第5話 マルダ

ベンの反応は想像以上に穏やかだった。それどころか自分のことを慰めてくれようとしていた。


レベッカは以前から教団に目をつけられていたらしい。その容姿からか司祭から言い寄られていたそうだが、いつもの調子で一蹴したそうだ。それがきっかけかはわからないが、何度か家の付近を教団の連中が彷徨うろついていることがあったそうだ。


「連れて行かれるとどうなるんですか」


「さあな、ただ無事に帰ってきたやつはいない」


「どこに連れて行かれるかはわかるんですか」


「西の沼地の小屋か、マルダにあるアジトのどちらかだろうな。もし司祭が指示しているなら町まで行ってる可能性が高い」


「助け出すことは出来ないでしょうか」


「俺もアジトは見たこともないから詳しいことはわからないが難しいだろうな」


何の力も持たない自分が行っても何も出来ないかも知れない。だが目の前で連れ去られた人を放ってもおけなかった。


「助けに行ってみます」


人を殴ったことすら無かった。だがこの現実と違う粗暴な世界観なら何か出来るかもしれないと自分に淡い期待を抱いていた。


「わかった」


ベンは暗い顔をしていたが止めることはしなかった。そして家の中から小さな麻袋を取ってきてそれを渡してくれた。


餞別せんべつだ、取っておけ」


中には数枚のくすんだ銀色のコインが入っていた。

感謝を伝え、ベンとがっしりと握手をした。

正直ついて来てくれる事を少し期待していた。やってみようとは言うものの、場所も知らない町の、目印もわからないアジトに、居るかもわからない人を探しに行って助け出せる気がしていなかった。

ベンに別れを告げ、少し絶望に飲まれそうになりながらも北へと向かった。



スクローの町を出た先は湿地と雑木林が続いていた。道はかろうじてあるものの、獣道に近い様な場所もあり、歩いて進むだけでも苦労した。

2時間ほど歩いてようやく、町の片鱗が現れてきた。土の道が少し広くなり馬車のわだちが所々に残っている。遠くには暗い色の石の壁の様なものが夕日に照らされ、来るものを威圧する嫌な雰囲気を漂わせている。近づいてみるとそれは石の壁では無くそこに並ぶ家々の外壁だった。

栄えた市場の様な場所を想像していたが、そこにはスクローの町以上に陰鬱な空気の漂う石造りの町が広がっていた。どの建物も壁はつたや苔に覆われ、下水道に続くと思われる暗い下り階段はドブネズミが群れで這い回っている。ボロをまとった浮浪者が町の隅に座り、石の様な黒っぽいパンか何かをかじっている。時間が遅いためか、時折すれ違う人からは罪人を見る様な視線を向けられ、避けられている様に感じられた。


「ここがマルダの町なのか」


自分を励ます様に独り言を呟きながら、既にあの廃れた漁村が恋しくなっていた。

日はすっかり落ち、点在する松明だけが視界の頼りとなっていた。宿らしき物は見つけられず、誰にも協力は得られそうに無かったため。仕方なしに人目のつかなそうな町外れの物陰で野宿する事にした。


翌朝目が覚めると、赤い朝日が町の不気味さをより際立たせていた。町を見て回ると中心部にはいくつかの店が立ち並び、工具などの商売道具や、野菜や肉などの食材は手に入るようだった。想像していたほどの大きい町ではなく、1日で一通り見て回ることが出来る広さだった。宿らしい建物は無かったが2軒の酒場は見つけることが出来た。漁村と同じであればそこに泊まる事が出来るかもしれない。

試しに町の中心部にある、比較的綺麗な酒場に入ろうと開かれた重そうな扉に近づいた時、店の上に掲げられた旗が目に入った。赤い三角の旗が左右の柱の上で揺れている。

しまったと思い直ぐに店を離れた。なるほどあれが目印の旗か。他にも旗が掲げられた建物が無いかを探しながら、町の南部にあるもう1軒の酒場に向かった。道中旗を見かけることは無かった。着いた酒場は極めてボロくこの石造りの町の中にも関わらず、古い木造の建物だった。表のデッキにある柱はほとんど折れており本当に営業しているか疑わしいほどだった。

意を決して扉に手をかける。鍵はかけられておらず、叫び声の様な木のこすれる音と共に扉が開いた。恐る恐る中を覗く。客は1人もおらず日中だったが店内は暗い。テーブル席が3つとカウンターがあるだけの小さな空間だった。

営業していないものと思い、そのまま立ち去ろうとすると奥から声が聞こえた。


「どこへ行く」


一瞬びくりとして振り返ると、口元が髭に覆われた老人が奥からゆっくりと出てきた。


「客じゃないのか」


「…いえ、客です。泊まれる場所を探して来ました」


あまりのボロさに言うか迷ったが他に当てもなく、またこの町に来て初めて会話が出来た喜びもあったので素直に答えた。

老人は品定めする様にこちらを観察し暫く黙っていた。


「部屋は空いている」


「泊めて頂きたい。1泊いくらですか」


「50コインだ」


手元の麻袋には30コインしか入っておらず愕然とした。


「泊まるのはやめておきます」


「客じゃねえならさっさと出ていけ」


どうしようかと思ったが、そこでようやく酷い空腹感と喉がカラカラなことに気が付いた。


「食べ物と飲み物をお願いします。30コインしか持っていないです」


それを聞くと老人は再び、こちらをじっと見つめた。そして、ふんと鼻を鳴らし店の奥に入って行った。


「それだけありゃ十分だ」

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