第23話

 便箋は二枚重なっていて、もう一枚を開くと、「ありがとう」という五文字だけが便箋いっぱいに大きく書かれていた。ぎりぎり読めるぐらいの崩れた字で、俺はすぐに夏凪が書いたものだとわかった。線も途切れ途切れで、きっと何度も鉛筆を折ったのだろう。力強く書かれたために、線のところだけ凹んでいる。俺はそっと指で線をなぞる。涙はこぼれているけれど、悲しくはなかった。この五文字がただ可愛くて、愛しくて仕方がなかった。

 俺は次に『人生ノート』を開いた。俺たちが今まで過ごしてきたひと時が、夏凪の字によって事細かに記されている。沢山書いた俺たちの夢。その全てが弱々しい線で消されていた。だけど一つだけ書き加えられていて、そこには、「小説を出版したい」そう書かれていた。俺は義務感でもなんでもなく、ただがむしゃらに夏凪の小説を読んだ。『たった100ページの人生だけど』という小説には、手紙の通り俺たちが出会ってからの四年間が描かれていた。ねーちゃん経由で夏凪と知り合い、初めて会ったライブ会場でその可愛さに思わず告白。まさか付き合えるだなんて思ってもいなかった。それからは本当に輝いた毎日で、夏凪は俺の不器用なリードにも迷わずついてきてくれた。困ったら二人で笑って、悲しかったら二人で泣いて、そのあと笑う。ずっと笑顔で過ごしてきた四年間。俺も覚えていないようなことまでしっかりと書かれていた。四百ページにわたって描かれた俺たちの四年間の最後は夏凪が亡くなるシーンまで描かれていた。亡くなった夏凪を見て、俺がそっと何かを囁く。その部分のセリフが埋まっていなかった。夏凪の人生最後に、俺は何を伝えられるだろうか。「君と出会えて良かった」とか「いつかまた君に会いたい」だとか、そんなキザなことを考えたけれど、きっと夏凪が欲しいのはこんな言葉じゃない。もっと素直で俺らしい言葉だ。そう思って、俺はふと思った言葉を書き入れた。

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