初めてのお客さん

 それから、しばらくが経った。からん、と玄関から滅多に鳴らない音がした。


 フォールハイトさんは店の奥で作業をしている。彼ではない。ということは──


 視線を向ければ、そこにいたのは体格のいい獣人属の男性だった。全身を覆う灰色の毛。ぴんと立つ耳と尾は、オオカミに由来するものだろう。冒険者、だろうか。鋭い眼差しは歴戦の戦士のような威厳を感じさせる。

 緊張でどきどきする胸をそのままに、口を開いた。


「っい、いらっしゃいませ!」


 初めてのお客さんだ。たまに来るというお客さんの存在は俺の中で疑いに変わっていたが、話の通りどうやら本当にいるらしい。……ここに勤めてから、実にほとんど一ヶ月が経ちそうなくらいには期間が空いたけれど。

 俺を見ると、少し目を丸くした。


「……ん? なんだアイツ、いつの間にか子どもでもこさえてたのか。……にしては、死んだ目も何もかも似てないな」


 野性味を感じさせる低い声で言葉を紡ぐ。

 アイツ、というのはフォールハイトさんのことだろう。口ぶりからして、どうやら彼とは顔馴染みのようだ。


「あ、いや……俺はただの手伝いで。ここで働かせてもらってるんです」


「……手伝いを雇った? へえ、どんな思いつきかは知らんが面白い」


 尾が興味ありげにゆらゆら揺れる。しかしそれも、店の奥から聞こえた足音に反応するように止まった。


「ああ、来たんだ。いらっしゃーい」


 間延びした挨拶とともに、奥からフォールハイトさんが顔を出す。挨拶や世間話を交わすこともなく、お客さんは腕を組んで店主へと目を向けた。


「約束のポーションは?」


「んー、もう少しかな」


 大きなため息が漏れる。呆れが滲む双眸が、責めるように細められた。


「……お前、時間はあっただろう。前に来たときから二ヶ月は経つぞ」


「ごめんねぇ。おじさんお仕事を先延ばしにしちゃうタイプで」


「なら改善しろ。それとせめて申し訳なさそうに言え」


 あ、この人本当に骨の髄からだらしない人だ。

 なんとなくそんな雰囲気は感じ取っていた、どころか生活を見ていてわかってはいたが──お客さん相手にもそうなのか。この調子では、頼まれていた品物を納品するのもしょっちゅう遅らせていそうだ。かなり、心配になる。


「ほんのすこーしだから、座って待っててよ」


 反省の色も無しに笑っている。お客さんはというと慣れた様子で。特に言及もせず店の端にぽつんと設置してあるテーブルと椅子に近づき、腰掛けた。

 慌てて奥に引っ込む。ただ座って待たせるのも悪いだろう。


 簡単だが茶の用意をして、彼の前に差し出す。


「あの……ただ座っているのもあれですし、お茶でもどうぞ」


 お茶もカップもフォールハイトさんのものを借りたけれど、お客さんに出すためだから怒られないだろう。さすがに。……あとでそれ用のを買ってこようかな。

 男性は、驚いたようにまた目を丸くして。


「……坊主、こんな気の利かないおっさんのとこにいない方がいいんじゃないか」


「ひっどいな」


「茶のひとつも出したことのない男が言えたことか」


 軽口の応酬に思わず笑いが漏れる。その場から離れようとしたそのとき、「坊主」と低い声で呼ばれる。


「お前、手伝いって言ったか。働き始めてどれくらいだ? 前に来たときは居なかったから、ここ最近だろう」


「は、はい。ええと……一ヶ月くらいです」


「ふうん。なら接客の練習がてら、俺と話でもしてくれ」


 え。俺が、彼の相手を? ……今まで、接客の仕事というものは経験したことがない。正直、人と話すのも得意ではない方だ。敬語だって自信が無い。俺なんかに上手く務まるだろうか。


「ああ、いいねぇ! ふたりで仲を深めててよ。おじさんは作業を進めてるからさ」


 胸中の不安も知らず。笑ってそう言うと、フォールハイトさんは奥へと引っ込んでしまった。

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