第9話 追跡と隠された過去

佐伯 結衣からの証言と山本教授の「最終研究」のメモを手に入れた斉藤と高村は、事件の核心に近づきつつあった。しかし、彼らはまだ全貌を掴みきれていなかった。真実に迫るためには、さらに深く掘り下げ、影に潜む人物たちを炙り出さなければならなかった。


その夜、斉藤は自宅の書斎に閉じこもり、メモの解読に集中していた。机には、教授の残した数式や化合物の資料が広げられている。斉藤の脳裏には、山本教授が何を恐れ、何を隠そうとしたのか、その問いが絶え間なく浮かんでいた。


「この数式…やはり単なる化学反応ではない…」斉藤は独り言を呟きながら、メモに記された数式を見つめた。それは、単純な化合物の生成式ではなく、より複雑な反応過程を示していた。斉藤はその数式を一つずつ解き明かし、山本教授が発見した化合物の詳細を掴み始めた。


「教授、こちらの資料を確認していただけますか?」高村が持ってきたファイルを差し出した。


「何か見つかったのか?」斉藤は手を止めて、高村の持つファイルに目を向けた。


「はい、山本教授が亡くなる直前に接触していた人物に関する資料です。ある企業の役員と頻繁に連絡を取っていたようです。その人物は…北川 直樹です。」


斉藤はファイルを受け取り、資料に目を通した。「北川か…。やはり、彼が事件に深く関わっているようだな。」


「ですが、彼がなぜ山本教授を脅したのか、まだわかりません。」高村は言葉を続けた。「北川が何かを隠していることは間違いないのですが、彼の動機が明確ではありません。」


「北川は何かを得ようとしている…」斉藤は資料を閉じ、再び思考を巡らせた。「そしてその『何か』が山本教授の発見に関係している。彼が手に入れたがっているものが、この事件の全貌を解明する鍵だ。」


その時、斉藤の携帯電話が鳴り響いた。彼が受話器を取ると、冷たい女性の声が響いた。「斉藤教授、私たちはあなたの動きを監視しています。これ以上、山本教授の研究に深入りするのはおやめなさい。さもないと、あなたも彼と同じ運命を辿ることになるでしょう。」


斉藤はその言葉に一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻し、声の主に問いかけた。「誰だ?何を企んでいる?」


しかし、電話はすぐに切れ、ただの無音が耳に残った。斉藤は電話を静かに机に置き、高村に目を向けた。「我々は完全に目を付けられたようだ。」


「教授、どうしますか?」高村は心配そうに聞いた。


「このまま進むしかない。」斉藤は毅然とした表情で答えた。「危険を承知で、真実を突き止めるまで引き返すわけにはいかない。」


その夜、斉藤は一睡もせずに資料を読み続けた。そして、翌朝、ついにある事実にたどり着いた。山本教授が発見した化合物は、単なる薬品の副産物ではなく、特定の状況下で劇的に変化する物質だった。それは、通常の環境では安定しているが、特定の刺激を受けると神経毒に変化するという極めて危険な物質だった。


「これが…山本教授の最後の発見か…」斉藤はその恐ろしい事実に震えた。


「教授、それが山本教授を殺した原因ですか?」高村が問いかけた。


「その可能性が高い。山本教授はこの発見によって、何かを知りすぎたのだ。」斉藤は資料を握りしめ、決意を固めた。「北川がこれを利用しようとしたのか、それとも別の誰かが…。」


その時、斉藤の考えを遮るように、ドアベルが鳴った。斉藤がドアを開けると、そこには見知らぬ中年の男性が立っていた。彼は無表情で斉藤を見つめ、静かに口を開いた。「斉藤教授、少しお時間をいただけませんか?」


「あなたは?」斉藤は警戒心を隠さずに尋ねた。


「私の名前は瀬川 昇(せがわ のぼる)。かつて山本教授と共に研究をしていた者です。」瀬川は静かに答えた。「彼の死について、お話ししたいことがあります。」


斉藤はその言葉に驚きながらも、すぐに瀬川を家に招き入れた。高村も警戒しながらその様子を見守っていた。


「瀬川さん、山本教授との関係について詳しく教えてください。」斉藤は静かに尋ねた。


瀬川は深く息をつき、思い出すように話し始めた。「私は山本教授の古い友人であり、かつて彼と共に研究をしていました。しかし、ある時点で私たちの道は分かれました。彼は大学に残り、私は製薬業界に進みました。それ以来、私たちは疎遠になっていましたが、最近になって再び連絡を取り合うようになったのです。」


「その再会が、山本教授の研究に関係しているのですか?」高村が質問した。


「そうです。」瀬川は頷いた。「彼は私に、新たな発見をしたと告げました。そして、その発見が非常に危険なものだとも。私は彼を説得し、その研究を中止するように頼みましたが、彼は耳を貸さず、さらに深く掘り下げていったのです。」


「そして、その結果が…」斉藤は続きを促した。


「彼の死です。」瀬川は静かに答えた。「彼は私に助けを求めました。しかし、私は…彼を救うことができませんでした。」


斉藤はその言葉を聞きながら、心の中で山本教授の最後の瞬間を思い浮かべた。彼が何を恐れ、何を守ろうとしたのか。その答えは、まだ見えてこない。しかし、瀬川の登場によって、物語はさらに複雑さを増していった。


「瀬川さん、あなたは山本教授の研究の内容を知っていたのですか?」斉藤は慎重に尋ねた。


「ある程度は。」瀬川は苦い表情で答えた。「しかし、彼が最後に発見したものについては、私も知らされていませんでした。ただ、それが非常に危険なものであることだけは理解していました。彼が最後に私に残した言葉があります。『この発見は、世界を変えるかもしれないが、それが良い方向かどうかはわからない』と。」


「その発見が、彼の命を奪った…」斉藤は低く呟いた。


「その通りです。」瀬川は深く頷き、「そして、私はその罪悪感を抱えながら、彼の研究を追い続けています。斉藤教授、私はあなたと共にこの事件の真相を解明したい。山本教授が命をかけて守ろうとしたものを、明らかにしたいのです。」


斉藤は瀬川の目を見つめ、その真剣な思いを感じ取った。「わかりました、瀬川さん。共に真実を追い求めましょう。しかし、その道は危険であり、容易ではないことを覚悟してください。」


「覚悟はできています。」瀬川は力強く答えた。


斉藤と瀬川は固い握手を交わし、新たな協力者を得て事件の真相に向けて動き出した。山本教授が残した謎の影は、ますます深まっていく。しかし、斉藤は決して諦めることはなかった。科学の力と共に、すべての真実を解き明かすために。

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