第4話 転機

ベンによるとスクローと呼ばれるこの漁村には20軒ほどの家しかないらしい。酒場を中心に南北に伸びた道沿いにまばらに家が建っている。

ベンの家は集落の南の端にあり、更にその南には、古く細い石橋が、黒い水が流れる幅3mほどの川にまたがっていた。石橋の先はすぐに鬱蒼うっそうしげった森になっていて、暗さも相まってか5m先でも何があるか見えない程だった。


集落の東側は海、西側には沼地と古びた教会があり、北側にかなり進むとマルダと呼ばれる町があるらしい。


ベンの気さくな雰囲気に飲まれ、無警戒にもあの事を尋ねてみた。


「酒場の向こうにあった晒し首はなんなんです?罪人か何かでしょうか?」


ベンは怪訝な顔をして答えた。


「あんた本当にどこから来たんだ。あれは悪魔崇拝者だ。悪魔崇拝も知らないのか」


「すいません。色々と記憶も曖昧で、大事なことも忘れているのかも知れません。ちなみに具体的にはその悪魔崇拝者はどんなことをするんですか」


ベンは一層深刻な表情を作り、少しの間悩んでいた。そして意を決した様に話し始めた。


「具体的なことはわからない。赤の教会の連中がそう判断したからだ」


「え、具体的なことが何かあるんじゃ無いんですか。例えば儀式を行うとか、その教会とやらの規律を破るとか」


「俺たちにはわからない。だからあんたもなるべく教会の連中とは関わるな」


教会と言われると、以前見た沼地にそびえ立つ朽ちた教会が思い出される。確か天辺に赤い旗が掲げられていた。何か関係があるのだろうか。


それからベンの家で食事をご馳走になった。と言っても固いパンの様なものと、油の浮いた白濁した味のないスープだけだった。それでも一晩何も食べていなかった空腹の自分にとっては、ありがたいものだった。

その後は一宿一飯の恩もあり、ベンの仕事道具の整理を手伝っていた。ベンは晴れていれば漁をしており、その道具の手入れに手がかかるそうだ。慣れない作業に悪戦苦闘しながらもひとしきり仕事を終え小屋に戻る途中、強い眩暈めまいに襲われその場に倒れ込んだ。そしてそのまま意識を失った。




飛び起きる様にハッと目覚めた。長年見慣れた蛍光灯の明かりと見覚えのある事務机が目に入ったが、それでも混乱していた。4畳半ほどの小さな休憩室のソファーで寝そべっていたようだ。

起き上がると机の上にコンビニ弁当の空箱とビールの空き缶が無作為に置かれていた。


「これ、俺が食ったのか」


立ちあがろうとすると異様な空腹感を感じた。腕時計を見ると6時過ぎを示している。朝まで寝てしまったのかと考えながらぼーっと時計を眺めて気がついた。文字盤の下部に表示された日付が進んでいる。まさかと思い携帯をポケットから取り出すが電源が切れている。急いで休憩室から飛び出し、執務室のPCを立ち上げる。信じ難い事に月曜のAM6時15分と表示されていた。


「土日丸々寝てたってことか」


絶望しながらも、1時間もしたら他の社員が出社してくることに焦りながら、片付けや出来る限りの身支度をした。


予想通りだがその日の仕事には身が入らず、途中からは記憶も曖昧だった。どうにか仕事を終え家に帰った。どうやって家に帰ったのかも覚えていない。人間の帰省本能の凄さに感心しながら、シャワーを浴び3日分の汚れを洗い流した。


ベットに横たわり疲労を回復させたい気持ちと、また眠ったら夢の世界へ行ってしまうかも知れないという思いに葛藤していた。何とか休まる方法はないだろうか。あの世界は何なんだろうか。そんなことを考えながら段々と意識が遠のいていく。




木製のドアを叩く音が聞こえる。先ずは予想通り且つ、期待外れな状況にがっかりしながら目を開ける。赤みがかり相変わらず時間がわからないが、何となく朝の早い時間に感じる。藁の布団から起き上がりベンの家のうまやを出ると男の怒鳴り声も聞こえてきた。そっと音を立てない様に家の陰から覗き込むとフード付きの赤いローブを着た男が3人、レベッカの家の前に立っていた。ドアを叩きながら叫んでる男の様子からただならぬ状況であることがうかがえる。何よりその男の後ろにはスレッジハンマーを持った大男が立っている。ドアをブチ破るつもりだろうか。

ハラハラしながら見ていると扉が開かれレベッカの姿が見えた。何か会話をしている様だったが、30m近く離れておりこちらからでは声までは聞こえない。

嫌な予感がする。でもどうすることも出来ない。せめてベンがいればと思い気付かれないようにベンの家の前までしゃがんで進みドアノブを回す。開かない。鍵がかけられている。

そうこうしているうちにレベッカの怒鳴り声が聞こえた。振り向くと男たちがレベッカの腕を掴み引っ張って行こうとしている。止めなくては、夢ならば何かあっても大丈夫なはず。



ベンの家の前に座り込み、自分の卑しさを憎んでいた。レベッカが手首を紐で縛られ連れて行かれるのを隠れて見ていることしか出来なかった。それどころか隠れている間、レベッカには直接恩はない事や、彼女が本当に悪魔崇拝者の可能性があるだとか、自分を正当化する言い訳ばかりを考えていた。

いつからこんな嫌な人間になってしまったのか、そんなことを考えながら、ただただ座り込んでいた。赤い太陽もすっかりのぼった頃、ベンがカゴを背負って歩いてくるのが見える。安堵感と同時にどう伝えれば良いか悩んでいた。ただ見ていただけと言ったら怒られるだろうか。

ベンはこちらに気が付き笑顔で手を挙げている。嫌われたく無い。上手く誤魔化せばベンには嫌われないだろうが、より自分の事が嫌いになるだろう。

ベンに挙げ返した手をグッと握りしめて覚悟を決めた。これを機に誠実に生きてみよう。


ベンにありのままあったことを伝えた。

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