第2話 雨の夜

ガバッと目が覚める。今度は嘔吐はしなかったものの、全身汗だくになっていた。よろよろと立ち上がり、ゴオーっと音を立てる古い冷蔵庫から取り出した麦茶をコップに注ぎ、一気に飲み干した。連日同じ夢を見た。たまたまだろうか。テレビの前に置かれたデジタル時計は1時半を表示していた。

顔を洗い、歯を磨きながら、ふと何故同じ夢と思ったのだろうと考えた。よく考えると昨晩の夢とは内容が全然違う。だが当然の事のように今も同じ夢だと感じている。


「空が赤かったからかなぁ」


と呟き、嫌だなぁと思いながらも再び床に就いた。心配とは裏腹にその後夢を見ることはなかった。



社会人という人種の環境の良し悪しは、上司という理不尽なランダム要素によって全てが決まると言っても過言では無い。当然ながら自分の上司と呼ばれるこの邪悪な二枚舌は最悪の部類になるだろう。利己主義、他責思考、手のひら返し、といった一切不要な性質に加えて、ハラスメントの上手さは右に出る者がいない。履歴書の特技にハラスメントと記載出来るほどには優れている。

そんなことを延々と考えながら、誰のためにもならない不要なはずの作業を1人黙々とこなしていた。22時を過ぎた頃から外は雨が降り出している。いつからか戦うことをやめた自分にも非があると思いながらも、あまりにも不遇な境遇にやるせ無い気持ちが込み上げてくる。何とか作業を終え、会社を出た時には24時を回っていた。

経費申請が通るかわからないタクシーで無理やり帰っても良かったが、幸い今日は金曜日で明日は休みなので、1人会社で酒盛りをして休憩室で泊まることにした。


近くのコンビニで弁当とビールを買い、パラパラと降る雨の中を傘もささずに会社に向かって歩いていた。チカチカと消えかかった街灯のせいか辺りは薄暗い。暗さもあってか何かに躓き転びそうになる。何に躓いたか振り返るが道に落ちている物は何も無かった。しかしすぐに異変に気がついた。アスファルトの舗装された道を歩いていたはずが、一面土のでこぼこ道に変わっていた。そして地面だけではなく周囲の建物も無く、代わりに家々に吊るされたランタンの火が見覚えのある木造の古い家屋を映し出していた。

夢の世界に来ている。おかしい。さっきまではっきりとした意識で会社の近くを歩いていたはず。変わらず降り続けている雨を見て、ふと手元を見る。持っていたはずのコンビニ袋は無くなっていた。そして同時に自分がくたびれたスーツの代わりに、見たこともない麻の服を纏っていることに気がついた。


状況を飲み込めず、どうして良いか佇んでいると雨音とは別の音が聞こえてくる。それは次第に近づいてきて、ようやく足音であると気がついた。近くの家の傍に置いてある木箱の後ろに隠れ足音の主を待った。想像以上にすぐに松明たいまつの火が現れ、一瞬隠れるところを見られていたかとも思ったが周囲が暗いこともあってか、こちらに気がつくこと無く自分の前を通り過ぎた。松明が照すその姿は、予想外に普通の人間だった。背丈は少し小柄で160前後の40代から50代の男性だった。自分と同じ麻の服を纏い、リュックのように籠のようなものを背負っていた。隠れていた家から2軒先の家の前で止まり、家に入っていこうとするところだった。

あまりにも悪意を感じなかったからか絶好の機会だと感じ、気がつけば駆け寄って声をかけていた。


「すいません」


突然の声に男は驚いて、わっと声をあげた。だが自分自身もまた別のことに驚いていた。自分が知らない言語を発していたのだ。よく見ると男は明らかに日本人の顔つきではなく白人風な人種だった。そんな相手に向かって躊躇いもなく日本語で話しかけようとする自分もどうかとは思うが、それだけこの機を逃さない方が良いと本能的に感じていたのだ。

男は突然声をかけられたことに驚いてはいたが、私自身には驚いていない様子だった。


「どうしたんだ」


「あ、あの。ここってどこなんでしたっけ?」


「なんだ、迷子か?ここはスクローの漁村だよ」


「あ、そうです。迷子です。迷子はどこに行ったら良いでしょうか」


何という質問をしているんだと我ながらに思ったが、男は親切に話してくれた。


「ここは時折、人が迷い込む。迷子が行くべきところは特に無いが、行かない方が良い場所ならある。教会と教団の施設の近くには行くな」


「教団の施設ってなんです?」


「赤い旗が掲げてある。教団員にも近づかないことだな」


話せる人間がいる事で、言いようのない安心感があった。わけのわからない言語で話している事など少しも気にならなかった。


「まだ何かあるか?」


「それじゃあ近くに泊まれるところはありますか」


「泊まりたいなら酒場に行け。空いてれば2階の宿に泊まれる」


そういうと男はじゃあなと言って家に入ってしまった。

酒場は一度見ていた。ここがどこかはわからなかったが道の先、少し離れたところがぼんやりと明るくなっている。若干強まる雨の中、酒場を目指し歩き始めた。

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