気分は晴れず
息を飲む音。酷く深刻そうな顔をした一人の男性が、扉を開けた姿勢のまま目を白黒させ。切羽詰まったようにも聞こえる掠れた声で、問うてきた。どこかへ出かけるところだったのだろうか。それとも、俺たちが来るのが見え、先に扉を開けたのだろうか。
「今日は来ないから、何か用事でもあったのかと……」
「お久しぶりです。それが……少し、問題が起きまして」
知らない人。芽生えた警戒心を解くことはできず、中に案内されるまま歩を進めた。
案内された店の中。整然と並んだたくさんの瓶の中に、色とりどりの液体が鮮やかに輝いている。綺麗だ。目を奪われていたが、座るように促されて椅子へ腰を沈めた。
「昨日の夕方頃、息子がボロボロになって帰ってきたんです。玄関から入ってきたかと思ったら、そのまま倒れて……今朝、目を覚ましたのですが……」
語り始めた母。言葉を切って、肩を小さく震わせる。その細い肩を抱き、父が代わりに言葉を続けた。
「……記憶を無くしているようで。自分のことも、私たちのことも……何も覚えておらんのです」
は、と家の主らしい人が息を飲む音が落ちた。信じられないというように垂れがちな目は大きく見開かれ、口は僅かに開かれたまま固まっている。
「ここに来れば、なにか思い出しはしないかと……」
僅かな期待をこめた瞳が両親から向けられる。何も言えず、申し訳なさとともに黙って首を小さく振った。広がるのは落胆の色。
どうやら自分はここと、そしてこの男性と縁があったようだが──やはり、何もぴんとは来ないのだ。どんな関係性だったのだろうか。こんなひっそりとした場所を、どうやって見つけたのだろう。
「……私にも、なにかお手伝いをさせてください。息子さんは優秀な子だ、お返しをしないと私の気が済まない」
重い沈黙の後、男性は覚悟を決めたようにこちらを見つめ、そう言った。
「文献をあたってみます。古いものもありますから、なにか情報があるかもしれない……それと、王都の方の知人にも聞いてみますよ」
「……本当になんと、お礼を言えばいいか……!」
揺らぐ声を絞り出し、ふたりが頭を下げる。卓についてしまいそうなくらいに。
「頭をあげてください。……お辛いとは思いますが、どうか気を強く持ってください。尽力させていただきます」
同じく頭を下げたフォールハイトと呼ばれたその男性も、深々と頭を下げる。彼もどうやら俺の記憶を取り戻すために力を貸してくれるようだ。ありがたいのに、やはり実感がわかないまま──俺は「ありがとうございます、フォールハイトさん」と感謝を口にした。
一瞬、どことなく悲し気な瞳が彼から向けられた、ような気がする。
「フォールハイトさん。迷惑をおかけするようで申し訳ない、もしよろしければですが……ここで手伝いをさせてやってはくれませんか」
父からされた突然の提案に、彼が目を丸くする。
「家でじっとしているよりも、前と同じように生活させた方がいいと思うのです。そうすれば、思い出すこともあるかもしれない」
「……私からも、お願いします。貴方と出会ってから息子は生き生きしていました。貴方と居れば、息子も安心できるはずです」
「……私は構いませんが……息子さんは」
問うような視線が刺さる。俺は──
「俺も、大丈夫です。可能性があるのなら……それに賭けたい」
ひとつでも手掛かりに繋がるのなら、一縷の望みでも縋りたい。両親だという彼らと、目の前に座るフォールハイトさんが、あまりにも悲しそうな顔をするものだから。なによりも──拭えない孤独感から、解放されたくて。
その日は挨拶もそこそこに、家で休むことにした。家に帰ってもやはりそこは知らない場所にしか思えず。安らげる日が来ますように──祈りながら、浅い眠りへと落ちていった。
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