろうか。そう思うと、悪いことをしてしまった。
呆然と出口の方を見つめていると──
「ぼうっとしてどうしたの。もうそろそろ店仕舞いの準備しようか」
軽く背を押され、ようやっと我に返る。俺はただ、頷くことしかできなかった。
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