一目惚れ

俺は何をしているんだろう。真夏の晴天、何もしていなくても毛穴という毛穴からじわじわと滲み出る汗が不快だ。でも今はそんな事はどうでもよい。俺はガラス越しに見える絵に夢中になっていた。周りの景色にモザイクがかかったように、その絵に一目惚れをしてしまったのだ。


遡ること数分前、熱気と活気に包まれた青春の代名詞とも言える高校の体育祭を終え、俺は1人帰路に着いた。陽炎かげろうが揺らめくアスファルトを疲れ切った足で踏みしめていく。ジャージでの登下校が許されている俺の高校だったが、今日ばかりは全裸での登下校も許して欲しい。ベタつく汗に気持ち悪さを感じつつ、早く帰りたいという思いで足を速める。とその時、ふと横を通り過ぎようとした家の窓際に何かがあるのが見えた。絵だ、絵がある。俺は普段美術館などに行っても、自分には芸術の感性が無いのか特に何を感じるでもなく芸術鑑賞もどきになりがちだ。でも、この絵は違った。ただ視覚的に感動するのではない。心の奥底にいる俺自身に訴えかけるような絵だ。俺は何かを直感的に感じることは難しいと思う。直感といってもその感には様々な要素が関係していることが多い。その瞬間の自分の体調や、周りにある物、聴こえてくることなど。人間は環境的に真の直感を感じるには難しい状況にあると思う。いや、そう思っていた。この絵に出会うまでは。家の様子からして今は誰も居ない気がする。不法侵入という言葉がちらりと脳裏によぎったが、余裕のない俺は構わず家の門をくぐる。絵にばかり気を取られていたが、緑の多い素敵な家だ。この辺りは最近、道路の補正工事や新しい住宅の建築工事が行われていた。そのため、周りのま新しい家に比べるとこの家は少し違う雰囲気を感じる。ただ、古いという意味ではなく西洋風の世にいうオシャレなおうちといった感じだ。

(この家、いつもは通り過ぎるだけだったけど、よく見るとこんな家だったのか。童話にでも出てきそう。)

広い庭の緑を踏みしめ、数メートル遠かった絵がだんだんはっきりと見えてくる。その時、

「誰?」

「!!」

驚き勢いよく振り返ると、メガネをかけた優しそうな青年がきょとんとした表情で立っていた。

「ああっ…えっと、すみません!その、勝手に侵入してしまい……」

足音もなしに急に声をかけられたものだから、心臓が暴れたまましどろもどろな事しか言えない。青年はまたきょとんとしていたが数秒の静寂の後、

「あははは!侵入って、お城じゃないんだから。君って面白いね。もしかしてすぐそこの高校の生徒さん?そのジャージを着た子がよく通るからさ。」

と外見と同様優しく話してきた。怒られることを覚悟していた俺は、目の前の青年の笑顔と明るい口調に腰を抜かしそうになった。たちまち何か喋らないとと思い必死に喋り出す。

「あ、そうです!俺山野高校の2年です。えっと…あの窓際にある絵が気になって…」

俺が絵の方を指すと、ああと言って彼は言った。

「あの絵、僕が描いたんだけど中々上手く描けなくてね。よかったらもっと近くで見てみる?家の中の方が涼しいしね。」

「え!いいんですか?ぜひお願いします!」

絵が見たいというのもあるが、涼しいという言葉と青年の優しさに引き寄せられ遠慮を忘れ家におじゃまさせてもらう。

「おじゃまします。」

「どうぞどうぞ。あ、そこのソファ座ってていいからね。僕お茶入れてくるから。」

家の中も、予想していた通りおしゃれな家具がたくさん置いてある。家に入れてくれて、絵を見せてくれて、お茶を入れてくれるとはなんと親切な方だ。家の中はクーラーが効いていて本当に涼しい。生き返る心地でしばらくぼーっとしていると、窓際のキャンバスが目についた。ソファにおろした腰を再び持ち上げ絵に近づく。先ほどはガラス越しに遠目で見ていたためよく見えなかったが今は目の前に実物がある。

(なんてきれいな絵なんだろう。これは丸?何を描いた絵なんだろう?)

心が惹かれる反面何を描いた絵なのかはよく分からなかった。ただキャンバスには丸く大きな穴のような絵が広がっていて、たくさんの色が混ざり合って複雑な色合いをつくり出している。

「その絵、君にはどんな風に見える?」

青年はお茶を木製のテーブルに置き、俺と同じ角度で絵を見始めた。

「えっと、そうですね、何というか凄く惹かれるものを感じます。少し悲しさも感じる…これって何をモチーフに描かれたんですか?」

青年はにこりと微笑むとどこか遠い目で答えた。

「この絵は僕の心をイメージして描いたんだ。目を瞑る《つむ》と僕の心にはいつもこの穴がある。僕自身もよく分からないんだけどね。」

あははと笑った青年はどこか寂しいように感じた。

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