受験なので好きな子との時間を減らしたいと思います

陸沢宝史

本編

 カーテンの開いた窓から夏を僅かに予感させるような温もりが顔に当たる。


 キッチンが付属している一室の中央には四角い赤のローテーブル。壁際に置かれたチェストの上には五月のページが見える立て掛けのカレンダーが置かれている。白色の天井から白色の光が部屋中を照らしていた。


 俺は愛用させてもらっているクッションに座っていた。直ぐ目の前にあるテーブルの上にはスナック菓子がいくつも置かれている。いずれも封が開けられていた。


 俺はテーブルを挟んだ向こう側には視線を移す。そこには制服を着た高校二年生の沢瀬葉梨名さわせよりなが足を伸ばすようにして座っていた。艶のある茶色のセミロングを生やしている葉梨名は一口サイズのチョコレートと指で掴んだ。


 そのチョコレートは八個入で既に六個無くなっていた。いずれも葉梨名が胃に収めていた


 チョコレートはよほど美味しいようで先ほどから顔には笑みが溢れ続けている


「あーいつ食べてもこのメーカーのチョコレートは絶品です。まだまだ食べれそう」


 葉梨名の笑みを見ていると思わず惚けてしまいそうになる。今も現に葉梨名の顔ばかり見ていてお菓子にあまり手を付けていなかった。


「先輩、なんでわたしの顔ばかりずっと見ているんですか?」


 葉梨名は手を払うと面白がるように目を窄めこちらを見据えた。顔を見詰めていたことは認めたくはない。


 俺は最後の一粒となっていたチョコレート見る。正直食欲はなかった。だがこれから述べる言い訳づくりのためにチョコレートに向け手を伸ばした。


「いやチョコレートが美味しそうだなと思って。だから一粒貰うな」


 俺の指がチョコレートを掴みそうになった瞬間、チョコレートが視界から消えた。僅かに見えたのは前方から伸びてくる腕と指だけだった。


 俺は正面を向いた。すると葉梨名が得意げな目つきで俺を見ながらチョコレートを掴んでいた。


「先輩、このチョコレートわたしが買ってきたやつなんで勝手に食べないでください」


「そうだったな。それは済まなかった」


 俺は適当に謝罪を口にするとテーブルにお菓子を確認する。グミにポテトチップス、そしてチョコレート。その全ては葉梨名が買ってきたものだ。だから彼女の言い分も分かる。


 けど少しとは言え俺はグミとポテトチップスは食べていた。なのにチョコレートだけ駄目なのは腑に落ちなかった。


「チョコレートが欲しいなら、上げてもいいですよ」


 葉梨名が俺を哀れむような声でそう申し出てきた。

俺は両腕を背中側の床につくと葉梨名と目を合わせながら言葉を返した。


「チョコレート最後の一粒だし葉梨名が食べなよ」


 チョコレートには未練はないし、話を逸らせた以上既に目的も達成できている。ここは素直にチョコレートの権利を譲っておくのが最適だと判断した。


「ふーん」


 葉梨名が不満げそうに言葉を漏らした。その言葉に違和感を覚えた俺の口元にいきなりチョコレートを掴んだ葉梨名の指が近づけられた。


「なんで、チョコレーをちかつけているんだ」


 不意打ち過ぎる状況に上手く呂律が回らない。葉梨名の指が近くにあると目が認識しただけで心臓の鼓動が急激に上昇している気がした。


「もし食べたいって言えばチョコレート食べさせて上げますよ」


 試すような口調で葉梨名は声を出した。その声を聞いて俺は思わず息を飲み込み「食べたい」と返答しそうになる。


 だって大好きな人から食べさせてあげるって言われたら誰でも迷うものだろう。


 けど俺には先輩という立場がある。というか同じ年でも断れないと駄目だ。俺はせっかくの機会を惜しみながら言った。


「先輩をからかうな」


 葉梨名は無言で頬を膨らませると手を引きチョコレートを口に入れた。


 本当に危ないところだった。俺は試しに左胸に右手を添えた。すると案の定普段よりも心拍数の高い鼓動が伝わってきた。


「葉梨名、一人暮らしして一年以上経つと思うがどうなんだ? 俺も来年もしかしたら一人暮らしするかもしれないからちょっと体験談とか聞いておきたいんだ」


 心臓のドキドキを収めたかった俺は以前から気になっていた話題を切り出した。


「自炊とか家事をしないといけないから色々と大変ですよ。やっぱり親の有り難みがわかりますよ」


 葉梨名は俺の後ろ側にあるキッチンを見ながら大変そうに語った。


「やっぱり親がいないと寂しいものか? 葉梨名は中三のときにこの辺りから離れた場所で引っ越したのに高校入学のためにこっちに戻ってきたからさ」


 葉梨名の実家はここから数時間離れた地域にある。だから一人暮らしで寂しさを抱いても簡単には実家に戻れない。だから俺としてはそのようなことを以前から危惧していた。


「学校行けば友達はいますし、放課後には先輩と遊んでいますから」


 葉梨名は我慢などしていないと一目で分かる笑みを浮かべた。それを見て俺の不安などどこかに飛び去った。それと同時に俺が抱えている問題を思い出した。


 今年受験を控えている俺は本来こんなところで遊ばずに勉強に専念しなけらばならない。


 なのに想い人である葉梨名と週に四回はこうやって外で会っている。本来であれば充実した青春だろう。けれど葉梨名と再会した高校二年の四月以降、遊ぶことに集中しすぎて学業は疎かになり成績は下降していた。


