第8話

「夏凪…!!」

 ドアの先には、アメリカにいるはずの蓮斗の姿があった。

「え、蓮斗…どうして」

「実力不足だって日本に帰されて、家帰ったら、ねーちゃんがここの住所教えてくれて。病気なの? いつから?」

 ずんずんと私の前までやってきた蓮斗の目は潤んでいた。

「なんで俺に、言ってくれなかったの?」

「…脳幹グリオーマ。余命一年。難しい脳腫瘍」

 私は低くため息をつくと、ゆっくりと話し始めた。

「癌が見つかったのは一年前。ちょうど蓮斗の留学が決まった頃」

「もしかして、俺のせい?」

「違うよ、蓮斗のせいじゃない」

「俺が気づければ良かった?」

「気づいて欲しいなんて思ってない。蓮斗が帰ってくる頃には、もう死んで居なくなってるつもりだった」

「なんでそんなこと…」

 蓮斗の口はもうわなわなと震えていた。

「蓮斗の夢、邪魔したくなかったの」

「邪魔だなんて思わないよ…! 癌だって知ってたら、夏凪と一緒にいたのに」

「そうでしょ? だから黙ってたの。私の残り半年もない人生のせいで、蓮斗の人生に関わる大チャンスを無駄にしてほしくなかった」

 蓮斗は下唇を噛んで堪らえようとしているけれど、ぼろぼろと涙をこぼしていた。私は意地でも泣くまいと微笑を浮かべた。

「ごめんね蓮斗。どんなに願ったって、どんなに祈ったって、私の病気は治らないの」

「…そうかもしれないけど、」

「だから、治るかも、とか幸せになりたい、とか…そんな甘ったれたこと言ってられないの」

 本当は心の底から泣き叫びたかった。でも、込み上げてくる感情も、深呼吸をして抑え込んだ。

「…私に残されたのは、死に向かって生きることだけ…みんなの人生が四百ページあったとしたら、私の人生はたった百ページにしかならないの…!」

 私は思い切り言葉を吐き捨てた。まるで子供に説教する母親のように。

「そうかもしれないけど、長く生きられないのかもしれないけど、だからって、」

 蓮斗は私にかける言葉を必死に探してくれているようだった。体の横で強く握られた拳は震えている。

「…だからって諦めんなよ!」

 ずっと下を向いていた蓮斗が、突然声を荒げて、私をぎゅっと強く抱き締めた。何年経っても初々しくて可愛らしくて、とにかく優しい蓮斗が、こんなに強く抱きしめたのは、初めてだった。

「生きることを諦めても、幸せになることを諦めんな…! みんなの四分の一しか生きられないなら、みんなの四倍幸せに生きりゃいいじゃん…! 百ページなんかで満足するなよ! 俺が四倍にでも、十倍にでも、百倍にでも幸せにするから…! だから…」

 ぎゅっと抱き締めた手を解いて、蓮斗は真っ直ぐに私の目を見つめた。

「一緒に生きよう…!」

 涙に濡れる頬とは裏腹に、彼は優しく微笑んだ。その笑顔が、心に染みて、心が痛くて、私は産声のようにわんわんと泣き出した。

「生きたい…幸せになりたい…」

 ずっと死ぬことしか考えていなかった私が、今日初めて心の声を口にした。

「大丈夫、俺がいるから」

 今度は大きな手でそっと私を包み込んでくれた。

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