第8話 揺れる真実
北川 直樹との不穏な出会いから数日が経過し、斉藤と高村は慎重に山本教授の残した「最終研究」のノートを解析していた。ノートの内容は、斉藤の予想を遥かに超える複雑さを持ち、数式や図表が絡み合うように書き込まれていた。これを解読するには、非常に高度な知識と洞察が必要だった。
研究室の薄暗い照明の下で、斉藤は静かにノートを読み進めていた。ノートの中には、山本教授が直前まで取り組んでいた研究内容が詳細に記されており、その研究が製薬業界に与える可能性を示唆していた。しかし、最も気になるのは、研究がある段階に達した時点で、教授が急に記録を断ち切っている点だった。
「教授、どうですか?何か見つかりましたか?」高村が机の向こうから心配そうに問いかけた。
「山本教授は、ある重大な発見をしたようだ。しかし、それが彼に何らかの恐怖を与えたのか、急に記録を止めている。」斉藤は、ページをめくりながら考え込んだ。「この研究の内容は、製薬業界にとって非常に重要なものだった。だが、その重要さゆえに、何者かが彼を脅かし、結果的に彼の命を奪った可能性がある。」
「脅かした…?」高村は驚きを隠せなかった。「誰がそんなことを…?」
「それを知るためには、このノートをさらに詳しく解析する必要がある。」斉藤は、ノートに書かれた数式の一つを指し示した。「この数式が、全ての鍵だ。これを解読すれば、山本教授が何を発見し、何を恐れたのかが明らかになるはずだ。」
「では、急いで解析を進めましょう。」高村は急かすように言った。
斉藤は頷き、さらにノートを細かく調べ始めた。その間、高村は山本教授の過去のデータや、彼が関わっていたプロジェクトの資料を集めるために奔走していた。二人は、まるで暗闇の中を手探りで進むかのように、少しずつ情報を繋ぎ合わせていった。
数時間後、斉藤はついに重要な手がかりを掴んだ。ノートの一部に書かれた数式が、ある特定の化合物の製造プロセスに関するものであることを突き止めた。その化合物は、通常の製薬に使用される成分ではなく、むしろ何か別の用途に使用される可能性があった。
「これだ…」斉藤は静かに呟いた。
「教授、何がわかったんですか?」高村が急いで駆け寄った。
「この化合物は、通常の薬品には使われない。むしろ、特定の条件下で強力な神経毒として作用する可能性がある。」斉藤は高村にノートを見せながら説明した。「山本教授は、この化合物を発見し、それが引き金となって彼の研究が危険な領域に達したことを理解したのだろう。そして、誰かがその情報を知り、彼を追い詰めた。」
「つまり、山本教授の死は事故ではなく…?」高村は言葉を詰まらせた。
「そうだ、彼は殺された可能性が極めて高い。」斉藤は断言した。「だが、まだ全てが解明されたわけではない。この化合物を製造するための具体的なプロセスや、それを誰が手に入れたのかを調べる必要がある。」
その時、研究室の電話が突然鳴り響いた。斉藤が受話器を取り上げると、無機質な声が電話口から響いてきた。「斉藤教授ですか?お話したいことがあります。今すぐ、下のカフェに来てください。山本教授の件についてです。」
「誰だ?」斉藤は鋭く問い返したが、電話はすぐに切れた。
「誰かからの情報提供ですか?」高村が尋ねた。
「そうかもしれない。だが、用心する必要がある。」斉藤は警戒を緩めることなく、すぐに研究室を出た。「高村君、一緒に来てもらいたい。何が待ち受けているかはわからない。」
二人は急いで研究室を出て、建物の下にある小さなカフェへと向かった。カフェは普段、学生や教職員たちの憩いの場として利用されているが、この時間帯は人影もまばらで、ひっそりとしていた。
斉藤たちがカフェに到着すると、一人の若い女性がカウンターに座っているのが目に入った。彼女はどこか神経質そうな様子で、コーヒーを手に持ちながら、落ち着かない表情をしていた。斉藤はその女性に向かって歩み寄り、静かに声をかけた。
「あなたが電話を?」
女性は驚いた様子で斉藤を見上げ、しばらくの間黙っていたが、やがて口を開いた。「はい、私です。私は山本教授の研究室に所属していた、佐伯 結衣(さえき ゆい)です。」
「佐伯さん、何かご存知なのですか?」斉藤は慎重に問いかけた。
佐伯は一度深呼吸し、話し始めた。「山本教授が亡くなる前、彼は何かに怯えていました。研究室ではほとんど口を閉ざし、一人で何かを考え込んでいることが多かった。私たちには詳しいことは話してくれませんでしたが、ある日、教授が一枚のメモを私に託したのです。」
「メモ?」高村が身を乗り出した。
佐伯はバッグの中から、くしゃくしゃになった紙を取り出し、斉藤に手渡した。そのメモには、いくつかの数式と共に、謎めいた言葉が書かれていた。
「『死を前にして真実を隠すな』と書かれていますね…」斉藤はメモをじっと見つめた。
「そうです。そして、教授は私に言いました。このメモが彼の最後のメッセージだと。もし何かあれば、斉藤教授に渡すようにと…」佐伯は震える声で続けた。「教授は誰かに狙われていた。私はそのことを伝えたかったのです。」
「佐伯さん、あなたは何か他に知っていることはありますか?」高村が尋ねた。
佐伯はしばらくの間、何かを思い出すように黙り込んだが、やがて言葉を絞り出した。「教授は、最後に誰かと電話で話していました。その相手が、教授を脅していたのだと思います。声は聞こえませんでしたが、教授はひどく怯えていました。」
「その相手が誰かはわかりませんか?」斉藤が問い詰めた。
「わかりません。ただ、教授はその後、すぐに研究室の地下にこもってしまいました。そして、二度と私たちの前に姿を現すことはありませんでした…」佐伯は、涙をこらえながら言った。
斉藤はその話を聞きながら、再び北川の顔が脳裏に浮かんだ。山本教授を追い詰めたのは、北川なのか?それとも、彼を操る別の存在があるのか?すべてがまだ不明瞭だったが、佐伯の証言は新たな手がかりを与えてくれた。
「佐伯さん、あなたの協力が非常に重要です。」斉藤は穏やかに言った。「この事件の真相を突き止めるために、あなたの力が必要です。」
佐伯は静かに頷き、再び震える声で答えた。「わかりました…私にできることがあれば、何でもお手伝いします。」
「ありがとう。これからも、何か思い出したらすぐに連絡をください。」斉藤はメモをポケットにしまい、立ち上がった。「我々は真実を追い求めます。山本教授が残した最後のメッセージを無駄にするわけにはいきません。」
高村も立ち上がり、斉藤と共にカフェを後にした。外に出ると、冷たい風が二人を包み込んだ。斉藤は深く呼吸をし、再び次なる手がかりを探すために考えを巡らせた。
「教授、次はどうしますか?」高村が尋ねた。
「まずは、このメモの解読だ。」斉藤はしっかりとした声で答えた。「そして、山本教授を脅していた人物が誰なのかを突き止める。そのためには、北川が何を企んでいるのか、さらに調査が必要だ。」
「了解しました。」高村は決意を新たにし、斉藤に従った。
暗雲が立ち込める中、二人は再び歩みを進めた。真実に近づくごとに、危険も増していく。しかし、斉藤は決して立ち止まることはなかった。科学の力で、すべてを解き明かすために。
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