第2話 潜水

リヨンから車でわずか1時間強。ローヌ川の支流が作ったであろう、とある小さな湖のほとりに素朴なコテージが建っていた。車を止め、久しく使っていなかった鍵を取り出し扉を開く。ここはほんの1年前に、ある伝手つてから購入した別荘だ。


約1年前に起きた世界各地での行方不明者の出現は、それぞれに事件性がみられないことから、共通の事件では無いと結論付けられていた。しかし私だけが、行方不明者のある共通点に気がついていた。それはあまりにオカルティズムで、公の場では共有することもはばかられる内容だった。

その内容とは、いなくなった人のすぐ近くに水に浸かった死体があったということだ。死体はどれもあまりに古く、数百年以上昔のものであったため、大きな事件として取り扱われたものはほとんどない。


だがこの共通点と、行方不明者が揃いも揃って別の世界の話をする事が、私の前に並べられた唯一の事実であり、そこから考える結論は、彼らの話が本当で、別の世界への入り口が、水に浸かった死体に起因する何かであると考えるのは至極真っ当な推論と言えよう。

そして私は自分の馬鹿げたとも言える推論を検証する為に、このいわくつきのコテージを購入した。もちろん噂に聞いていた湖に沈む白骨死体は購入前にこの目で確認している。古いものとは言え発見した死体を報告しないことは、当然ながら所属するICPO国際警察の規定違反だ。

しかしそれでもこの検証が組織のため、ひいては世界のためになると信じていた。



コテージについてからは何かするわけでもなく、毎日のんびりと過ごした。日本人の行方不明者がしるした絵日記のような記録の写しを何度も読み返していた。

彼は他の人と比べ、いなくなっていた期間こそ短いものの、異世界について鮮明な情報を持っていた。神だの魔術だの、一見すると中学生が考えるようなくだらない話に聞こえるが、約60年間行方不明になっていたカナダの男性と証言が一致しているのだ。

そんな彼が語る"神"についてのメモを半分真剣に読みつつ、あっという間に3週間が過ぎようとしていた。



自分にとっては珍しいことだが、その日は成果の出ない日々に苛立っていた。気分とは裏腹に、何かに導かれていると錯覚するほど、全てのことがスムーズに進む日だった。

気候は清々しい冬晴れで久しぶりの暖かい陽気だった。この気温ならばドライスーツが無くても湖に入れるかもしれないと考え、倉庫のアクアラングを確認すると、ウェットスーツと1本だけ残った酸素ボンベが置かれていた。レギュレターが問題なく使えることを確認し、気分転換になるかもしれないと湖へ向かう。


湖に潜ると視界は良好で、10m近く先まで見えるほどだった。小さいとは言え湖。再び見つけるのは難しいかもしれないと期待はしていなかった。良くも悪くもその予想は外れた。ものの数分で、再度あの白骨死体へ辿り着いたのだ。半分砂に埋もれているが、はっきりと人間の頭蓋骨が見える。近づいて見るが、それ以上でも以下でも無い。

理由はないが手袋を外し、それを素手で撫でた。3週間何も起きないことに焦りを感じていたのかもしれない。とにかく何か起きそうなことをやるべきだと考えていたのだろう。



湖から上がりコテージに戻り暖をとった。わかってはいたことだがこの状況に少し興が削がれていた。何か起きるわけがない。何かを起こすためには、他の条件があったのかもしれないし、全て行方不明者の妄言かもしれない。

何らかのメディアの刷り込みで同じ幻覚を見ることもあるだろう。どうとでも考えられるのだ。


その日はオレリーへの報告メールに珍しく返信があり、例の日本人の男性が描くデッサンが、ウェールズで発見された少女に似ているとの情報があったが、最早そんな偶然もどうでも良かった。日本人の家の下から見つかった古井戸の写真を、机に向かって適当に放り投げた。



その晩、別荘に来て初めてコニャックを開けた。戻った後の仕事を考え、残りの数日は英気を養おうと決意した。暖炉の炎を眺めながら、ソファーでうとうとと眠りについた。





パチパチと暖炉の炎が音を立てている。目を開き見た暖炉は、知っている光景と全く異なるものだった。別荘のものの倍はある大きな暖炉に、石造りの壁。寝そべっていたカウチソファーは見たことのない格式ばったハイバックのソファーに変わっていた。

そこは広い洋館のエントランスの様な部屋だった。両開きの大きな玄関扉から伸びる真紅の絨毯は、そのまま正面の大階段に続いている。私が目を覚ましたソファーと暖炉は玄関から入って左手にあり、10人程度が座れるようイスとソファーが準備がされていた。暖炉と反対の壁には3つの扉が見える。

大階段は途中で左右にわかれ、吹き抜けになっている2階部分に上がれるようになっていた。2階はエントランスをぐるりと囲むように1周する廊下がある。2階の廊下にも複数の部屋の入り口があるのが見えた。


ここが異世界なのかもしれない。聞いていた内容とはだいぶ違うが、本能的にただの夢では無いと確信していた。


何より驚いたのは、自分の目の前のソファーに見知らぬ人間が8人もいたことだった。

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