不協和音

 目が、覚める。

 ふかふかとした感触。どうやらベッドに寝かせられていたらしい。目の前には、寝床に腕を乗せて祈るように手を組んだ女性と、少し離れたところで不安そうにこちらを見る男性。いくらかやつれて見えるふたりの表情に驚愕が広がった。


「リク! ああ、よかった……!」


「どうしたんだ、こんなにボロボロになって……!」


 この人たちは、誰だろう。ここは、どこだろう。リクとは、なんだろう。もしかすると人の名前なのだろうか。思考にもやがかかったようで、上手く頭が回らない。


 いいや、そもそも──


「……おれは、だれ、なんだっけ」


 言葉を聞いたふたりの顔を、絶望が染めていく。


 残ったものは、腹に響く鈍痛。それと、口に広がる苦味。疑問を解消するには、あまりにもヒントが少なすぎた。


 俺という人間について、ふたりはたっぷり時間をかけて説明してくれた。

 何歳なのか。名前は何だったのか。どんな人物だったのか。だけれど、何も思い出せない。彼らは俺の両親らしい。いくら話しても、記憶の欠片も取り戻せない俺に、母という人はとうとう目元に涙を滲ませた。胸がちくりと痛んでも、やはり現状は変わらない。


 そのまま両親は俺を連れて、どこかへ向かった。どうやら、街にある自警団のようだった。

 優しそうな恰幅の良い男性が、両親と何かを話している。全てが夢のようで、現実味が無いままにぼうっとその様を見つめる。そうして話を終えたらしい男性は、突然こちらへと向き直って口を開いた。


「何か、覚えていることはないかな。昨日あったことでもいいし、お父さんとお母さんについてとか……なんだっていいんだ」


「……すみません。何も、無いです」


「……そうか。体に異変は?」


「お腹が、ぶつけたみたいに痛くて……あと、口の中が変に苦いくらい、です」


 眉根を寄せ。逡巡するように、顎に手をあてる。


「記憶喪失、というのは……ここいらじゃ、聞いたことがない」


 暗い顔で、男性は言った。ああ、やっぱり。どこかでわかってはいたが、心が冷えていくような感覚を覚える。


「こちらでも方法を探してみます。今は……彼が記憶を取り戻すきっかけを、作ってあげた方がいいでしょう」


 重く頷く両親に、やり場のない罪悪感がのしかかった。



 手を引かれる。足を踏み入れたのは、閑静な森であった。どうしてこんなところへ自分を連れてくるのだろうか。誰か、頼りになれそうな人でもいるのだろうか。


「……こんなところに、何かある……の?」


 意識をしていないと、敬語が飛び出してしまいそうになる。何度か失敗し、彼らに悲しい顔をさせてしまった。細心の注意を払いながら言葉を紡げば、ふたりは歩を進めていく。


「ああ。お前が教えてくれたんだよ、リク」


 父は切なさを滲ませて呟く。俺が、教えた。……だけど、それらしいものは思い当たらない。

 ただ、それ以上言葉を交わすこともなく、草や土をじゃりと踏みしめて。そうして、しばらくが経った頃──目の前には、まさに隠れ家のように一軒の建物が現れたのだった。


 扉に手をかけようとした瞬間、ベルの音が鳴る。


「……なにか、あったんですか」

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