第11話 地雷

時間の感覚は無かった。ただただ無心で舟を漕ぎ続けた。腕や顔に負った傷も痛むが、レベッカが暴れ回り、その体に傷を増やしていくのを見ることの方が辛かった。

辺りは暗くなり始め、少しひんやりとした風が吹いて来るのを感じた。山影が湖を覆い、ピリリとした緊張感が周囲を包み込んだ頃から、レベッカの抵抗は治まっていた。


すっかり周囲が暗くなった頃、舟は岸辺に乗り上げた。未知の土地に暗闇で解き放たれた恐怖よりも、忌々しい湖から離れられた事による安堵感が遥かに上回っていた。

周辺はゴツゴツした岩場で暗闇では歩くことも困難だった。舟を引き上げ、その中で休むことにした。レベッカの腕のロープを一度ほどき、体に負担がかからない様に後ろ手に結び直した。そうして舟に座らせ、自分も横に座り朝を待った。



いつの間にか眠りについていた。綺麗なベッドに横たわり、ベッドの隣には久しぶりに会う母が座っている。何か話している様だが聞き取れない。手を握られる感覚がしたので、握り返した。ぼんやりとした視界の中で、母がそっと笑った様に見えた。もう一度手を強く握られる感覚があり夢から覚めた。

いつの間にかレベッカに手を握られていた。起き上がり恐る恐る顔を覗き込むと、疲れ果ててはいるが、元のレベッカの顔だった。

急いでロープを解くと、レベッカは小さい声でお礼を言い再び眠りに落ちた。


日が上り始めてもレベッカは起きそうに無かった。置いていくわけには行かないので、肩に担ぎ岩場を歩く。北に向かえば街道から繋がる道があるはずと信じ、ひたすら歩いた。右足の痛みもあり、進みはかんばしくなかったが視界が開けていることもあり、山道を見つけることが出来た。道は今まで歩いて来た岩場にも増して、険しい山岳だった。

何度も休憩をしながら山を登って行く。所々、崖になっており、気を抜いたら転落する様な道のりを、体力と戦いながら進む。これほど息を切らし、必死に体を動かし続けているのはいつ以来だろうか。朦朧とする意識の中で、そんなことを繰り返し考えていた。


赤い太陽が山の影に隠れ始めた頃、小さな山小屋が視界に入った。一歩一歩、力を振り絞り辛うじて前へ進む。山小屋へ辿り着いた時には手も足も震え、扉を開けることすらままならなかった。

自分で開いたのかどうかもわからない。扉がスッと開き、その勢いで前のめりに倒れ込んだ。そのまま意識を失った。




厚手の布で簡易的に作られた布団の上で目を覚ました。焦茶色の丸太で作られた、低いはりと屋根が見える。人の気配を感じ、ガバッと起き上がった。木製のジョッキを持ったレベッカが、簡易的なベンチに腰掛けていた。目が合うが、気まずそうに微笑むだけだった。


「ここは」


「山小屋よ。あなたが連れて来てくれたんでしょう。さっきホセの住人が来て、空き家だから気の向くままに使って良いって言われたわ」


「つまりホセに到着していたんですね」


まずは無事に辿り着けた事に安堵した。道中を思い出すと、今2人無事でいられることが奇跡に感じる。


「レベッカ、体はもう大丈夫ですか」


「…ええ」


「そうですか。良かった」


レベッカは小屋の奥に置いてある樽から、ジョッキで水をすくい、こちらに差し出した。


「ちょっと腐ってるみたいだけど飲んで」


ジョッキからは変な臭いがしたが、喉はカラカラだったため我慢して飲んだ。妙な甘さとヌルッとした舌触りが気持ち悪く、ひと口で飲むのをやめた。


「後で川を探しに行きましょう」


レベッカは頷く。沈黙が続き、段々と空気が重くなるのを感じる。いたたまれず質問を探した。


「そう言えば訪ねてきた方はどんな方でしたか」


「白髪のお爺さんよ。隣の家に住んでいると言っていたわ」


レベッカの視線の先を追うと、ガラスが割れた窓があった。窓の外、50mほど離れた場所に家が建っているのが見える。


「あとで訪ねてみましょう」


レベッカは再び頷くだけだった。


そのまま、ろくに会話をしないまま食事をとった。小屋に残っていた干し肉とチーズを分けて食べたが、どちらも酷いカビが生えており食べられたものではなかった。カビを手で千切り捨てながら、どうにかこの空気を打破したいと悩んでいた。

今まで切迫した状況続きだったので気にならなかったが、そもそも異性とどうコミュニケーションをとって良いのかがわからない。普段と違う態度の時に、何を考えているのかをストレートに聞くと地雷を踏んだりするのだ。その上、触れないでおくと、それはそれで怒られたりもする。

悩んだ末に出した答えは、過去に触れると危険なので先のことを相談する、だった。


「レベッカ、これからどうしましょうか」


干し肉の可食部を確保していたレベッカの手が止まる。その顔は怒りとも絶望とも言える表情だった。


「…教会へ突き出すの?」


「へ?」


「私に悪魔が宿っていたって、教会に言って突き出すの」


「いやいや、そんなことしませんよ」


「あんたを」


その先を言い淀んだレベッカの目には涙が浮かんでいる。


「あんたを殺そうとしたわ」


「あれは、レベッカじゃない。湖に潜む魔物の仕業ですよ」


「でも」


泣きながら言葉を詰まらせるレベッカの、次の言葉を黙って待った。


「私は、私が怖い。あんな悪魔が宿っているなら、殺して欲しい」


「一緒に解明しましょう。私はそのためにこの場所に来たんです」


「解明?」


「そうです。湖に潜む怪物も、私がこの世界に迷い込んだことも、全て原因があるはずです。それを解決すれば、レベッカも自分が怖いなんて思わなくなります。絶対大丈夫です」


湖のことを解明する為に来たと言うのは、口から出まかせだった。だが、何らかの大きな力が全ての元凶となっている予感がするのは本当だった。

そして何より、この出まかせによって地雷を回避したことを、レベッカの表情が物語っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る