第16話 怪物の痕跡

布が引っ張られる。咄嗟とっさに押さえていた手に力を込める。

すると男は持っていた薪をその場に放った。そして来た方向とは逆の側へと進んで行く足音が聞こえた。



しばらくして、小屋の捜査は打ち切られた。去って行く足音を聞きながら、いまだに震える両手を握りしめていた。役割を果たさない薪棚の屋根を、ただ誹謗ひぼうしただけだったようだ。

耳元でドスンと言う音が聞こえた。驚きにビクリと体を震わせる。


「あんた、上手くやったわね」


布の上から聞こえてくるその声に安堵して、体を起こす。被っていた布から顔を出すと、イタズラな笑みを浮かべたレベッカが目の前に立っていた。


「あいつらは向こうの家に訪問しているよ。戻ってくる前にさっさと行くよ」


「運動神経、良いんですね」


「あんたが悪いんだよ」


久しぶりに見せるレベッカの笑顔のおかげで、さっきまでのピンチでさえ、旅の思い出になる様な気がした。




テンポよく山を下っていった。右足の痛みはあるものの、想像以上に治りが良いのか、自力で歩けていた。

昼前には山を下りきり、木々におおわれた街道へと辿り着いた。森へ続く街道の道幅は広く視界も悪くはない。これならば遠くからでも人が来るのを確認できる。

もし人を見かけたら左側の森へ隠れる事にした。森の先がどうなっているかわからないが、右側、つまり南東側は湖で逃れられる場所が限られるかもしれないと思ったからだ。


そんな心配も杞憂に終わり、動物1匹すら見かけないまま日が暮れた。灯りもないので、街道かられた森の中、真っ暗闇の中で眠ることとなった。

布に包まれてはいたが、不安はすきま風の様に体を震えさせた。唯一、背中に触れているレベッカの温もりだけが、精神を保つ頼りだった。



不安感は自分だけでは無かった様で、翌朝レベッカも酷く疲れた顔をしていた。

ナイフで木につけた目印を頼りに街道へ戻った。少し進むとすぐに森を抜け、開けた丘に出た。


所々にゴツゴツした大きな岩が転がり、まばらに生える草木も、足をとられる要因でしかない、不快な地だった。草原とも荒野とも言えない、その丘を少し登ると、遠くに見覚えのある教会が見える。


反対側から見た時には気が付かなかったが、教会の周囲には小さな建物が点在している。そして動物を囲う様な木の柵が、広く展開されていた。

家畜こそいないが作りだけ見れば、広い牧場の様に見える。


「迂回できるところはありますかね」


「あっちの森の方しかなさそうだね」


「あの先がどうなっているかは分かりませんが、行ってみましょう」


抜けてきた森にそって北側に進んでいく。建物と近くなる箇所は森の中を通りながら人目につかない様、注意深く進んだ。

というのも完全に日が登ってからは、ちらほらと赤いローブを着た人間が、丘の周りを歩いているのを見かけるのだ。


結局ひたすら歩き続け、夕方頃にようやく、教会の北側へ回り込むことが出来た。

森はそこで途切れており、その先はまた荒れた沼地の様な土地だった。1km近く離れているであろう教会を取り巻く建物を、恨めしい目で眺めながら、森へ戻り夜を越すことを提案した。レベッカも乗り気では無かったが、目の前の酷く荒れた土地を目にして、諦めたのだろう、森に戻ると言う提案に素直に従った。

再び暗闇の森で夜を越すことになった。


慣れとは恐ろしいもので、連日歩き続けている疲れもあったのか、すんなりと眠りに落ちた。




女性の声が聞こえる。幼い子供へ絵本を読み聞かせる様に、ゆっくりとした声で話しかけられている。けれども上手く聞き取れない。水中にいる時に似ている。音がこもり反響していた。




赤い木漏れ日の中、目を覚ます。体をよじり寝袋替わりの布から這い出ようとする。その音でレベッカも目を覚ました。

手際よく荷物をたたみ出発した。


沼地に足を踏み入れると、想像以上の悪臭がする。水は浅く、地面がぬかるむ程度ではあったが、油の様に虹色に光を反射させる、粘性の強い液体が所々に散乱していた。煮えたぎる溶岩の様に泡立ち、本能的に触れてはいけないものだと感じる。

少し進むと木片などの残骸が目立ち、以前には家などの人工物があったと推察出来た。


「これって家の土台ですかね」


「そうみたいね」


「この辺りに集落があったのでしょうか」


「聞いたことはないね。こんなところまで出歩く人はスクローにはいないしね」


そう言い瓦礫を避けながら沼地を進む。進んだ先に比較的損壊の少ない石の家が立っていた。それを見て2人は立ちすくむ。

その家は、土台こそ家としての原型をとどめて立っているものの、上部が切り落とされていた。異様なのはその切り口で、まるでケーキを切る様に石の壁が横にスパッと切られている。刃物でやるとしたらそれはどんな切れ味で、どんな大きさなのだろうか。それを想像するだけで人間の所業しょぎょうではないことがわかる。


「何か、自然災害ですかね」


レベッカは何も言わず険しい表情をしている。


「こういう事象の前例はありますか」


「あんたが書き写した日記。北の町が無くなったって書いてあったわね。ここがそうだとしたら」


そう言われ日記を思い起こす。確かにあった。犬の様な悪魔の話。もしこの家もその化け物がやったとしたら。そうだとすれば、既存の知識にある生物の能力を遥かに凌駕する人智を超えた化け物がいて、教会はそれを使役しているということだ。


「犬の悪魔、ですか」


「だとすれば最悪ね」


2人黙ったまま、その場を後にした。あまりに強大な力を持った相手に楯突こうとしている。そもそも、自分は何を求めているのだろうか。レベッカはこれからどうしたいのか。

強いショックからか、そんな根本的なことばかりが頭の中を巡っていた。


日が落ちる頃、遠くに見覚えのある石の町の影が姿を表した。マルダだ。しかし追われている身で町に入ることは危険だ。

そう思いながらも足を進めると、マルダの遠く北、沼を抜けたすぐの所に一軒の家が建っていた。

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