第2部 原始の世界

第1話 ロマンとオレリー

作成したメールをざっと見直し、送信ボタンを押下する。イスの背もたれに背中を押し付け、両腕を上げた。肩甲骨の周りの凝り固まった筋肉が弛緩しかんし、背中の辺りをじわりと流れる血流を感じる。


「ロマン、少し良い?」


タイミングを見計らったかのようにやって来たのは、後輩のオレリーだった。


「君って僕を片時かたときも休ませないように、年がら年中監視してるんじゃないだろうね?」


それを聞き彼女はブロンドボブの髪を耳にかけ、イタズラな笑みを見せる。

小柄だが顔立ちは整っている。それでも浮いた話を聞かないのは、多忙な仕事のせいか、はたまた彼女が秘密主義かのどちらかだ。少なくとも、このつまらないスーツをやめて流行りのスカートでも履けば随分魅力的になるだろう。

上げていた手を頭の後ろに組んで返事をする。


「先週の件だったら、国家警察に任せるように伝えただろ。パリ警視庁から何か返事でも?」


「いえ、その件は問題ないわ。むしろロマンが待ち望んでいた方の報告よ」


イスをくるりと回し体勢を整え、彼女に向き直った。


「まさかまた該当者が出たのか」


彼女は頷きながら、隣の机からイスを引っ張ってきて座った。


「カナダの男性です。かなり歳を召してますが、赤い教会の話をしていたそう。それに」


言いながらオレリーは手に持っていたバインダーをこちらに向けた。


「家の真ん前の小さな池から、相当古い白骨も見つかったって」


そこには湖の前に立つ山小屋のような家と、白く長い顎髭を生やした老人の写真がファイリングされていた。


「やはりか。これで確信を得た。あとはどう検証するかだな」


写真を見て思わずニヤけてしまう。

その様子を見てオレリーは不安そうな顔をしていた。


「ロマン。やっぱり何かする気なの」


「他の人に迷惑かけることはしないさ」


バインダーの報告書をペラペラとめくり一読した。ふと彼女に目を向けると、煮え切らない表情で黙ったまま座っている。


「何か言いたげだな。言いたいことははっきりと言った方が良いぞ」


「言っても無駄なことだとしても?」


「それでもだ」


「では言わせてもらいます。ロマンが何をやろうとしているか知らないけども無意味なことよ。時間を浪費しない方が良いわ」


「何故そう言える」


「だって」


オレリーは少し言い淀んでから続けた。


「パラレルの世界が実在するなんてあまりに馬鹿げているわ」


不安そうなオレリーの表情とは裏腹に、思わず笑みが溢れた。バインダーを机に置き改めて彼女に向き直る。


「君はゴーストは実在しないと思うか」


「え、ゴースト? まあそうね実在しないと思っているわ」


「それは自分が見たことがないからか」


「それもあるけど、人間の心理を知っているからかしら。人は未知のものに恐怖をするの。夜の墓地で光を見たり、誰もいない部屋のティーカップが割れたら怖いのよ。だからゴーストという概念を生み出して説明のつかない現象の原因にでっちあげる。ゴーストが怖くても未知の恐怖よりはましなの。恐怖に対する実に合理的な対処よ」


先程までとは打って変わって得意げな顔をしている。


「確かに君の言っていることは心理学的には正しい分析と言えるだろう。だがゴーストの有無という問いに対しての答えとしては正確とは言えないな」


オレリーは衝撃を受けた顔をしていた。全く、この女性の表情はスロットマシーンの様にコロコロと移り変わる。


「正しい答えは"わからない"だ。未知の存在をいないとのは、いると信じるのと同義だよ」


オレリーは少し考え込み、何かを理解したようにため息をついた。


「本当、ロマンには敵わないわ。それで、何をする気なの?」


周りに人はいなかったがそれでも声をひそめて答えた。


「パラレルの世界に入り込む」


「そんなこと! あるかもわからないのに」


「そう、んだ。だから確かめる。それに人が想像し得ることなんかより現実は奇特なことで溢れているものだよ」


「私はパラレルの世界なんて想像もしたことなかったけど」


「知らないのか。日本では"異世界"が流行っているのだよ」


「どういうこと。そんな世界聞いたこともないわ」


「もちろんフィクションの話さ」


呆れた顔のオレリーだが、ようやく折れて納得したようだった。


「はぁ、あなたはとことんやらないと気が済まないものね」


「どのくらいで戻れるかはさっぱりわからない。もちろん行けるかどうかも。まずは1ヶ月休みを取っている。毎日何があっても定時にメールを送るから、それが届かなくなったら成功したと思ってくれ」


オレリーはやれやれという顔で頷き、メールの確認を受諾した。


「成功したらとんでもないことね」


「情報を持って無事に帰ってくることが出来ればだがな。成功すればXファイルにも無い話を聞かせてやるさ」


「それって言って欲しいってこと」


オレリーは冗談混じりで睨みつけながらこう言った。


「ロマン、あなた疲れているのよ」

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