第15話 沈黙の代償

事件の騒動が一段落した頃、斉藤は一人、大学の静かな中庭に佇んでいた。朝露に濡れた芝生が足元に広がり、空はまだ薄い朝焼けの色を残している。冷たい風が頬をかすめ、彼の心に深い静寂が広がっていた。


「これで全てが終わったのだろうか…」斉藤は独り言のように呟いた。


山本教授が命を賭けて守ろうとした研究成果は、彼の手によって安全に封じられた。北川と三宅も逮捕され、彼らの悪行は法の下で裁かれることになるだろう。しかし、斉藤の心には、解決されていない感情が残っていた。それは、科学の力と、それを取り巻く人間の欲望との葛藤であった。


「教授、ここにいたんですね。」高村が中庭に現れ、斉藤に近づいてきた。彼の顔には安堵の表情が浮かんでいたが、同時にどこか疲れた様子も感じられた。


「高村君。」斉藤は振り返り、彼に軽く頷いた。「すべてが終わったように見えて、まだ終わっていない気がする。」


「確かに、事件は解決しましたが…教授が感じているのは、もっと大きな問題ですね。」高村は静かに座り、斉藤の隣に腰を下ろした。「山本教授が守ろうとしたもの、それはただの研究成果ではなく、科学の倫理と責任だったのかもしれません。」


斉藤は深く息をつき、遠くの空を見上げた。「科学の力は強大だ。それが人々のために使われるか、破壊に使われるかは、私たちの選択にかかっている。山本教授はそれを理解していた。だからこそ、彼は自らの命を犠牲にしてでも、それを守ろうとしたんだ。」


「でも、教授…」高村は慎重に言葉を選んで続けた。「もし、山本教授の発見が正しい手に渡っていたら、それは新たな希望をもたらしたかもしれない。その可能性を捨てたことは、私たちにとってどう意味付けられるのでしょうか?」


斉藤はしばらく黙って考え込んだ。山本教授が封印した化合物には、確かに医療の新たな可能性を秘めた部分もあった。しかし、その力が悪用されれば、世界は取り返しのつかない破滅へと向かうことも考えられる。科学の進歩と危険性、その二つの相反する要素が、今まさに斉藤の心を揺さぶっていた。


「可能性と危険性、その両方を持つのが科学の本質だ。」斉藤はようやく口を開いた。「だからこそ、それを扱う私たちには、強い倫理観と責任が求められる。しかし、すべてを正しく判断するのは容易ではない。」


「山本教授は、その難しい判断を自分一人で背負い込んだ…」高村は沈んだ声で言った。「そして、それが彼を孤立させ、最終的には命を奪う結果になったんですね。」


「そうだ。」斉藤は静かに頷いた。「だが、彼の選択が間違っていたとは思わない。彼は自分の信念に従い、科学を守るために戦った。そして、その意志を継ぐのが私たちの役目だ。」


その時、大学の時計塔が静かに時間を告げた。朝の光が少しずつ強まり、キャンパス全体が柔らかな金色に染まっていく。斉藤はその光景を見つめながら、心の中で新たな決意を固めた。


「私たちは、山本教授の意志を継ぎ、これからも科学の真実を追求していく。」斉藤は静かに言った。「そして、決してその力を間違った方向に使わせないようにする。どんなに困難な道であっても、これが私たちの使命だ。」


「わかりました、教授。」高村もまた、斉藤の言葉に力強く頷いた。「私も、その道を共に歩む覚悟です。」


斉藤と高村は、静かな朝の光の中でしばらくの間無言のまま座り続けた。風が二人の間を吹き抜け、草木を揺らす音が聞こえる。事件は終わりを迎えたが、彼らの戦いはこれからも続いていく。


「さて、これからどうしますか?」高村がようやく口を開いた。


「まずは、山本教授のサンプルを安全な場所に保管する。」斉藤は立ち上がり、決意を込めて言った。「その後、今回の事件の全容を報告し、必要な手続きを進める。それが私たちにできる最善のことだ。」


高村は斉藤の言葉に従い、共に立ち上がった。二人は新たな一歩を踏み出し、科学と倫理の間で揺れ動く世界を歩み続ける決意を新たにした。


そして、朝日が完全に昇り、キャンパス全体を照らし出す頃、二人は再び大学の建物の中へと足を進めていった。彼らの背中には、山本教授の意志と、それを守り抜くという強い決意が感じられた。

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科学は真実を語るか、それとも嘘を隠すか。名門大学で起きた不可解な死、その背後に潜む陰謀とは――斉藤教授が科学の力で暴く、禁断の真実! 湊 町(みなと まち) @minatomachi

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