告げた別れ
次の日。話していた通り、フォールハイトさんの店へと顔を出す。緊張交じりに扉を開けた。
「……お邪魔します」
お客さんは、いないようだ。家に帰ってから聞いたが、どうもここはポーション屋らしい。こんな辺鄙なところにあるので、まさかとは思っていたが本当にこんなところで店を構えているとは思わなかった。
「おはよう」
「あ……ええと、おはようございます」
店の奥から出てきたその人は、眠たげな瞳を擦っている。今起きてきたばかりなのだろうか。
「……改めて確認なんだけれど。本当に何も、覚えてないんだよね」
「……すみません」
「いいんだ。責めてるわけじゃない」
困ったように笑って、肩をぽんと軽く叩かれた。
「俺は、ここの手伝いをしてたんですよね」
「うん。優秀で助かってたよ」
そういえば、昨日も優秀という言葉を言っていたっけ。前の俺は、そんなに役に立つ人間だったのか。難しいポーションも難なく作ったり、たくさんの知識を身につけていたりだとか。……今は、ポーションに関することなんて少しも思い出せないのが歯がゆい。
ぐるぐる考え事をしていると、頭の横に軽く手が添えられる。なにかを呟いたかと思うと、じんわりと彼の手が熱を持ち始め、それが俺の頭へと伝播してきた。
「……あつ、い……」
「なにか思い出したりは、無い、よね」
「……はい」
俺の回復魔法でもだめか、と呟いた。それと、外傷性でもないのかな、なんてことも。難しくて、あまりよくわからないが──記憶を取り戻すために力を尽くしてくれているのだろう。
「本、読んで探すんですよね。お手伝いします」
「……はは、ありがとう。じゃあお願いしようかな」
ぽつりと、「そういうところは変わらないな」と零した言葉を耳が拾う。どんな感情を覚えるのが正解なのかもわからず、聞こえなかったふりをした。
ページをめくる音だけが響く。小難しいことがぎっしりと書かれていて、読むだけで頭が痛くなりそうだ。だが手を抜くことはできない。
「俺って、どんな人間でした?」
「ダメダメなおじさんのお世話をしてくれる優しい子だね」
手が止まる。なんだ、世話って。手伝いというのは、まさか仕事の手伝いだけじゃないのか
「……お世話って。もしかして家政婦みたいな感じですか」
「うーん……頼んでないけど、見かねてご飯作ったりしてくれる。好きなものとかも頼めば食べさせてくれてさ……おいしかったな」
「じゃあ、しばらくはフォールハイトさんが自炊しないといけないですね」
彼が小さく笑う。貴方の好物も、嫌いなものも思い出せないから──こみ上げてきた言葉はいたずらに傷つけるだけだと悟り、飲み込んだ。
「俺は、どんな魔法が得意でした?」
「…………なんだっけね。あはは、おじさん忘れっぽいから忘れちゃった」
何冊もの本を隅々まで読んで、閉じる。また読んで、閉じて。数日がそれで終わってしまった。だけれど、その人は決して諦めようとしなかった。ため息はついても、弱音を吐くことは無かった。
記憶を失う前の自分は、きっと。この人と深い信頼関係を築いていたのだろう。そうでなければ、どうでもいい人間にここまで労力を割いてはくれないから。不思議な感覚だった。もうひとりの自分が誇らしくも、ひどく羨ましくて。
王都にいるという彼の友人から手紙が届いた日もあった。
『年齢からして、認知機能に問題があるとは考えにくい。外傷性だとしても、頭部でなく腹部に痛みがあるのは妙だ。ストレスからくるものもあるが、変わった様子は無かったか。記憶まで回復する魔法は調べたがわからなかった。役に立てなくてすまない。なにかわかり次第すぐに連絡する』
「……おじさんのこと、ほんとは嫌だったとか? ……考えたくないな、それ……」
「……多分、違うと思いますよ。嫌だったら、辞めてるだろうし……きっと」
「……ありがと。ちょっと救われる」
感謝されるいわれはない。それくらいしか言葉をかけられないのだから。
汚れが溜まる部屋を見かねて掃除をしたとき、彼が期待に満ちた目でこちらを見た。記憶が戻ったのか、と。その瞬間、前の自分もこうしていたのだろうと知った。笑いながら謝れば、何度も謝罪を口にされた。
朝、顔を出すと、彼の目の下にできた隈が濃くなっていくのを嫌でも認識する。
じわじわと、俺たちの関係は足場が崩れていくように崩壊の兆しを見せていた。
……俺が、なにも思い出せないせいで。
それから、数週間が経った頃。辺り一面を茜色が染めて、子どもたちも自分たちの家へと帰る時間。
俺は、店の前。悔しさを隠すこともしない彼を前に、引きつりそうな笑顔を浮かべていた。気を抜いてしまえば、別の言葉が飛び出してしまいそうだった。
言え。言うんだ。言わなくては、いけない。
「……今まで迷惑をかけました。俺はもうここにはいられません。来ることも、無いですから。本当にありがとうございました」
頭を下げ、踵を返す。まって、と後ろから縋るように飛んだ声を振り払うようにして──彼の店を離れていった。
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