第3話

「私を売るの?」


 男はにんまりと笑うと、慣れた様子で足を踏み入れる。すぐにここの楼主らしき色気のある中年の女性が出てきて「あら束宵スーシャオ様、ご無沙汰しております」と丁寧に頭を下げた。見るからにここの常連。しかも、かなりの上客扱いだった。


「久し振り。この子、よろしく」


 男は笑顔で私の背中を押して楼主に押し付ける。


「……この娘は、束宵スーシャオ様の……?」


 どのような関係か、と問うているのだろう。臭いだろう私が近付いても、上客の彼が連れてきた娘に対して嫌な顔ひとつしないのはさすがだ。

 男は笑顔のまま、彼女の質問には答えずに小さく首を傾けた。


「出来る? 出来ない? それだけ答えて」


 ぴくっと小さく反応した楼主は、私を奥に連れて行かせた。

 なにをやらされるのかと警戒していた私は、抵抗空しくそこに居た姐さんたちに服を剥ぎ取られ風呂に突っ込まれ、普段拭くしかしていないような身体をゴシゴシと磨き上げられ、髪を三度洗いされて油で手入れされた。煤で汚れていた髪は何段階も明るい色になって、燃えるような赤毛になっていた。挙句生まれてはじめての化粧をされて爪まで髪と同じような色に塗られ、触ったことすらない上等な着物を着せられて、再び束宵スーシャオの前に出された。

 慣れない化粧が粉っぽくて咳が出そうになる。皮膚が強張った感じがしてとても不快だ。でも、これも束宵スーシャオの要求とあれば仕方がない。お金で払えない以上、身体で払うしかないのは世界の道理だ。


「お。」


 私を見て目を丸くした束宵スーシャオは、見るからに高そうな長椅子に寝転んでいた。近くに姐さんはいないことから、遊んではいなかった様子だ。机の上にも水菓子とお茶しか置いていない。

 彼はゆっくり起き上がるとこちらに近付いてくる。


「な、なによ」


 くい、と爪のような装飾品で顎を持ち上げられる。じぃっと私を見た束宵スーシャオは満足そうな顔をした。


「思っていた以上の出来。可愛い」

「それは、どうも」

「じゃあ、行こうか」


 再び私の肩を抱くと、彼は楼閣を出ていこうとする。


「え?」

「え?」

「……シない、の?」

「……??」


 私の問いに、束宵スーシャオは怪訝そうな顔で首を傾げた。


「なにを?」

「え、だからその、お金払えないから、その代わりに」

「うん。だから、次の場所に行くよ」


 ここではしないということか、それとも出来ないということか。

 なになに? と戸惑う私の前で楼主の手に10玄銭を何枚も乗せた彼は「またよろしくね」と軽く手を振った。

 ――ちょ……それ、私が一生で稼げるかどうかってお金……!

 全く高額と思っていない様子の扱いに、唖然とする。一体、どれくらいの金持ちなのだろう、この男。


「次は是非遊んでいかれてくださいまし。麗香や雅琴も束宵スーシャオ様のお越しを心待ちにしておりますので」


 品良く、そして艶やかに微笑んでしなを作った楼主に、束宵スーシャオは目を細めた。


「はいはい、気が向いたらね」


 子汚い娘を着飾らせるだけで何十玄銭も手に入れられるなら、姐さんたちを働かせるより楽でありがたいのでは? なんて思うけど、私とは違う価値観で生きているのだろうから、そういう簡単な話ではないのかもしれない。

 楼閣を出ればまた牛車に押し込まれる。その中で彼はじっと私を見るだけで、なにも言ってこない。それがあまりに不気味で仕方がない。金色の瞳が暗闇で光っているようにも見える。徐々に周囲が騒がしくなってきて、美味しそうな匂いが漂ってきだした。

 外が気になるが、窓には簾が下げられていて見ることはできない。そわそわと窓を眺めていると、牛車が止まった。


「ついたみたいだな」


 束宵スーシャオは私の手を引いてまた立派な門構えの店に入っていく。牛車の戸が開いた瞬間から、嗅いだことがないような良い匂いが鼻腔を満たした。それに刺激されて、ぐぅっとおなかが鳴る。


「っ!!」

「っ、ははっ」


 私が踏み入っていいような店ではない。足元はふかふかな敷物でおぼつかない。慣れない服も足に纏わりついてきて転びそうになる。


「わっ」

「お、っと」


 転ぶ、と思った瞬間に抱き上げられ、束宵スーシャオの整った顔が近くなる。


「おなか空きすぎてもう歩けない?」

「そうじゃなくてこの服ひらひらが歩き難……」

「こちらにどうぞ」


 一番奥の個室に通され、そこには既に豪華な料理が並んでいる。ごくりと喉が鳴る。口の中が涎でいっぱいになる。


「……………………」

「好きなの食べて良いよ」

「っ、本当?!」

「オレ、これ全部食べられるほどの大食いじゃないって」


 どうぞ召し上がれ、と言われたものの、私はどれにも手を出せずにいた。あまりにも品数が多くて迷ってしまっただけではなく、束宵スーシャオの膝に乗せられているというのが一番の理由だ。


「あの、ごはん食べたいから、降ろして……」

「そこで食べればいいじゃないか」

「食べられないよ!」

「なんで」

「落ち着かないし、その」


 私は育ちが良くないのだ。こんな食器を用意されても上手に食べられはしない。ボロボロとこぼしてしまうことは予想できて、そうしたら彼の上質な服を汚してしまうじゃないか。


「ああ、わかった。そういうことか」


 束宵スーシャオは蒸籠から小さな饅頭をつまむと、はい、と私の前に差し出した。


「な、なに?」

「食べさせてほしいんだろ?」


 え、違う、と言いかけた口に饅頭が押し込まれる。柔らかくてほんのりと甘い皮の中から、お肉が出てくる。歯応えのある野菜も混ぜられているらしい肉餡は、汁がたっぷりでまったく臭くない。


「っ!!!!!」

「っ、ははは!」


 言葉もなく悶絶した私を見て彼は笑い出す。それから、次から次へと料理を取っては私の口に運んでくれる。じっくりと煮られたのだろう肉は、油と汁がてらてらと輝いていて、歯がいらないくらい柔らかい。食べたことのない野菜。見たことのない料理ばかりで、まるで夢のようだった。

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