 受験生としては葉梨名と会う回数を週一回には抑えなければならない。そのことを今日伝えなければ。


 あまり固くなりすぎないように俺は淡白な物言いで話を切り出した。


「葉梨名。俺今年受験生だろ」


「それがどうかしましたか」


 葉梨名は雑談程度として捉えていないような返答をするとグミを一つ口に含み噛みだした。


「だからそろそろ勉強に集中したいんだ」


 俺はグミを噛む口の動きが気になりながら話を続ける。


十回ほどグミを噛んだ葉梨名はテーブルの上で頬杖をつき、

「それをわたしに言う必要ありますか」


 突き放すような一言に俺は話の切り出し方に後悔した。確かにこれではただ単に受験勉強に専念しますと他人に一方的に宣言しているだけだった。


「いやないけど。その勉強に集中したいから遊ぶ回数を減らしたいというか。できれば今後はあまり遊びに誘わないでほしい。多くても週一程度に減らしてほしい」


 しどろもどろになりながら俺は必死に用件を伝えた。先輩としてみっともないところを見せてしまった。だがこれで受験に集中できる。


 そう安堵していると葉梨名は何かを計画するかのように左手を顎に当て数秒間黙った。左手が顎から離れる瞬間、僅かだが葉梨名の口元が緩んだように見えた。だがすぐに別れを悲しむような顔つきになった。


「吹奏楽部だった中学時代からあんなに遊んでいるのにわたしを捨てるんですか? やっぱり先輩はわたしのことを嫌いなんですね。先輩のこと見損ないました」


 咽び泣くように声を出す葉梨名だが当然のように頬には一滴も雫が流れていない。あきらかな演技なのは明白だ。


 だが中学時代から頻繁に遊んでいたため、葉梨名の指摘も的を得ているような気もする。それに演技とはいえ葉梨名に「見損ないました」と言われるのは心が凍えるような感じがした。


「真面目に勉強に集中したいだけなんだ。俺だって葉梨名とはずっと遊びたいと思っている。こうやって遊んでいると楽しくて毎日が充実するんだ」


 俺はもうがむしゃらに普段から抱いている感情を伝えた。


「それ本気なんですか?」


 いつも通りの声で葉梨名は確かめてくる。何か過ちを犯したような気分になりながら俺は「ああ」と認めた。


 すると葉梨名は悪巧みを試みるような眼差しで俺の目を直視した。俺はろくでもないことを言われる覚悟で葉梨名が話すを見守った。


「なら一つだけ質問があります。それに答えたら遊ぶのは当面週一で我慢します。けど正直に答えないと先輩はこれからわたしと毎日遊ぶことになりますから」


「それはうれ――じゃなくてなんだ」


 葉梨名と毎日と遊べると考えるだと思わず心が踊って本音が漏れそうになった。けどそれだと俺の望む方向性とは真逆の結果になってしまう。質問には正直に答えておこう。


「わたしのことどう思っていますか?」


 葉梨名史上もっとも真面目だと思えるような言動だった。今まで振られるのが怖くて俺はまともに告白すらしてこなかった。けどこの場で逃げるのは何となく違う気がしていた。


 俺はクッションの上で正座をすると返事を待つ葉梨名を見開いた目でしっかりと見た。


「ずっと前から葉梨名のことが好きだったよ。俺臆病な性格だから中々想いを告げられなかったけどな」


 女の子から求められないと想いを明かせないの俺はだらしない男だとしかいえない。それでもこうやって思いを告げると心が軽くなった気がした。


 葉梨名にとって満足のいく答えだったのか目尻を柔らかく下がっていた。


「全く先輩はどうしようもない人です。それにしてもこの場所だと告白の雰囲気が出ないですね」


 俺のからかうような口調にはどこか嬉々としたものが混ざっているように聞こえた。


「そっちが俺の想いを聞いてきたんだろ。だから文句はなしだ」


 俺が苦情を口にすると前かがみになった葉梨名の顔が目の前まで寄ってくる。数センチも動けば唇がぶつかりそうで体中が火照りだしそうだ。


「先輩、受験が終わったらまた告白してください。そのときはムードのある場所でお願いします。わたしの返事はそのときに伝えますから」


 葉梨名の声と息が顔にかかるとそのまま葉梨名は体を引いていった。


 突然の出来事に体の大半は動かずにいた。それでも俺は唇を動かしてこう言い返した。


「そのときは、絶対に忘れられない告白にしてやるよ」

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受験なので好きな子との時間を減らしたいと思います 陸沢宝史 @rizokipeke

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